はつもの

いきてるよ~

魂のリサイクル

今まで、メッセージ性の強い曲は歌詞を自分の得てきたものに当てはめて聴くっていうパターンがほとんどだった。
ほんで共感度が高いほど好き。そういう曲の聴き方をしてきた。
 
だから「知ってる曲を現状で咀嚼する」っていう逆パターンが自分にとっては新鮮で、
それがザ・茶番で立て続けに起こったのでビビった、っていう話。
 
 
ん?と思い始めたのはいつもの配信を聞いていたとき。
その配信者は茶番を聞いて育ってきたらしいから思考が茶番とダブってるのはよくわかるんだけど、私は聴き始めて間もないのでまだ染まってなかったし、そういうボキャブラリーもなかった。だからその配信者が話す価値観や社会理念みたいな話って基本的に新鮮で、いつも真剣に聞いてるし、わりと軽めにコメントしてる。
で、大真面目に聞いてると頭の中でザ・茶番が演奏し始めるときがある。
「正解はこの曲では…?」って思ってたのが確信に変わるタイミングでその曲の歌詞をコメントすると「それ!」って拾ってくれる。もしくは配信者が自発的にそういう曲があったなあって言い始める。
すごいのは、決してザ・茶番に寄せた話じゃないっていうところ。別の話題から逸れてきて、配信者の十八番たる社会・人間の話を真面目にしてるだけ。その配信者が持ってる思考回路の話であって、茶番の曲の解説じゃない。自然な流れで、社会ってそういうとこあるよなあ、そういう側面もあるのかあって思うようなタイムリーで独立した現実の話をしてる。なのにぴったり合致する曲がある。ネタ解釈したら、とかじゃなくて、歌詞がドストレートに今の話の要点まとめになってる。
英才教育の賜だなあと最初は思ったけど、茶番が歌ってなくてもこの配信者は同じことをしゃべってたんだろうな。たまたま正解が歌になってただけで、そういう頭ならそういう答えに自然となるんだろうなって今は思う。じゃなきゃそもそも自分もこの配信者を追おうとは思わなかったはず。
そういうことを意識する前にもおんなじケースがあったかもしんないけど忘れた。初めてちゃんと「茶番じゃね?」って分かったのは「私利私欲」と似たこと喋ってた時。最近は「究極の和解」のインパクトが大きかった。自分もどっちもどっち主義寄りだからこの曲がコミュニケーションの行きつく先というかまさしく究極の回答だと思ってて、この配信はTSで聞いててコメントできなくてくやちい~って思ってたら配信者がそういう曲あったよなって究極の和解を歌い始めたのでよかった。
 
 
それだけだったらわざわざこんな長文書き起こそうとは思わなかった。
こないだ、ある女優が他界したっていうニュースがあった時に自殺絡みのコメントをしてる人がたくさんいて、
人生は問い詰めると無意味だから、自省しすぎると人は死ぬ。
だから昔の文豪は云々って知り合いが言ってたっていう内容のツイートが伸びてた。
一回読んで、脳内で「だからあなたはただただその幸せだけを、幸せだけを行えばいいのだ」って文末に付け足された。
一瞬遅れて「茶番じゃねえか!」って思った。脳内で赤い着物着た高橋英樹鏡餅型ボタンを全力で平手打ちしてた。大正解じゃねえか。
なんも知らん人に「茶番じゃねえか!」って言ったらただの悪口になるのがまたちょっと面白かった。
 
言わずもがな「魂のリサイクル」が同じこと歌ってたんだけど、このツイート読むまで実はあんまり歌詞が全体的にピンときてなくて、良く聴くほど好きってわけでもなかった。
「限りなく広がるこの宇宙の中であなたの行いのすべてが無意味」とか「命は命でしかない」とか何回聞いても額面通りにしか受け取れなくて、そんなことねえぞ、っていう反発心的なものがちょっとあった。だから歌詞もばっちり覚えてたわけじゃなかった。
自分の中にそういう視点がなかったうえに読み取ることもできなかったのが原因だって今はわかるんだけど、それがこのツイートで端的に表現されてたから自分にも理解できて、そういう概念があるんだなあっていうのを吸収すると同時に魂のリサイクルがスンッて腑に落ちて、さらに同じ曲の中で歌われてる「で、どうするの?」っていう対処・結論的なものが自分とこのツイートにバッってかぶさってきて、すげえってなった。
 
