ノーリターン
コントロールできてない欲および勘違いの直近の話
数日心臓が落ち着かないから吐き出しておく
こんなにも欲と恋慕を否定するのは
最初が4年くらい前、寝起きにただ沸いた欲だった時
次が2年前、指向がストレートだとしたら相当とがった冗談を隠し聞きしたとき
今回、一人称も二人称も曖昧な、ストレートでないことの示唆を直接もらった今
自分がなまじ相手のことを意識しすぎているから「お前そうなんだろ?知ってんだ」ってきこえてしまっただけなんだと思いたい
あの会話の主体は自分でも相手でもなかった
でも主体はお互いの思想がどうしてもにじみやすいものだった
だからわからない
こっちが相手の主体の隠し事に気づいていたのはこっちも同類だからだ、って話を出してきた理由が
こっちの主体はそういう話はなかった
自分もそれをにじませた覚えはない
単に「同類同士だと第六感的なものでわかることがある、だから【同類だとは思ってない・言って無いけど】そういうセンサー的なものをたまたま持っていたんじゃないか」って主旨でない限り、「同類だからわかったんだよね?」という指摘でしかない
主旨すら確認できなかった つつき方一歩間違えたら即アウトだからだ
その時もつい言ってしまったけど、性的指向の話なんか話題に上った時点でアウトなんだから 逃げ道ないんだから 大嘘吐くしかなくなるんだから
そして一番わからないのは、この話が「相手も同類じゃないと成り立たない」というポイント
いや、さすがに自他境界線めっちゃしっかりしてて長年二次元と自分を上手に切り離し続けてる人にそう思うのは失礼ではあるんだけど
架空の主体にその理論をあてはめられるほど些細な点までストレートでないことをにじませることができるんだとしたらそれは相手が自分と同類だってことなんじゃないかって どうしてもそう思ってしまって
そうとしか思えない、っていうのがまずド級の勘違いなのは間違いない
だって話の主体は相手の架空の人格だから
なのにそのせいで最近おとなしかった期待が爆発してしまって
話のサビがすり替わってしまって申し訳なくて
でも確実にもう後には退けなくなってることに気付いてしまって
諦めるべきものがどれかもわかんなくなっている
そういう備忘録
境界ガバガバ自己投影型の自分がこういうのやるべきじゃなかったっていうのはこういうことなんだよ
主体の話に自分を割り込ませようとしちゃうんだから
でもほんとにアウトだったら自分の主体をゴリゴリにそういう指向にしてただろうから
最低限、守るべきものは守ってると思いたい
最悪よ
ほんとにごめんねクソみたいなボーダーで
気を付けるので
自分もただ楽しく遊んでいたいだけなので
物好きの所感
今なにげにアクセス解析みたら累計アクセス数500とかになってて草生えた
どうやって見つけてくるんだよこんなとこ
アクセス元もアクセス先も真っ白だし、昔検索かなんかに引っかかってたっぽい茶番関係も修正して2年は経ってるはずだし
今週も3アクセスとかあった 自分記事書く時しかはてな開かないから絶対自分じゃない誰か はてなブログも全く見ないから新着とかでどっかに晒されるのかも分かってねえ
よう今週アクセスした謎の誰か どの記事見に来たんだ
風邪ひくなよ 二度とこんなとこで時間を無駄にするなよ
わかるよ自分もよう知らん奴の意味わからん垂れ流し文章好きだから
それにしたって500は多すぎて意味わからんな 塵積もこっわ
自分の承認欲求満たすには10とかで十分なんよ
残りの490アクセスに通信料返還しよ
中途半端
わりともう既に諦めきっているように見せかけて水面下でどちゃくそ期待しくさっている友人への愛着について、一度文字に吐き出しておかないと死にそうになったので書く。
別ルートの友人に聞いてもらっていたけどあんまり気持ちのいい話でもないだろうし、今後は控えようと思った。
せっかくこのゲロ場を作っておいたのだから活用しない選択肢はない。
もうこのブログの書き方も忘れて久しい。
あの頃ほど思考を溜め込まずに済んでいるのも、ここしばらく人生で最も健康で幸福なのも、全部友人のおかげだ。
今の生活の主軸を友人が占めているから、それ以外に要因が無い。誘ってくれるし誘われてくれる。人間に生まれてこれほどまでに幸せなことはない。
最初に現在の事実を書いておこう。
身もふたもなくて書きながら否定したくなる要素しかないが、認めてからでないと進展も後退もできない。
・恋愛感情とは断言できない
・性的な目で見ている
・決して他の要素に上記を投影はしていない
・とにかく死ぬまで一緒に楽しいことできたらそれでいいとも思える
・それはそうとして友人の一番になりたい(今回の肝)
・ゴミみてえな夢
恋愛感情かどうかは微妙である。二人で出かけた時に「この人と恋人になりたいか」と考えてみて、なりたいと思う気持ちはあれどそれをはるかに上回る不相応・不安の感情が湧く。それに積極的にその道をなんとか開拓してみせるぞ、という熱意は湧かなかった。
