はつもの

いきてるよ~

耐性の話

前の記事で「長くなるから」とかいっていっちょ前に記事分けしたこのエロ耐性の話。

単純に自分語りしておきたいだけ。

なお、耐性というのは「友人と下ネタを共有する」という状況についての話。

自分一人で見聞きしたり、友人たちが話している下ネタを聞くだけ、とかはなんの問題もない。

自分もその会話に参加する必要がある場合にとても困る、という話。

 

思い当たる理由は明確に3つある。

① 生まれ持ったエロの器が小さい

② 人と共有して恥ずかしい思いをしたことがトラウマになっている

③ フィクションよりリアルが先だった

 

なんでか知らんけど人に聞かせてえという欲が湧いてしまったので、それぞれ詳細を書き残しておく。

 

器が小さい

エロい!と思ったときにその感情を平然と処理する能力、というかなんというか。

自分がエロをエロだと認識して初めてそういうコンテンツに触れたのは中学校が初めてだったし、その後もいわゆる薄い本やエロゲなどに関わったこともほとんどない。人より経験値自体が少ないというか、そっち方面への貪欲さが全然なかったというか。

 

そもそもエロでなくても、ひとつ気に入るとそればかりを擦って新天地を探求したり解像度を深めようとはしないので、興味の器自体が小さいのだと思う。

ゆえにあらゆるジャンルに対してボキャ貧。

 

感受性としての器も小さい。ド童貞というか。

ちょっとしたパンツだったり生足だったり谷間だったりが露出してるだけでエッチ!!ってなって気まずい。いまだに。童貞以下。

男性向けのような過剰表現になってくるとグロく感じることのほうが多い。




トラウマ

器の小ささゆえに起きた事故だったようにも思う。

これは中学生の頃、友人2人と放課後に家でインターネットを触りながらお話していたときのこと。どういう流れだったかは忘れたが、自分が知っているとびきりのエロ画像を見せ合おう、ということになった。

当時は健全な某デジタルなモンスターオタクのワイ、「某女神型のおっぱいがえっち」くらいしか友人に話せそうなものは思いつかなかった。

でも根拠のない自信で満ち溢れていた当時の自分は、ひとつだけ今この場にふさわしい武器を思いついた。

個人サイトで見つけた、アニメ3作目のクールなヒロインが恥ずかし気にズボンを脱ぎかけているイラスト。

当時の自分はこのキャラクターが一番好きで、毎日悶々とこのイラストを眺めていた。自分の中ではこの世で一番エロいコンテンツだった。

 

これをとりあえず出しておけば友人たちも舌を巻くだろう、と負けず嫌い全盛期の自分はインターネットで検索して見せた。

当たり前なのだがめちゃくちゃ笑われた。「この程度でwww」「かわいい~~~www」と言われたのは今も音声つきで思い出せる。これも当然だが自分は消えたいくらい恥ずかしくて傷ついた。

そのあとで友人が検索してみせた画像の数々はどう見ても年齢的にアクセスできたらまずいものばかりで、ブラウザのバナーくらいでしかそんなの見たことなかった自分はますます消えたくなった。まだ自分は土俵に上がってはいけなかったのだ。

 

それ以来、そういう話をする機会にはほとんど出会っていない。

オタクの群れにいたわりにはすごいことだと思う。

しかし、ゆえに傷を癒し慣れることもできなかった。

 

人の会話を聞くだけならいくらでも聞ける。むしろそういう話は好きだ。

でも会話となると自分のボキャブラリー、経験値を少なからず晒さなければならない。

それがエロともなると、自分のコアな癖や人に知られるのが恥ずかしいと感じるもの、理屈とかではなく本能で本当に好きなもの、とかになる。

それを晒して「この程度」とか言われるのはマジで怖い。

 

今の友人たちは決してそんなこと口にしないだろうけど、

何度かそういう話題になって自分が喋った後のあのなんともいえない空気、

絶対「この程度で口を開けるなんてお里が知れるわね」的なことを思われているとしか思えない。

オタクに擬態しようと思ったときに絶望を覚えるハードルの一つは確実にエロだなと思った。



リアルのほうが先

記憶にある限り最も早くエロに接したのは小学校中学年のとき。

このころは「エロ」という概念も理解しておらず、もしかしたらそういう単語を聞いたことすらなかったかもしれない。

しかし感覚として、「イケナイコト」みたいな、子供ながらにムズムズする何か、というものは漫画などで覚えつつあった。

 