曲を聴いてる時に自分の得てきたものを思い出したり引き合いに出したりして曲を解釈する、っていうのをよくやってた。
今得たものを既に知ってる曲が歌っていて、さらに今得たものに補足までするっていうパターンが初めてで、しかも全部ドストレートにその通りすぎて全知全能か?ってしびれてしまった。
もっといろんな概念と曲を得てきた人からすればそっちの方が多いのかもしれんけど。
改めて曲聴き直すと印象も重さも全然違っててまたしびれた。ありゃすげえ曲だった。無知は罪だ。
 
サビで「行いのすべてが無意味」ってわざわざ言ってくれてるけど、しょっぱなからそれを大前提とした歌詞なんだなって今更ながら思った。曲調も最適解だと思う。暗すぎないけど明るくない、騒ぎすぎず落ち着きすぎずいい塩梅。だからピンと来てないのに何回も聞いてたわけで、曲としての完成度は歌詞が読めなくても高かったんだと思う。
輪廻転生の前に命のあり方は等しく無意味なんだから好きに生きりゃええんやってことかなって今気づいた。これ書きながら相変わらずリサイクルってなんやって思ってたから今すげえスッキリした。違ってたらめちゃくちゃ恥ずかしい。読解力の乏しさが露呈して悲しい。茶番ほど額面どおりが一番わかりやすい曲もないのに。
他の曲は違うテーマについて歌ってるけど、茶番は人間についてたくさん歌ってるから結局魂のリサイクルが前提になってるとも言えるし、茶番からしたら分かり切ってる当たり前の事なのかもしれないし、とにかく根源として大事な曲なんだなっていうのがわかった。
 
魂のリサイクルの後に「感じる事」を聴いてて、この2曲にセット感を抱いた。無意味、無力だけど今生きてるという全部の事実を肯定してて、もちろん「感じる事」でテーマになってることは「魂のリサイクル」と「同じ光」の中間にある別の事だけど、でも魂のリサイクルの後に聞くと軟膏感があるというか。魂のリサイクルの中で歌ってることとは別の方面から生きる事をポジティブに捉えていいんだよってなだめられているような気分になる。
うまく表現できない。自分がそう捉えたいだけかもしれない。
 
この曲書いたときのオミちゃんは当然自分より年下だけど人生何周目なの?
他の曲もそうだけど世のことわり解しすぎじゃない?神か?
自分がいいと思ったものに傾倒しすぎる癖があるのはわかってるけど、なにもかも先回りされて教えられてばっかりだからはえ~としか言えない。全人類聴くべきとしか言えない。
っていう崇め癖や吹聴癖に釘を刺す歌詞もばっちりある。
もう逆に怖い。
 
 
輪廻転生のところで急に満足しちゃって尻すぼみになっちゃった。
他にもいくつかピンときてない曲があるけど、魂のリサイクルみたいに生きてりゃそのうち理解できる機会が来るのかなって思ったらもうちょっと人間やってこうかなっていうやる気が出た。
悪くない。

ママ~聞いて~

妄想と欲求と願望が先走って周囲が見えなくなるのは今に始まったことではないが、この歳になってもそれが直っていないのはいかがなものだろうか。
たとえそれが他人に迷惑をかけていなかったとしても。
 