無意識下で期待の自然消滅をすべきという思想が働いているかどうかは自己判断できない。
そもそも性格や価値観のミスマッチが目に見えている。これ以上近い距離感になったらお互い許せないポイントが出てくること必至。そんな不要な心労かけるのは傲慢以外の何モノでもない。そもそも友人はノンケなんだわ。マジでどんな妄想だよ馬鹿がよ
愛とはそういうものだ、って言いそうな他の友人もいるが、まさに長年連れ添ったその友人のほうが価値観や性格は真逆で今耐えかねて距離を置いてる最中だ。たぶんもう嫌いの域に入ってしまっていて、好感度戻せないなっていう直感があるのでそれはそれで別件として悲しく思っている。
次。それはそうとして性欲の対象である。とにかく触りたくてしょうがない。おさわりとか肌の露出とかに未だに童貞みたいな反応しかできない。
家でサシとかいう奇跡的な(友達であれば普通のはずなんだよな)状況下で例の「皮向きたての桃に直で鼻を突っ込んだようなめっちゃいい香り」とはちょっと種類が違うけど同じ濃さのいい香りがしたときに終わりだアハハって思った。
うちのシャンプー(ややスパイス系の香り)使った直後のことなのであれは例の性欲センサーとしか判断できない。縁切るか死ぬかしか選択肢がなくなった確固たる証拠。
あの時は酒も入ってたのにギリギリ手出してない(おさわりというセクハラ、「これセクハラだなあw」と直接言って否定させるとかいう極悪のセクハラは別途有罪としなんらかの罰にかけることとする)のは最低限ながら頑張ったと労ってやりたい。あわや「人の内ひじのはじっこの肉溜まりみたいなやわらかいところが口にジャストフィットなのでかぷっとするのが好き」とかいうゲロみたいな性癖ゲロりそうになったのを間一髪(文字通り、ゲロるミリ秒前)で回避したときは酒が一気に醒めた。
それはそれとして超楽しかったから何度でもやりたいけどいつまでなけなしの自制心が保つか自信が無くて誘えない。死にたい。
万が一に備えて次の話はぼかしにぼかすけど、二人で話してる例え話があったとして、そのもしもの話に自分の状況とか期待とかを投影して話すことはしてない。普通に失礼だから。
というか例え話の世界観に沿うのとかその状況において最もふさわしい言葉とかをひねり出すので精いっぱいなのでそんな浮かれたことしてる暇ない。ほんとに嘘偽りなく、必死でやってる。これだけはマジで信じてほしい。
付き合いたい!GOGO!とはなってない以上、私にとってのベストってやっぱり「進展も後退もしない現状維持」を死ぬまで完遂することだよなって思うのもまた本心。
なぜなら一緒に話すのも遊ぶのも楽しすぎるから。
ストレスが全くないわけじゃないけどびっくりするぐらいほとんどない。遊びに伴って出た不満しかないから普通にかかわってる上で不満に思ったことひとつもないかもしれない。
なにせ会話がちゃんと成り立つので言いたいこと言いやすい。あとすこぶる話聞くのがうまい。使ってる会話術が私と似てる感覚もある(自惚れ)。だからこそ今まだ抱えっぱなしの不満を腐らせるのも怖いんだけど。
こんなにも友人との予定を詰め込みまくってストレスゼロどころかむしろ元気になって日常生活エンジョイできる、とかいう状況が初めてなので、友人にはありったけの金つぎ込んだフラスタでも送ってやろうかと思う程度には感謝しかない。今までは喋れば喋った分だけ楽しさと引き換えに疲労が残ったけど(飲み友もほとんどストレスに思ったことないけど内容的に体力的疲労がどうしても減らせない)、今は喋れば喋るだけもっと喋りてえ!通話切っても楽しいまんまでハッピ~!になる。自分の経験に照らし合わせると異常としかいいようがないけど最高なのでヨシとしている。
それはそれとして自分がストレスフリーってことは向こうに皺寄せがきてるってことなので手放しでヤッターとはなれない。「平気よ」って言われたとてそれを鵜呑みにしちゃいけねえという強迫観念がある。本当に両者がストレス皆無なんて人付き合いは幻想だと思ってる。万が一マジでそうだったとしても、それを知れる術がない。信じればそこに幻想が存在できるけど、信じるのがなにより難しいし怖い。
肝要。嫉妬という感情について。
元恋人が自分と共通の友人に嫉妬していると聞いたときは「友達になんてこと思ってんだ信じられねえ」と思ったものですが、十年の時を経て剛速球みてえなブーメランになって返ってきて喉掻っ捌いていった。
他の友人に膝枕されてたり、他の友人と冗談で盛り上がっていたり、他の友人の冗談で聞いたことないくらい爆笑してたり、他の友人と自分の知らない記憶やジャンルの話をしていたり、他の友人を気に入っていたり、エトセトラ。
本来なら疎外感でシャー分かった消えますネ、となるのが正解のところ、こっちを見ろ!(某漫画家ネタ)になってしまってモヤるような思い上がり甚だしいバカになってしまった。
そもそも嫉妬できる立ち位置ではない自覚があることも書き添えておく。無自覚者だと思われるのがなにより自尊心の傷。