クラスにとてもませた子がいた。

ごっこ遊びなどで頻繁に一緒にいたグループのひとりで、ある日その子に「イイコトしない?」的なことを言われ、グループのみんなでノコノコと空き部屋までついていった。

放課後のクラブ活動でしか使われない更衣室のような場所が体育館のギャラリーにあって、そこは施錠されていなかった。

昼休みにそこに入った我々は、その子に指示されるがまま、一人ずつカーテンの束にくるまった。カーテンにはその子も入ってきた。

その子はエロ漫画に書いてそうなセリフを時折発しながら、カーテンの中に入っている人の乳首や股を指や口で直接触る。セックスの前戯とやってること自体は何一つ変わらない。これを一人につき数分、順番に繰り返していく。

カーテンの外にいる人は、それがなんとなくイケナイことだ!という雰囲気で盛り上がる。筋肉自慢大会の如くキャイキャイとカーテンに向かって声をかけていた。

 

当時はまだ性感というのが全く発達していなかったからか、雰囲気以外に楽しめるポイントは無かった。ごっこ遊びの延長だった。

肌を触ってるなあ、つばがついているなあ、という感覚しかない。

その子は楽しそうだったし、それを数か月間、人を変え場所を変え続けていたと思う。観衆なし、一人だけ呼ばれてそれをすることもあった。

 

文字に起こして思う、えぐい。

 

その子が満足したのか自然と呼ばれることがなくなり、自分はその後転校した。

この遊びの意味を理解したのはそれから十数年後のこと。

そんな遊びをしていたこと自体を忘れてのうのうと生きていた自分は、

学校で同性を好きになり、必死でその状態の解釈を試みていた。

自分はずっとノンケだったはずだ。えっちだってしたことない。

そう逡巡していたときにふと思い出した。

してるやん、同性とえっち。

うせやろ、と。

なんとかして原因をでっちあげたかった自分にとって、願ったりかなったりというよりは因果応報としての衝撃があった。

 

そのタイミングまでは比較的オタク的なエロ会話ができていた、と思う。

完全なファンタジーとして割り切ることができていて、なんというか感情移入のような感覚を覚えることはなかった。

思い出して以降は、というよりセックスを覚えてから以降、と言った方が正しいのかもしれないが、エロ会話に身を切るような感覚を抱くようになった。

なんというか、「自分って最初からエロかったんじゃん!最低!」みたいな。

そのとき浮かぶイメージは恋人とのセックスではなく小学校のときのあの光景。

理由はわからないが、あの頃の自分を面前にさらしているような感覚になっていたたまれない。この話を誰かに話したことはない。

多分だけど、「何も知らない自分が知っている人の前で雰囲気をわかっているかのように振舞う」という状態が会話中の自分の振る舞いとリンクするせいだろうか、とか思う。

単に感受性がバグっているだけかもしれない。会話ででてきたエロの状態や感覚を自分や会話相手で想像してしまうのが普通によくないだけ。

恋人や裸の付き合いをしたことがある友人相手だとこのいたたまれなさが出ないのも関連がありそうだな、という認識。

それっぽく歴史をこじつけようとして失敗しているのがこの章。乱文にもほどがある。




喫緊の問題

ただ単にそれだけなら別に今まで通り放置でよかった。

今さらこの問題に対して真剣に考えることになったのは、エロ話耐性をつける必要があるからだ。

オタクたち、思ったよりもエロコンテンツをこの界隈でやりたがっている可能性がある。

その輪に自分も入っているので、なんとかそのエロコンテンツに沿った回答を出さなければいけない場面がある。

 

つっても直接的に行為を描写しろって言われてるわけじゃない。

ほんのちょっとエッセンス的にそういう場面があってコメントを求められるだけ。

だから自分のこの反応がクソ童貞すぎて本当に嫌気。かわいこぶってんじゃねえぞマジで。

 

解決策、みんなと温泉に行く、くらいしか思いつかない。

自分に一番効果的な治療ってそれなんだよな。

下手にエロ漫画だエロゲだを履修したところで人と共有しなかったらいつも通りだ。

この強者の友人たちだからこそハードルを感じているというのもあると思う。

友人たちは普通にR18をRTするしそういう描写や冗談を口にすることになんも抵抗もにじませない。

いっそガッチガチにそういうことする奴でも当ててもらったほうが吹っ切れる可能性もある。想像しただけで心理的抵抗えぐいけど。

 

多分、根幹はプライドなんだよな。

そういう話をすることを下品だと思う自分がいて、

ただでさえクソ野郎の自分に下品属性までつくことが許せない。

または、どんなに内容を考えたとしても自分の口から出る下ネタはいやおうなしにクソ下品で笑えなくなる、と自分が感じる。これはある。

そうなると自己肯定感向上が対策になっちゃう。エロの為に掲げる目標じゃない。

 

どうしたもんかな。困った。

こう見えて本当に困ってる。