一度「言いたい!」と思ったことを言わずにはいられない。
くだらないダジャレとか、ただの感想とか、レベルの低い欲求ならツイッターに殴り書いておけばそれで収まる。
厄介なのは、「言いたい!」の中に特定の人物から認知されることを欲求として含んでいる場合。
その対象が対面で話す人であればある程度自制が効くこともあるが、この場合自制心なんてものに期待してはいけない。
さらに厄介なのは、この欲求の発生タイミングに関わらず頭が「言いたい!」に浸食されて他人の話を聞く耳と状況を見る目を失ってしまうこと。
口は災いのもと、と念じて、それがどんな内容であれ、当たり障りのない言い方に変えるなり諦めてダダ漏れにするなりしているが、そもそも意志の弱い自分の自戒では限界がある。結果、「人と話さない」という抜本的対策をとることになり、自戒の強度はさらに落ちる。
リアルの付き合いがある人は多少の人読みをしてくれるし、自分という人間と対話してくれるのである程度真意を伝えるとこまでたどり着ける。この問題において唯一の救いであると同時に、この経験が世間一般に比べて圧倒的に少ないことがそもそもの原因だとも思う。
 
 
言いたい対象が配信者だった場合。最悪である。
まさに配信者相手にやらかしてしまったこのやるせなさを書き留めておきたくて文章をしたためている。
その人が配信するのを待って、話題が切れるのを、もしくは言えそうな話題になるのを待って、何度もコメントを作り直して、ここぞというタイミングでEnterキーを押す。たいていの場合、眠気に抗いながら、酒の力を借りながら。
我ながら気色悪いことこの上ないなと思う。
言いたいことっていうのが大抵その配信者が拾いそうな話題だったりするので、スルーされたらいい結果。読んだだろうけどどう思ったかは明かされない。自分が満足感を得ておしまい。配信のアーカイブが残ろうとも傷は浅い。
読まれて、思い通りの反応だった場合。傷はなくうれしく感じるものだが、自分を調子に乗せてしまうのでよろしくない。
読まれて、思い通りではない反応だった場合。これが最悪。場を濁すコメントをしたことを悔い、真意を釈明したくて「違うそうじゃない」と精彩を欠いたコメントをして傷をえぐる。
配信者本人はそんな些細なこと覚えていないだろうが、他の視聴者もそうとは限らない。少なくとも自分は配信者に読み上げられた他人のコメントを覚えている。
 
この失敗の原因はコメントを練ってしまうところにある。
配信を聞いている最中に言いたくなったことであれば、反射的で簡潔なコメントになり、話題からも浮くことはない。コメントとしてあるべき(と自分で思っている)姿を保てる。たとえ場を濁してしまっても、あちゃー程度で済む。
配信外で言いたいことができてしまった場合、それはそもそも配信に関係ないことなので言い出すこと自体ヤベー奴レッテルを貼られるリスクがあり、それをコメントできる機会まで時間が空いてしまうので、できるだけ簡潔かつ幼稚に、でも言いたいことが全部こめられるように、たった十数字をこねくりまわす。こねこねしているとその文章に意識がどんどん持っていかれ、ないがしろにできなくなる。ただの「言いたい!」が「(時間をかけて練った渾身の一文を)聞いてくれ!」に肥大する。後に引けなくなる。期待で肥大した言葉でなければ、場を濁したことや真意が伝わっていないことを必死でフォローしようとはしない。
長文のメールをしたためて送りつけるよりは害がないと思っているが、そもそもROMれないことが等しく害なのかもしれない。
それどうなの?と思うようなコメントもたくさん見かけるけど、他人を理由に自分の行いを正当化するのは違う。
 
こねてしまう弊害はこういう記事にだって言える。「書きたい!」と思った時のゴールがどんどんぶれていく。
衝動的に出る言葉が一番本質的で残しておくべきものなんだけど、自分の本質が浅いことをさらけ出す勇気がなくて、体裁を整えようとこねこねしているうちに内容も対象もよくわからないものになる。文章長すぎるのもそれが原因なんじゃないかと思う。のーみそこねこねこんぱいる(脊髄反射)
 
最近のメイン趣味が配信鑑賞になってしまって、最初はおとなしくROMって雰囲気を楽しんでたのに「このくらいなら自分もコメント打てるな…」って欲が出てきて、結果自滅的にそのコンテンツに嫌気がさしていく。
今日の自分はろくじゃないな、って思ったら即配信閉じてTSで観る。そしてコメントに打っていたかもしれないことをツイッターに書きなぐる。
そのくらいの自衛はできてるのに、言いたいことがひとつ溜まるだけでそれができなくなる。
我ながら自滅のプロだと思う。下手くそか?
 