最近ちょっとよく遊んでるからといって、その遊び以外の接点ってやっぱりほとんどないし(といっても数年前まで皆無だったのがサシでの外出に付き合ってくれるようにまでなったので多少仲良くなったと言っても過言ではないと思いたい)。
居住地が離れているので、わざわざ予定を合わせなければ会うこともない。これはみんなそうかもしれんけど、他の「地元の縁」みたいなのがある友人にはやっぱりどうしても劣る。ローカルネタとか全く分からないし。
オタク的ボキャブラリーも当然一生かけても足元にも及ばないほどかけ離れているので、友人が満足できるような会話や要素を生み出すこともできていない。多分物足りなさをずっと与え続けている。オタクのなりそこないなりに処理できない感情を多少形にして共有することもあれど、それをめっちゃ欲してくれたり褒めてくれたりなど言葉にしてくれてはいるものの、100%言葉通りに受け取るのがやっぱりどうしても怖い。受け取れないのが失礼だと分かっていても、それで自分が調子に乗ってしまうのが正直死ぬより怖い。
ゆえになぜこんな頻繁に時間を頂戴できているのかが謎。次を語ってくれるということは少なくとも不快ではなかったんだなありがてえなという気持ち2000000%。それでまた好きだなあになる。チョロすぎて目も当てられない。
もう一つ、おわりで~すってなったのは夢。
前恋人の時も、告白が成功するとかいう自惚れの極みみたいな夢を見てそう遠くないうちに付き合うことになった。
そのジンクスでもないが、こないだ友人にキスされる夢を見たせいで気分の高まりをぶち殺せないでいる。
願望の塊すぎて起きた後はドン引きしかできなかったけど、その夢の中では感触があまりにリアルだったのと友人のクソぎこちないキスのかわいげ大爆発にうっかり文字通り天に昇れそうなほど気分が高揚した。
無駄に期待が高まってしまうのを自制できてない時点で人間性がゴミカスなんだけど、忘れようとすればするほどその時の光景が記憶にこびりつく。友人の顔(一生言えないけど髪型込みで好み)が至近距離で笑ってんのあまりに””””””夢””””””すぎて逆に宝物まである(オタク的表現の模倣)。
カァ~好きすぎて困った。一時間で頭からメモ帳に垂れ流したこの4千文字をネットの海に放流しないと気が済まねえというわけではないけど書いたからには出したらアと思う。
ゴミカスのクズだからよ、結局期待してんだ。この文章が友人に見つかるとかいう天文学的確率をよ。死んでくれ。それで困るの自分なんだわ。どうか折れてくれ。諦めてくれ。お前が恋愛対象として見られるに値するような自分の扱い方してねえのは自分でよく分かってんだろうが。鏡見ろ鏡。
そもそも相手ノンケだっつってんだろうが馬鹿が。
この独占欲が無自覚に暴走して今ある平穏すらつまらねえ消費の仕方しそうで、そうなったら逆に全部破壊しておさらばするしかねえなと思う。
逆に言うと、今この関心事以外に生活がなにもない。部屋がごみ、無保険、金ない、くらい。不安もなにもない。これが正常だという見方も、現実逃避や麻痺だという見方も、どっちも正しいと今は思っている。
昔書いた記事読み返してきたけどだいぶマイルドになったし何も改善してねえな死ね
マイルドになったの完全に相手に好かれたというあぐらかきのせい、あきらめたんじゃなくて開き直った
明日死ぬかもしれないんだから目先の楽しさおっかけたって罰は当たらねえ。愚行権大好き。老いたときに後悔しても自己責任。
なんとかしてずっと楽しくありたい。面白い奴だと思われたい。
むじぃ~↑(某芸人の締め台詞)
耐性の話
前の記事で「長くなるから」とかいっていっちょ前に記事分けしたこのエロ耐性の話。
単純に自分語りしておきたいだけ。
なお、耐性というのは「友人と下ネタを共有する」という状況についての話。
自分一人で見聞きしたり、友人たちが話している下ネタを聞くだけ、とかはなんの問題もない。
自分もその会話に参加する必要がある場合にとても困る、という話。
思い当たる理由は明確に3つある。
① 生まれ持ったエロの器が小さい
② 人と共有して恥ずかしい思いをしたことがトラウマになっている
③ フィクションよりリアルが先だった
なんでか知らんけど人に聞かせてえという欲が湧いてしまったので、それぞれ詳細を書き残しておく。
器が小さい
エロい!と思ったときにその感情を平然と処理する能力、というかなんというか。
自分がエロをエロだと認識して初めてそういうコンテンツに触れたのは中学校が初めてだったし、その後もいわゆる薄い本やエロゲなどに関わったこともほとんどない。人より経験値自体が少ないというか、そっち方面への貪欲さが全然なかったというか。
そもそもエロでなくても、ひとつ気に入るとそればかりを擦って新天地を探求したり解像度を深めようとはしないので、興味の器自体が小さいのだと思う。
ゆえにあらゆるジャンルに対してボキャ貧。
感受性としての器も小さい。ド童貞というか。
ちょっとしたパンツだったり生足だったり谷間だったりが露出してるだけでエッチ!!ってなって気まずい。いまだに。童貞以下。
男性向けのような過剰表現になってくるとグロく感じることのほうが多い。
トラウマ
器の小ささゆえに起きた事故だったようにも思う。
これは中学生の頃、友人2人と放課後に家でインターネットを触りながらお話していたときのこと。どういう流れだったかは忘れたが、自分が知っているとびきりのエロ画像を見せ合おう、ということになった。
当時は健全な某デジタルなモンスターオタクのワイ、「某女神型のおっぱいがえっち」くらいしか友人に話せそうなものは思いつかなかった。
でも根拠のない自信で満ち溢れていた当時の自分は、ひとつだけ今この場にふさわしい武器を思いついた。
個人サイトで見つけた、アニメ3作目のクールなヒロインが恥ずかし気にズボンを脱ぎかけているイラスト。
当時の自分はこのキャラクターが一番好きで、毎日悶々とこのイラストを眺めていた。自分の中ではこの世で一番エロいコンテンツだった。
これをとりあえず出しておけば友人たちも舌を巻くだろう、と負けず嫌い全盛期の自分はインターネットで検索して見せた。
当たり前なのだがめちゃくちゃ笑われた。「この程度でwww」「かわいい~~~www」と言われたのは今も音声つきで思い出せる。これも当然だが自分は消えたいくらい恥ずかしくて傷ついた。
そのあとで友人が検索してみせた画像の数々はどう見ても年齢的にアクセスできたらまずいものばかりで、ブラウザのバナーくらいでしかそんなの見たことなかった自分はますます消えたくなった。まだ自分は土俵に上がってはいけなかったのだ。
それ以来、そういう話をする機会にはほとんど出会っていない。
オタクの群れにいたわりにはすごいことだと思う。
しかし、ゆえに傷を癒し慣れることもできなかった。
人の会話を聞くだけならいくらでも聞ける。むしろそういう話は好きだ。
でも会話となると自分のボキャブラリー、経験値を少なからず晒さなければならない。
それがエロともなると、自分のコアな癖や人に知られるのが恥ずかしいと感じるもの、理屈とかではなく本能で本当に好きなもの、とかになる。
それを晒して「この程度」とか言われるのはマジで怖い。
今の友人たちは決してそんなこと口にしないだろうけど、
何度かそういう話題になって自分が喋った後のあのなんともいえない空気、
絶対「この程度で口を開けるなんてお里が知れるわね」的なことを思われているとしか思えない。
オタクに擬態しようと思ったときに絶望を覚えるハードルの一つは確実にエロだなと思った。
リアルのほうが先
記憶にある限り最も早くエロに接したのは小学校中学年のとき。
このころは「エロ」という概念も理解しておらず、もしかしたらそういう単語を聞いたことすらなかったかもしれない。
しかし感覚として、「イケナイコト」みたいな、子供ながらにムズムズする何か、というものは漫画などで覚えつつあった。
クラスにとてもませた子がいた。
ごっこ遊びなどで頻繁に一緒にいたグループのひとりで、ある日その子に「イイコトしない?」的なことを言われ、グループのみんなでノコノコと空き部屋までついていった。
放課後のクラブ活動でしか使われない更衣室のような場所が体育館のギャラリーにあって、そこは施錠されていなかった。
昼休みにそこに入った我々は、その子に指示されるがまま、一人ずつカーテンの束にくるまった。カーテンにはその子も入ってきた。
その子はエロ漫画に書いてそうなセリフを時折発しながら、カーテンの中に入っている人の乳首や股を指や口で直接触る。セックスの前戯とやってること自体は何一つ変わらない。これを一人につき数分、順番に繰り返していく。
カーテンの外にいる人は、それがなんとなくイケナイことだ!という雰囲気で盛り上がる。筋肉自慢大会の如くキャイキャイとカーテンに向かって声をかけていた。
当時はまだ性感というのが全く発達していなかったからか、雰囲気以外に楽しめるポイントは無かった。ごっこ遊びの延長だった。
肌を触ってるなあ、つばがついているなあ、という感覚しかない。
その子は楽しそうだったし、それを数か月間、人を変え場所を変え続けていたと思う。観衆なし、一人だけ呼ばれてそれをすることもあった。
文字に起こして思う、えぐい。
その子が満足したのか自然と呼ばれることがなくなり、自分はその後転校した。
この遊びの意味を理解したのはそれから十数年後のこと。
そんな遊びをしていたこと自体を忘れてのうのうと生きていた自分は、
学校で同性を好きになり、必死でその状態の解釈を試みていた。
自分はずっとノンケだったはずだ。えっちだってしたことない。
そう逡巡していたときにふと思い出した。
してるやん、同性とえっち。
うせやろ、と。
なんとかして原因をでっちあげたかった自分にとって、願ったりかなったりというよりは因果応報としての衝撃があった。
そのタイミングまでは比較的オタク的なエロ会話ができていた、と思う。