 
ここまで書いていて、誰か特定の人に言いたいことがあるときはそれを伝えたときの反応が見たいっていう気持ちもセットになっていることがほとんどで、つまりその人とその言いたいことについて対話がしたいっていう欲求と大差ないじゃん、っていうことに気付いた。スルーも反応の一種だし。
その対象が配信者だったらまず対話なんて叶わないし、そりゃ拗らせて事故るよなあって思った。
昔それで大怪我したことあるのにまだ懲りてないっていう事実に今結構落胆してる。ふてぶてしい…。
こういうこと考えてるとほんとに自分のクローンがいればいいのになって思う。それで全部解決するのに。
 
 
ちいちゃい子がよく言う「ママみてー!ねえ!!みて!!!!」の精神が一向になくならない。
このブログだって、自分の脳みそを誰かに見てほしいっていう欲求が限界値に達した結果生まれたもので、それが続いてしまっている。こんなん書かなくて済むなら一番いい。
”小さな俺のさらに小さな醜い部分”の一部。一生おんぶしていくしかない。でもまだ自分にその覚悟がない。
他人の気持ちは読めないのでこわい。コミュニケーション怖い。正解がわからない。でも他人と接点がないと満たされない。
 
「ねえ聞いて~!!」って強引に耳を借りたわりに言いたいことがまとまってなくて、「なんか言いたい!」っていう気持ちだけが残ってしまって伝えたいことをねつ造しはじめる、ってところが保育園児時代から一向に成長していないので悲しい気持ちになった。ねつ造した部分も言いたかったことなのは間違いないんだけど、最初に言いたかったことと状況やパターンがずれていたりする。脱線の種になる。
本当に言いたいことがあったのか、貧相なボキャブラリーを披露したいだけなのか途中で見失わないようにしたい。
出来るかなあ。出来ねえだろうなあ…。

かみまみた

ついに、ふりだしに戻った。
わりかし順調だったんだけどな。
 
っていう記事を2週間前に書いたんだけどPC開くのが面倒で放置してたら左手についてはもう復活した。
右手は状況変わってないというか若干悪化したので適当に読み替えてくれ。
 
 
前回、経過観察を書いてから変わったことといえば、爪切りを買ったこと。
爪切りが今まで必要なくて、いざ爪を伸ばし始めると邪魔になった時に困るということがわかったので買った。
その邪魔さに慣れないと爪は伸ばせないんだろうかっていうくらい見た目はそんなに伸びてない。
親指でなんかするときに爪長いとあんなに邪魔なんだねぇ。
 
何がいけなかったんだろうなって考えてるんだけどちょっと現実逃避が入ってしまってあんまり分析できてない。
爪が伸びてたときは比較的爪の強度も上がってたから噛もうにも噛めなくなってた。爪を切った時のやすりがけが甘くてわずかでも引っかかりを残してしまったのが原因だろうか。
ガって噛み切るっていうよりは端の方に切れ込みを入れて剥くっていう噛み方なのが一番よくない。それで今右手がボロボロ。
無限プチプチみたいな無限ムキムキほしい。まずは癖の対象を爪以外にしたい。そっからやんないと厳しい気がする。
 
やっぱり爪を伸ばすだけじゃなくて噛み癖(剥き癖)を根本的になんとかしないといけない。
せっかく伸びてもどうせ一定の長さになったら切ってしまうし、切った時に追い打ちのように噛んでしまってせっかく伸びたところを滅してしまう。これじゃ全然前進できない。
 
3ヵ月前と唯一違うのは強烈な深爪感があること。
長さ的には以前と同じくらい、むしろ人差し指と親指は定着した分若干長いまであるんだけど、爪先がスース―する。
爪があるべき場所にない!!って認識してくれてるんだなって思った。これは前進ととらえていいと思う。
 
小指~中指は伸びてるなーっていうのはわかりやすいけど相変わらずピンクの部分は全く伸びない。待つだけじゃやっぱだめなのかな。対処法がわからん。
人差し指と親指は伸びるのクッソ遅いけど確実にピンクの部分が伸びてる。ひょんなことでガって白く凹んじゃうことあるけど待てばまたピンク伸びてくる。そのかわり薬指とかに比べて伸びしろが少ないので、いっそ指ごと伸びないかなって思ってる。そもそも手が小さいのよな。親指短いのは遺伝だけど。
 
右手はガチ深爪中なので左手と比較にならない。まじで右手どうすべなあ。左手が順調だった間も右手が改善されたこと一度もない。むしろ左手噛めない分の煽りを食らってた気もする。
左手を右手に反転してコピペしたいんだけどそういう技術ない?