完全なファンタジーとして割り切ることができていて、なんというか感情移入のような感覚を覚えることはなかった。
思い出して以降は、というよりセックスを覚えてから以降、と言った方が正しいのかもしれないが、エロ会話に身を切るような感覚を抱くようになった。
なんというか、「自分って最初からエロかったんじゃん!最低!」みたいな。
そのとき浮かぶイメージは恋人とのセックスではなく小学校のときのあの光景。
理由はわからないが、あの頃の自分を面前にさらしているような感覚になっていたたまれない。この話を誰かに話したことはない。
多分だけど、「何も知らない自分が知っている人の前で雰囲気をわかっているかのように振舞う」という状態が会話中の自分の振る舞いとリンクするせいだろうか、とか思う。
単に感受性がバグっているだけかもしれない。会話ででてきたエロの状態や感覚を自分や会話相手で想像してしまうのが普通によくないだけ。
恋人や裸の付き合いをしたことがある友人相手だとこのいたたまれなさが出ないのも関連がありそうだな、という認識。
それっぽく歴史をこじつけようとして失敗しているのがこの章。乱文にもほどがある。
喫緊の問題
ただ単にそれだけなら別に今まで通り放置でよかった。
今さらこの問題に対して真剣に考えることになったのは、エロ話耐性をつける必要があるからだ。
オタクたち、思ったよりもエロコンテンツをこの界隈でやりたがっている可能性がある。
その輪に自分も入っているので、なんとかそのエロコンテンツに沿った回答を出さなければいけない場面がある。
つっても直接的に行為を描写しろって言われてるわけじゃない。
ほんのちょっとエッセンス的にそういう場面があってコメントを求められるだけ。
だから自分のこの反応がクソ童貞すぎて本当に嫌気。かわいこぶってんじゃねえぞマジで。
解決策、みんなと温泉に行く、くらいしか思いつかない。
自分に一番効果的な治療ってそれなんだよな。
下手にエロ漫画だエロゲだを履修したところで人と共有しなかったらいつも通りだ。
この強者の友人たちだからこそハードルを感じているというのもあると思う。
友人たちは普通にR18をRTするしそういう描写や冗談を口にすることになんも抵抗もにじませない。
いっそガッチガチにそういうことする奴でも当ててもらったほうが吹っ切れる可能性もある。想像しただけで心理的抵抗えぐいけど。
多分、根幹はプライドなんだよな。
そういう話をすることを下品だと思う自分がいて、
ただでさえクソ野郎の自分に下品属性までつくことが許せない。
または、どんなに内容を考えたとしても自分の口から出る下ネタはいやおうなしにクソ下品で笑えなくなる、と自分が感じる。これはある。
そうなると自己肯定感向上が対策になっちゃう。エロの為に掲げる目標じゃない。
どうしたもんかな。困った。
こう見えて本当に困ってる。
オタクになれないワイ
パンピももはや死語なのだろうか。
鍵垢に閉じこもり一人で消費行動を繰り返している自分には知る由がない。
この手の感覚はググってもあんまりしっくり来ないことが多い。
どっちつかずで浅い中途半端な自分は、どちらかに属している人から等しく嫌われやすい存在であることを自覚している。
それはそれで構わないのだが、この疎外感は一生消えるものではないなと思い直す出来事があったので、この機会に明文化しておこうと思った。
なお、この文章における「パンピ」とは一般ピーポーの略、オタクではねえだろうなと自分が思う人のこと(説明が難しいが、歳食ってから読み返しても自分には伝わるだろう)。
「オタク」とはインターネットやコンテンツに精通し、愛し、自然と創作活動に至るような、「”好き”のためならなんでもできる」ような人のことを指す。
世間一般的なオタクではなく、自分の見える範囲で”好き”に頭焼かれたひとたちのことをオタクと書いているので誤解なきようお願いしたい。
確実にパンピではない
パンピとオタクの狭間にいる人のことを、仮にグレーと呼ぶ。
パンピかオタクか、のグレースケールでいうなら、オタク寄りのグレーであることは間違いない。
パンピの思考回路が理解できないこと、自分の周囲にはオタクが多いこと、の2点がその理由だ。
極端かもしらんが、最近の実例がある。
美容師にライブの話を聞かれ「あの大御所芸人がテレビと違って尖ったことやってて面白かった」と答えたら「やば!分析してますね~」と返されたこと。
会社で配られたお菓子食べて「これクリームとクッキーの相性超いいっすね、うま」って言ったら「食レポしてるw」と茶化されたこと。
自分はそういう返しをしてくる人にパンピのラベルを貼るし、できることなら業務連絡以外何もしゃべりたくない。彼らは、分かり合えないということを分かり合えない人種だ(と自分が思っている)からだ。
オタクに同じことを言ったとしても、「ええやん」「わかる」「せやろか」と同じレベルで話をしてくれる。
これ自分の環境が特殊だったりするんか?世間のオタクもそうじゃないんか?
しかしオタクでもない
理由を列挙してみようと思ったが、どうやら明確な理論でそう考えているわけではなく、経験と体感でそう思っているだけらしい。
ただ、明確に自分はオタクではないのだ。
少なくとも、自分の今の環境においては、はっきりと非オタクである。
友人にも「あなたはオタクではない」と言われたばかりだ。
別の友人はオタクだよ、と言ってくれるが、自分がそれを100%で受け取ることができない。
明確にこれだけは違ぇな、といえることが2点ある。
ひとつは「コンテンツの着眼点と愛し方」、
ひとつは「エロを共有することに対する耐性」だ。
着眼点と愛し方
これはオタクとパンピを対比させるにはちょっとずれた話かもしれない。
そもそも好きなジャンルが友人たちと全然かぶっていないから土俵自体が成立していないともいえる。
自分はその作品をトータルで好きになり、ストーリーや展開、セリフの妙などに惹かれ、結果として特定のキャラクターを贔屓するようになることが多い。二次創作はあまり好んで見ようとは思わないし、自分で二次創作をすることもなくなった。
友人のオタクたちは、ストーリーやその作品を好きになることは語るに及ばず(好きであるという前提、語ろうと思えばいくらでも語る用意はある)、推しにどっぷり着眼して二次創作をひたすら漁り、そのキャラの背景や関係性を深掘りしていくのを好む(という印象)。さらに言えば、俗にいう性癖、自分がどういう属性に強い魅力を感じるのかを明確に把握している。
どういうオタクをやってきたか、の違いであると言ってくれるならそうなのかもしれない。自分は「この話おもしれー、このシーン好き」みたいな体験や感情を擦りたくて何度も全体を周回する事が多い。他の人がどうかは知らない。
愛し方は明確に違う。自分は「消費を重ねるだけ」、オタク(友人たち)は「二次創作をする」だ。穀潰しと生産者の隔たりはオタク界における人権問題、絵も解釈も生み出さない者に物言う権利はない、そういう認識。自分は貝のように錘ります。
一番創作側のオタクをやっている友人が「創作は消費ありき、自信を持て」みたいなことを言ってくれたけど、柵の向こうの意見だなと感じた。
エロ共有耐性
これだけは本当にどうしようもない壁だと思う。
そもそも自分はこれまでの人生、他人とエロい話をしたことが数えられるほどしかない。それが完全なフィクションの話であっても自分の性欲を丸出しにしているようで、恥ずかしさと自分の気持ち悪さと無知晒しに堪えられない。
歳を重ねるごとにより潔癖さに拍車がかかっている気がする。
自分はエロい自分をなによりも認められていない。向き合っていない。
これは明確な理由があると推測できるけど長くなるので別記事にまとめる。
ウブ装いてえわけでもねえのに一人だけモジモジしてんの、
本当に恥さらしなのでやめたい。
でもできない。つらい。
オタクになりたいわけでもない
これが一番この話をややこしくしている。
自分はオタクになりたくない。
何故か。オタクをやっている自分が気持ち悪くて許せないから。
この自分を許せないという感覚と、
Twitterで見かけるようないわゆる限界オタクと呼ばれる人のような振る舞いに対する強いアレルギーには原初体験がある。
自分のオタク遍歴をさかのぼればすぐにわかるので以下記載する。
そもそもオタク気質の人間ではあった。
小学校に上がってからあるアニメにドハマりし、データ集を自作したりしていた。
父親がゲーム好きだったのもあって、セガサターンでシューティングやアクション、パズルゲーをずっと遊んでいた。GBASPを買ってもらってからは同じソフトを何周も遊んだ。母もアニメや漫画を好んで見ていた。
友人たちとの主な遊びは川や山、公園で走り回ることだったけど、時折アニメのごっこ遊びなんかもしていた。
進学して、初めて「オタク」という概念と遭遇した。
インターネットという存在に触れ、ボカロを覚えた。
二次創作というものがあるらしいと知ってDSのブラウザでそういうエロ小説を読んでみた時は刺激が強すぎて腰が抜けた。
隣の席の女子(2ch見てるタイプのヲタク)がお絵かきをしていたので見せてもらったら稲11の腐絵で怖かった。
オタクコミュニティに属したのは高校から。
入学直後、授業で隣の席だった人(同人誌頒布するタイプのヲタク)と話したのがすべての始まり。
あれよあれよという間にTwitterを教わり、ゲームを布教され、一緒に遊ぶようになっていた。
インターネットにしっかり触れ始めたのはこのタイミングだったので、最初はTwitterの使い方もわからず、ボカロのなりきり垢を本物と思い込んで執拗に話しかけて遊んでいた。
それからゲ実にハマった。Twitterではしゃぐようになった。
学生オタクの痛々しさの権化のような振る舞いを2年以上続けていた。
それはそれで付き合ってくれるフォロワーが当時は多数いたし、自分は楽しかった。
調子に乗りすぎてフォロワーから苦言を呈されたり喧嘩したり、2chにさらされたこともあったが、自分の行動は間違っていないという謎の自信が非常に強く、反省というものを全くしなかった。
アレルギーが出たのは本当に突然のことだった。
裏垢を眺めていてふと気づいた。
視界が一歩引いたかのような感覚だった。
自分が今の今まで属していたその集団、
自分、
むちゃくちゃキモくない?
いや、キモい。
これが、自分こそが「信者」ってやつではないのか?と。
目が覚めた、とはこの感覚を言うんだと思った。
原初体験とはこのことを指す。
後から考えれば、当時主流だった嫌儲・冷笑・性差別文化に突然カチリと迎合してしまっただけで別に目覚めたわけではなかったし、これがなければ自省も覚えず最悪な事態になっていたと思うのでこれでよかったのだけど、強い体験として神経の隅々までこの感覚が染み渡っていった。
性格の悪さに拍車がかかっていった。
進学してから一年ほどは勉強と睡眠しかできなくなり、Twitterの浮上頻度はがくんと落ちていたんじゃないかと思う。
ただ、ヲタクの友人も一緒に進学していたし、さらにそのご友人もこれまたゴリゴリの創作ヲタクだったため、むしろオタク濃度は上がっていたように思う。
卒業までの間に当ヲタクとは疎遠になり、自分はゲームとゲ実に回帰し、今のスタイルに落ち着くこととなる。
Twitterは垢消しし、鍵垢に籠った。
これは当然の流れではあるものの、鍵垢に引きこもってからインターネット耐性が目減りしていった。
友人たちと会う頻度も当然落ち、オタクとの接点がTwitterしかなくなった。
結果、慣れというアーマーが年々薄くなり、気付けば冷笑と差別しか残らず、
かつての痛々しい自分を現在見かけるオタクたちに投影し嫌悪感を抱き続けている。
以上。
アホみたいな経歴だ。
自分がオタクになったらどうなるか知ってるし嫌悪感がぬぐえないからオタクになりたくないけど、友人たちがオタクだから仲間に入れてもらいたくて再びアーマーを着たい。
しかし社会人になってから精神が日和ってデブった自分が即席で身に着けられるオタクアーマーはどこにもありませんでした、という話。
文字に起こしたら浅すぎて笑ってしまった。
まだ自分と遊んでくれる友人たち、懐が深すぎる。
このブログで脱臭を試みているのも上記が原因。
意識したくらいで文章の書き方は変えられないのに無駄なあがきをしている。
後から読み返したときにキモって思うのが怖い。思われるのが怖い。
疎外感
他人と同化することを仲良くすることだと思っている節が無ければ、こんなことで疎外感を抱くことはないんじゃないかと思う。
でも努力では埋まらない溝だ。相手もズレや違和感を修正しながら自分と付き合っていくのはしんどいだろう。そういう推測をやめろって話か?