大して重くないや

茶番との出会いや影響については先日の記事に書いたので、今度は曲について書く。
自分の中の茶番を語るうえで、そして自分のメンタルコントロールを考えるにあたって、『おんぶ』という曲は絶対にはずせない。
わざわざ注釈することじゃないけど、2020年9月現在の自分の中にある『おんぶ』について書いているので、未来の自分にとっては全く共感できないものかもしれないことは断っておく。
 
 
『おんぶ』は例の除雪車配信では聞いた覚えがないので、初めて聞いたのは濃縮。でも茶道ver.の方が好み。
イントロで既に好印象だったことを覚えている。純粋に音が好き。
特筆すべきは言うまでもなく歌詞で、まぁ~刺さる。これでもかってくらいストレートに脳にグサグサ刺さる。茶番なのでそれが特色なんだろうなっていうのはなんとなく察していたけど、こんな強い曲ある?って思った。思い当たる節がある自分には痛快すぎる曲で、一発で好きになった。単純な”好き”の具合だと他の曲と甲乙つけられないけど、信頼度合いで言ったらそれはもう群を抜いて1位だ。
 
なぜそこまで刺さったか。
過去の失敗や恥を何度も詳細に思い出してしまっては、それに数日間気分を引っ張られて鬱々しい気分になったり突飛な言動をしたりして、苦しいし体力や時間の無駄だしやめたい!って長年思ってたのに自力で対処する術が見当つかなかったからだ。
恥、例えば、某界隈キッズだったころに特に好きでもない配信者にクッソ気色悪いコメント添えてスパチャした時に言われた「はい気持ち悪い」とか、イキリまくってた頃にツイッターで炎上しかけてフォロワーの手で2ちゃんに晒されたこととか、茶番を布教してくれた配信者の配信でリアルタイムでおんぶ聞きたくてしつこくリクエストしたこととか。自業自得すぎる。文字に起こすのもまだめちゃくちゃしんどい。
「気分転換」がカギだと思って、そういう事態に陥った時は多少無理してでもちょっとアクティブになってみたり隙間時間を埋めるよう心がけたりしてみたけど、お風呂に入っているときや車の運転中、寝る前とかのどうしても脳みそが空になる時間に奴はやってきてタイムスリップさせようとしてくる。「ああしておけば」「やらなきゃよかった」って、もう干渉できないのに正当化の方法を考えてしまう。そして今できることへのMPが消耗していく。ツイッターしてる時間の100倍無駄だってわかってるのに抜け出せないのがほんとにしんどかった。
 
 
それをぶち壊してくれたのが『おんぶ』。理由は歌詞を読んで字の如し。
だってさ、歌いだしていきなり「結論、過去は消えません、おしまい」って。そんなん言われなくてもわかっとるわい!っていう反発を消し炭にする端的なド正論の威力たるや。たった一文で、しかも一言目に「結論」「おしまい」って言われたらウス!ってなる。いきなり反論の余地がない。最初に聞いたとき、確かここで笑っちゃったような記憶がある。
しかも何発も追い打ちが来る。「過去は不変、そう簡単に忘れられるもんじゃねえ」っていうそれだけを表現するための歌詞に往復ビンタを食らう。Aメロ全部それに費やしてんだから効かないわけがない。そしてその往復ビンタが気持ち良くて気分がだんだんすっきりしてくるもんだからもうこの時点で完敗なのである。
 