自然体でいればいい、とかいう贅沢すぎる目標は身を滅ぼす。
少なくとも、自分の自然体は身近な人にって害でしかない。ちょっと疲れたりちょっと混乱するだけで、その本性はすぐに顔を出す。油断ならない。
自罰的でないと人前に出ることすらできないのは、こんな自分に時間を割かせる罪悪感に耐えられないから。
友人におごりたがるのもそうかもしれない。慰謝料を受け取ってもらわないと自分の気が済まない。いたたまれない。
オタクと遊んだり知らない話聞いたりするの、
自分は楽しいけど、みんなが楽しいかは一生知りえない。
オタクはオタクじゃない人間に付き合うのつらいでしょ。
そのために死ぬ覚悟はありますので、
人数合わせの必要がなくなったらいつでもお申し付けください。
日記 爪が初期化されたこと、嘘がつらいこと
そのいち、爪の状態がここに記録をつける前の状態に完全に戻った
右手は昨年12月上旬にメンタルおかしくなってから、左手は先月から
一度噛まなくなったからといって噛み癖が治るわけではない
ストレスを取り除いて一人でいる時間を減らしてやっと爪を伸ばす環境ができる
ちょっとでもストレスかかってネイルオイルが埃被り出したら何もしていないのと同じ
そしてこの爪である
一番良かった時の半分くらいになった
せっかく定着したネイルベッドも全部おじゃんになった
伸ばそうと思えば伸ばせることがわかってしまってより意識が低くなった
毎日毎日深爪の不快感に余計ストレスが溜まって伸びたそばから噛んでる
自暴自棄
しばらくは爪に犠牲になってもらうしかない
爪は最後だ
もう最初に直す場所じゃない
そのに、ドラマ化が決まったらしい食にまつわる某百合漫画の最新刊を読んだ
元々読んでて、事例紹介用のPR漫画だなあという印象だった
面白いしかわいいけど意識の先頭に面白さが来るわけではない
で、最新刊の最後の方の一人飲み会の描写でなんか泣いた
文章を誤魔化した程度で性別隠せる側の人間じゃないことは自覚してたけどあえて意識的に隠してる気分を味わい時もあるよねっていうアレであえて性別を明記してはいないけど自分も彼女のことを彼女と言えなくて彼氏って言われたことを思い出してしまって
自分もこういう気分になったことがあるなって一番当事者みが強かったシーンで
なんで隠さなきゃいけないんだろうって思って泣いた
彼女がいた当時は彼女のほうが先駆者だし隠したいっていう意向だったから泥酔してもそれだけは言わなかった
態度や言動で周囲にはモロバレだっただろうけど
堂々と言っちゃダメなんか?って思ってた
別れて何年も経って交流もなくなった今も隠してるのはなんでかというと
特定の相手がいない状態のカミングアウトはリスキーだと思っているから
なぜリスキーなのかというと友人を信用していないからだと気づいて
いや、自分がいまその友人を性的対象と認識してしまったせいで
下手に進展する可能性を跡形もなく消し潰したくて
吐く必要のない嘘をミルフィーユの様にかさねて
もう挽回の余地はなくなってしまった
もうサークルクラッシュはしたくない
関係性を変化させたくない
でも感情の奴隷たる自分が自分の気持ちを捻じ曲げることは非常に難易度が高くて
現にこんなにも苦しい
これは事情を知っている友人にも理解はしてもらえない領域の話
この感情は共有できるものではない
せめて恋愛感情じゃなくてよかった
汚いことだと心置きなく叩けるから
別に隠すことはないというか
隠したくない、これがわたくしでござい、がしたい
なのに親に一言ポロっと言うのですらあんなにも勇気が要った
彼女がいるときなら彼女好き好きを表に出すだけで済む
なのに一人のときに「これがあたくしでござる」を表に出すのはあんなにも怖い
別に言ってもよかったんだ
去年の通話の時
相手がノーマルだとわかればあきらめがつくだろうなどという浅はかな考えで夜更かしを強要し引き出した答えを鵜呑みにできず
その場の空気を壊せなくて同調した
愚かが過ぎる
わたしはたぶん相手の性別関係ないかもなんだけど、って言ってしまえばよかった
なにを忌避したのかも自分でわかってない
心のわりと浅い部分で相手とどうこうなることを期待しているから
その期待を刺し殺すためだけについた嘘
友人を不快にしたくないなんて配慮じゃない
同僚には酒の勢いであんな簡単に明かしたのに
この友人には目の前にそういう人間がいるぞって言ってやりたいのに
言えなくて
性別を伏せたまま彼女のエピソードトークをして
話の締めに「聞けたなあ、彼氏遍歴」って言われたのをやっぱり覚えている
「彼氏ね」「ね、彼氏」とお互いに繰り返したアレが意味深だったからバレてるうえで嘘に話合わせてもらってる可能性も全然ある
でも本当に隠す必要なかったんじゃないか
自分を信じられないからそういうことになる
事情知ってる友人が一番スキンシップ多いんだから問題ないだろうに
意識してるのは私だけなんだから何の問題もないだろうに
なんで言えなかった
今更「嘘でした~(^_-)-☆」なんて言ったところでなんで明かしたの?なんで隠したの?ってなるだけで
いらない嘘に一番苦しめられてる
バカだ
別にアウティングなんか警戒しようもない
差別偏見はちょっとありそうだなって思うし身近にいるってわかったらそういう話しづらくなると思うと隠してたほうが都合がいいかなとは思うけど
同性しかいない界隈でノンケじゃない奴が混じってるって誰にもバレてない状況ならまだしも半数が知ってる状況で隠す意味ってマジでないんじゃねえか
とか
そういう理屈つけてただ自分語りしたいだけじゃねえの
とか
嘘なんかつかなくていいならつかんほうがいいにきまっとる
もう呼吸と同じ感覚で無意味な嘘を吐くのが当たり前になってしまった
虚言癖ほどではない小さな嘘を山ほどついている
自我を出してしゃべる相手じゃなかったから
いきなりそんなこと言われても困っただろうし
今と半年前じゃ状況も違う
11月の童貞さを反省して
12月の通話で身の程を思い知って、というか自分のだらしなさを指摘されたような気分に勝手になってクソほどメンタルめちゃくちゃになって
先月は全然大丈夫になった、わけではない
やっぱり下心が抑えきれない、本当に良くない
チャンスさえあれば近づいてしまう、触れてしまう
他の人もスキンシップ多いから目立ってないだけで私視点はほぼセクハラだ
でも先月は向こうから触ってくることも多くて
指を横から格子状に組むやつをされてたときの感覚が完全に恋人つなぎで
目線は一度も友人のほうにむけられなくて
他の友人の顔見て相槌打ってるのに意識は絡んだ指にしか行かなくて
無性にやっぱり照れてしまって
つらくて
ようわからんチョキの股ぶつけあうだけの数分間とかも目的もオチもわからすぎてずっとしどろもどろで
なんで今回はこんなに積極的なのかわからなくて
浅い覚悟がべらぼうにぐらついて
そのちょくごの目見て「なんなん!?」がグサリときて
いやなんなん!?っていうしかないくだりの一部分でしかないんだけどそれ言われて一瞬時止まって状況わかんなくなって
やっぱり言えねえやって改めて思った
はずなのに
やっぱり知ってほしいんだな
自分のしたこととかじゃなくて自分のありかたを偽るのは
その先一生嘘を吐き続けるために喋ったことを覚えておく必要があって
演じ続ける必要があって
思っていることと違うことを自分として皮を着るストレスから解放される日は来ない
相手のためじゃなくて自分のための嘘なのに
それでもしんどい
クソ甘えた生ぬるい人間だから
楽しかしたくない人間だから
許されたいしなんかうまいことなってほしい
そのためにできること
やっぱり嘘しかない
それが一番楽なんだ結局
なにも変わらないでいてくれ
これ以上しんどくならないでくれ
一人で泣くだけで済むんならそれでいいんだ
巻き込みたくない
巻き込みたくない
自分が自分のことをそういう少数者の当事者だとまだ思ってないんだなって
こんな勘違いみたいな事例でも事例そのものは当事者のそれだってことくらいは認めないと何一つ前に進めないのに
自分自身に差別的な意識がやまほど根付いてる自覚はある
それが認めたくない感情につながってる部分もある
でもそんな理由で自分を否定するのは一番つらい
自分の性別を自分でヨシとしていないのに指向まで過渡期にされたら処理できないから
そういうこともある、くらいで名前のない箱にずっと入れっぱなしにしている
だからこういうときに右往左往する
性的違和があるわけじゃない、三十路ニー的な感覚が根本にある自覚があるということ
だからその矛先が友人たちに向いてしまったら絶対に取り返しがつかないから怖くて
自分を律せる人間になれたら
自分に納得できる人間になれたら
たらたら言ってますけれども一歩も前に出ませんね
いい加減人生からはけたらええんとちゃいますの
いっそ彼女をさがしてみるかとも思ったけど
こんなのの相手をそんな理由でしなきゃいけない赤の他人にあまりにも失礼だし
かといって友人を好きなままでもいられない
性欲先行だけどこんなにもカワイイとかいうレア感情が頻出してる時点でそこ否定すんの理屈として苦しい
他人から指摘されてなかったら今も誤魔化せていただろうか
否
元カノのことすら8年経って未だに飲み込めてないんだ
リアタイの感情にリアタイでケリつけられるわけがない
今日ほどこの場所を作っておいてよかったと思った日はない
言いたいことをため込みすぎて爆発するところだった
ここ作ったのが何年前かも覚えてないけどそれだけは自分を褒めてやってもいい
もはや目的も何もない
ツイッター以外に頭書き留めておくだけの場所
十分