Aメロではたかれまくって赤く腫れた頬に、Bメロ~サビはキンッキンに冷やした濡れタオルで喝を入れに来る。聞くときの自分のコンディションによっては、ぬるま湯で濡らしたタオルを当てられている気分にもなる不思議。
解釈も何もほんとに歌詞そのまんまなので捉え方の問題でしかないけど、叱咤とも開き直りともとれる物言いが感情になじみやすい。素直に受け入れやすくて、そして強く歌ってくれるから、悶々とした回想を映してる脳内モニターに「これは失敗でした!!」って極太油性マジックペンで落書きされて現実に引き戻してくれるうえに、よっしゃ~おいらの醜いところ背負うで~っていうポジティブさを強制的に与えてくれる。
散々うなされた過去の悪行たちも、いざよっこらしょって背負ってしまえばマジで大して重くないこともあれば、背負いきれないって感じても大して重くないって意地を張ってみれば案外何とかなることもある。それは過去に振り回されてたらわからないこと。背負ってみて、もしくはこっちが振り回すつもりで引き摺ってみて初めて絶対消えない未練たちとの付き合い方が見えてくるんだなって知れた。
自分の脳みそが単純だからこの曲ひとつでここまで気分の切り替えができるのかなとも思うし、過ぎたことはそれだけ単純で自分の背中ひとつで間に合うような代物だってわざわざ曲にして説教してくれてるんだろうとも思う。そりゃそうでしょって分かりきってることでも、自分の中で反芻するのと他人から言葉ではっきり聞かされるのとでは感じ方も影響も全然違う。
 
 
何度、どんな状況で聞いてもおんなじ結果になるのは音楽っていう表現方法の強みなんだろうか。思考回路がショート寸前になったときはお気に入りの文章を読んで脳内を上書きするようにしてるんだけど、このタイムスリップ鬱にそれは効かなかった。文章は考えながら読むから意識リセットしやすくていいけど、読むときのコンディション次第で文章の意味そのものが自分にとって何の効果もなかったり余計に凹んだりすることもある。音楽には詩に加えて音があって、演奏で曲のテンションが固定されてるから効いてる側も受ける印象が固定されやすい、とかそういうことだろうか。匂いと同じで、一番よく聞いてた時の心情が曲に乗り移る説も一理ある。
『おんぶ』は音のノリが軽快なのに地に足ついてるというか、言葉をすんなり受け入れるために耳をほぐしてくれるような質量のある心地いい音で、そこに言葉がポンポンとのってくるのが「そんなしょーもねえことでしみったれてんじゃねえよ」的なカラッとした救済になってるんだなぁ~って思う。
いや茶番は別に忘れたい過去を「しょーもねえこと」とは書いてないし、逆にそういう過去ってマジ重てえよなって思ってる歌詞に聞こえてるけど、おんぶしちめえよ、前向けよ、的なテンションの曲だから多少の強引さを感じる。その強引さがこの曲のいい所であって、でもあらゆる状況で救いになるような曲ではなくて、メンタルしなしなへにょへにょの時にこれ聞いたら抵抗力ゼロだからそのまま心もげる。
しなへにょの時はほかの手段で湿気を出し切ってから仕上げとして、とりあえず後ろや下以外の方向を向きたいときに聞くとより効果的。
 
 
全体的に衝撃性の高い歌詞だし一言残らず全部好きなのでピックアップするのが難しいけど、あえて印象的な部分を挙げるとしたらやっぱり「全部忘れたらあんたいよいよホントの馬鹿だよ」だろうか。ここはオミちゃんの歌い方もあいまって一番ドキッとする。叱られてる時のような緊張を感じる。実際お叱りの言葉なんだけど、そういう歌詞聞いてて自分事だと思ったことがないので新鮮だった。
あと、「人を崇めてばかりで己すらもヨイショできなくてどうすんの?」も絶妙だなって思った。最初聞いたときここちょっとテイスト違うなって感じた。たらればを考える時って少なからず自分を否定してるし逃避&自己肯定感下がりがちなところにこの叱咤風の軟膏。カバー範囲広~って思った。
開き直りじゃなくて見切りをつけてるのがいい。何かを諦めるのって難しいことだけど、こうも覚悟満々で強気に歌われたら便乗するしかねえ!忘れるの諦めるしかねえ!ってなっちゃうんだよなあ。
 
 
 
ここまでたらたら感想書いたけど、Youtubeに上がってる『おんぶ』が世に出たときの放送の切り抜き見たら自分の言いたいこと全部出演者が言ってて。
一曲流れた後のヒロミの「んん↑ん~~~~~~~~~んん↓~~~~~…ィいいっ!」に全部こもってる。わかる。
「一行目が出てきたところでもう茶番だなっていうのがでちゃうのすごいっすね」って言ってるおじさん、わかる。ほんそれ。
「未練」がテーマに含まれてそうだなっていうのは聴いてりゃ嫌でもわかるけど、きっかけが恋愛の相談メールとは想像してなかった。でも恋愛の未練ってなにより根が深いから絶対忘れられないよなって思ってたらオミちゃんも同じこと言ってるし、強い曲になるのは納得だったし、「結論」って言ってる通りあの一言目がすべてなんだなって分かってこれから聞くときにさらに威力が増すなあって思った。あと哲学ソングって言われててわろた。
「忘れたいんです!」っていう至極真っ当な願望に「無理です!」って即答できる価値観を、「歌詞で聴かせる」って葉加瀬さんも言ってたけど歌詞にそのまんまのインパクトで出せるって天才じゃない?天才。
というか番組の企画でできた曲だって知ってかなり驚いた。他にも何曲かあるみたいね。令和の今助けられてる人間がここにいます。ありがとう。
 
 
文字に起こすの難しいねえ。。。
8割くらいは書けたと思うけど、自分が『おんぶ』聞いてる時の高揚感やありがたさがいまいち表現しきれない。
配信でリクエストして流してもらった時は配信者はこの曲をスキップしようとしてたから印象の個人差が大きい曲なんだろうなと思って、大して好きじゃない人もいればこの曲に命預けてる奴もいるんやでって残しておきたかった。
自分の葬式のテーマソングにしてほしい曲No.1なんだけど誰かしらに怒られそう。
 
『おんぶ』でさえ背負いきれないようなことを自分でやらかすとは思っていないので、この曲さえあれば死ぬまで生きていられる気がする。
生き恥も後悔も未練も全部よっこらしょ~のしょ~!
 

気づいたんだけど

今、茶番のCDの歌詞カード眺めてたんだけど、

オミちゃんの爪、自分と同じじゃない????

 

濃縮茶汁の表紙見て気づいたんだけど、

めちゃめちゃ深爪じゃない???????

人の爪のことあれこれ言える身じゃないし全部ブーメランになるから嫌なんだけど

うわぁ今の気づいた瞬間のうれしいような申し訳ないようなこの気持ち採れたてで文章にしたかったのにもう酸化した、つらい。

 

なんならこの一か月半で伸びた分自分のほうがピンクのとこ長いかもしれない。

他人で自分くらい爪短い人見たことなかったからまさかのオミちゃんが同じ長さでちょっと興奮してしまった。なぜ今まで気づかなかったのか。

この写真撮ってから軽く20年くらい経ってると思うけど今はもう普通の爪になったのかなと思ったので自分の未来を追うつもりで昨年の写真見てみた。

けど手写ってないね。生で観ろってか。

2014年にフードコートらしきところにいるオミちゃん?の写真も見たけど画質の関係でびみょい。

 

今オミちゃんの爪がどうなっているかわからないということは自分の爪が今後どうなるかも未知数のままってことか。

左手人差し指の爪が正方形から縦長にシフトしてきてて割といい感じなので自分はきっと伸ばせると信じてる。

オミちゃんは爪なんて気にしてな…いや気にして…してるか…?

伸びててもそのままでもどっちでも「わ~オミちゃんっぽ~い」って思いそうなのでどっちでもいいか。

枝豆のおいしい茹で方

夏といえば枝豆。枝豆がなければそれは夏ではない。
実家の枝豆がなじみ深いせいか、店で食べる枝豆や有名レシピで茹でた枝豆がいまいちピンとこない。
我がばあちゃんの普通の茹で方で一生枝豆食べたいので、メモアプリや付箋ではなくネットに書き残しておく。
 
  1. 枝豆をボウルか袋に入れ、あら塩を適量振りかけてよく揉む。
  2. しっかり洗い流す。
  3. 鍋に洗った枝豆と適量の塩、コップ一杯の水を入れ蓋をする。
  4. 中火で6~7分茹でる。量や大きさに応じて調整する。
  5. ざるにあけて水気を切り、追い塩を振ってかんもす。
  6. ざるのまま、もしくは新聞紙やポリ袋などに移し替えて粗熱をとる。

 

揉み洗いの塩はスクラブ代わりなので、量は少なすぎなければいくらでもよい。
茹での塩はちょっと多めくらいだとしっかり味がつく。スーパーの一袋に対して大さじ1くらい?
追い塩はシャッシャッくらいでいい。多いと食べてる最中に口と指がしょぼしょぼする。
追い塩を気持ち大目に降って袋に入れて冷蔵庫で一晩寝かせると塩気が浸透して無限に食べれる最強の枝豆になる。
こ~れが最高なんよ。枝豆だいすき。日本酒もいいぞ。

爪くん観察日記

人生初の爪ニョキニョキ事件から約1ヵ月が経過した。
あの記事書いた後医者行ったりとかはしてなくて、白いところが伸びすぎて割れないうちに1回切った。
で、今ちょうど第2回爪長くて邪魔だよ~選手権開催中。邪魔だよーっっていっても常人よりまだ圧倒的に短いので慣れって怖いなって思う。
あと一週間くらいしたらまた切る。
 
途中経過として各爪のコンディションを記録しておく。
まず左手の小指~人差し指は特にトラブルもなく順調。それぞれ白い所が1㎜ちょい、ピンクの所が0.2~0.5㎜くらい伸びてる。この一ヵ月で伸びた爪のピンクの所は伸びる前の爪とは色が違っているので進捗がわかりやすい。左手親指は気を抜いたらいつの間にか白い所がなくなっていたので他4本より若干出遅れているが、成長した部分は残っているのでまだ挽回できると思う。縦横比が1:2くらいになった。
一方右手はというと、元々左手より噛む頻度が高くて極端に短かったせいもあり、確実に伸びてはいるものの左手の初期値と同等くらいなので、やっとスタートラインに立った状態。
ただ、中指~親指の3本は未だ成長の跡がみられない。正直、いつ噛んでいるのか全く記憶にない。中指は白い所こそ若干作れてはいるもののピンクの所が全く伸びていないので不安しかない。噛む頻度自体は一ヵ月前以前よりだいぶ落ち着いてきたと思うんだけど。
 
伸ばしてみていくつか分かったことがある。
まず、薬指の爪を伸ばすのが難しい。水が入るのか圧力がかかってるのか原因はわかんないけど爪がUの字に白くなってしまって尖らせなきゃいけない真ん中が全く成長しない。伸びた爪のほとんどが白くなってしまい一切ピンク色が伸びない。爪の先端から指の先までの距離が一番長いの薬指なのでのびしろはダントツのはずなんだけど。育て方に問題があるのか?絆創膏巻いて爪の間に水とか入るの防いだ方がいいのか?
あと、人差し指と親指の爪。ピンクの所がなぜか片上がりに伸びる。親指側はなかなか伸びないのに気付くと中指側がめっちゃ伸びてる。でも白いとこは偏りなく伸びてて普通の弧になってるので爪切りの時どうやって切ったらいいのかわからなくてほぼ切ってない。力のかけ方とかで内側が剥離しちゃうのか?わからん。
やっぱりそれなりに爪プロにご教授頂いた方がいいんだろうなあ。通える距離に爪伸ばしコースのあるネイルサロンあるけど通う勇気がねえ。でもどうせ爪伸ばすならきれいに伸ばしたい。。。
 
さすがに一か月程度で人並みになるとは思ってないので残念とは思わない。むしろよう続いとる。3週目くらいで全部なくなると思ってたけどまだ生きてる。とりあえず継続するしかないし現時点で心境の変化的なものはまだない。
もうちょっと伸びたら小学生ぶりにトップコート塗ろうかしら。