はつもの

いきてるよ~

魂のリサイクル

今まで、メッセージ性の強い曲は歌詞を自分の得てきたものに当てはめて聴くっていうパターンがほとんどだった。
ほんで共感度が高いほど好き。そういう曲の聴き方をしてきた。
 
だから「知ってる曲を現状で咀嚼する」っていう逆パターンが自分にとっては新鮮で、
それがザ・茶番で立て続けに起こったのでビビった、っていう話。
 
 
ん?と思い始めたのはいつもの配信を聞いていたとき。
その配信者は茶番を聞いて育ってきたらしいから思考が茶番とダブってるのはよくわかるんだけど、私は聴き始めて間もないのでまだ染まってなかったし、そういうボキャブラリーもなかった。だからその配信者が話す価値観や社会理念みたいな話って基本的に新鮮で、いつも真剣に聞いてるし、わりと軽めにコメントしてる。
で、大真面目に聞いてると頭の中でザ・茶番が演奏し始めるときがある。
「正解はこの曲では…?」って思ってたのが確信に変わるタイミングでその曲の歌詞をコメントすると「それ!」って拾ってくれる。もしくは配信者が自発的にそういう曲があったなあって言い始める。
すごいのは、決してザ・茶番に寄せた話じゃないっていうところ。別の話題から逸れてきて、配信者の十八番たる社会・人間の話を真面目にしてるだけ。その配信者が持ってる思考回路の話であって、茶番の曲の解説じゃない。自然な流れで、社会ってそういうとこあるよなあ、そういう側面もあるのかあって思うようなタイムリーで独立した現実の話をしてる。なのにぴったり合致する曲がある。ネタ解釈したら、とかじゃなくて、歌詞がドストレートに今の話の要点まとめになってる。
英才教育の賜だなあと最初は思ったけど、茶番が歌ってなくてもこの配信者は同じことをしゃべってたんだろうな。たまたま正解が歌になってただけで、そういう頭ならそういう答えに自然となるんだろうなって今は思う。じゃなきゃそもそも自分もこの配信者を追おうとは思わなかったはず。
そういうことを意識する前にもおんなじケースがあったかもしんないけど忘れた。初めてちゃんと「茶番じゃね?」って分かったのは「私利私欲」と似たこと喋ってた時。最近は「究極の和解」のインパクトが大きかった。自分もどっちもどっち主義寄りだからこの曲がコミュニケーションの行きつく先というかまさしく究極の回答だと思ってて、この配信はTSで聞いててコメントできなくてくやちい~って思ってたら配信者がそういう曲あったよなって究極の和解を歌い始めたのでよかった。
 
 
それだけだったらわざわざこんな長文書き起こそうとは思わなかった。
こないだ、ある女優が他界したっていうニュースがあった時に自殺絡みのコメントをしてる人がたくさんいて、
人生は問い詰めると無意味だから、自省しすぎると人は死ぬ。
だから昔の文豪は云々って知り合いが言ってたっていう内容のツイートが伸びてた。
一回読んで、脳内で「だからあなたはただただその幸せだけを、幸せだけを行えばいいのだ」って文末に付け足された。
一瞬遅れて「茶番じゃねえか!」って思った。脳内で赤い着物着た高橋英樹鏡餅型ボタンを全力で平手打ちしてた。大正解じゃねえか。
なんも知らん人に「茶番じゃねえか!」って言ったらただの悪口になるのがまたちょっと面白かった。
 
言わずもがな「魂のリサイクル」が同じこと歌ってたんだけど、このツイート読むまで実はあんまり歌詞が全体的にピンときてなくて、良く聴くほど好きってわけでもなかった。
「限りなく広がるこの宇宙の中であなたの行いのすべてが無意味」とか「命は命でしかない」とか何回聞いても額面通りにしか受け取れなくて、そんなことねえぞ、っていう反発心的なものがちょっとあった。だから歌詞もばっちり覚えてたわけじゃなかった。
自分の中にそういう視点がなかったうえに読み取ることもできなかったのが原因だって今はわかるんだけど、それがこのツイートで端的に表現されてたから自分にも理解できて、そういう概念があるんだなあっていうのを吸収すると同時に魂のリサイクルがスンッて腑に落ちて、さらに同じ曲の中で歌われてる「で、どうするの?」っていう対処・結論的なものが自分とこのツイートにバッってかぶさってきて、すげえってなった。
 
曲を聴いてる時に自分の得てきたものを思い出したり引き合いに出したりして曲を解釈する、っていうのをよくやってた。
今得たものを既に知ってる曲が歌っていて、さらに今得たものに補足までするっていうパターンが初めてで、しかも全部ドストレートにその通りすぎて全知全能か?ってしびれてしまった。
もっといろんな概念と曲を得てきた人からすればそっちの方が多いのかもしれんけど。
改めて曲聴き直すと印象も重さも全然違っててまたしびれた。ありゃすげえ曲だった。無知は罪だ。
 
サビで「行いのすべてが無意味」ってわざわざ言ってくれてるけど、しょっぱなからそれを大前提とした歌詞なんだなって今更ながら思った。曲調も最適解だと思う。暗すぎないけど明るくない、騒ぎすぎず落ち着きすぎずいい塩梅。だからピンと来てないのに何回も聞いてたわけで、曲としての完成度は歌詞が読めなくても高かったんだと思う。
輪廻転生の前に命のあり方は等しく無意味なんだから好きに生きりゃええんやってことかなって今気づいた。これ書きながら相変わらずリサイクルってなんやって思ってたから今すげえスッキリした。違ってたらめちゃくちゃ恥ずかしい。読解力の乏しさが露呈して悲しい。茶番ほど額面どおりが一番わかりやすい曲もないのに。
他の曲は違うテーマについて歌ってるけど、茶番は人間についてたくさん歌ってるから結局魂のリサイクルが前提になってるとも言えるし、茶番からしたら分かり切ってる当たり前の事なのかもしれないし、とにかく根源として大事な曲なんだなっていうのがわかった。
 
魂のリサイクルの後に「感じる事」を聴いてて、この2曲にセット感を抱いた。無意味、無力だけど今生きてるという全部の事実を肯定してて、もちろん「感じる事」でテーマになってることは「魂のリサイクル」と「同じ光」の中間にある別の事だけど、でも魂のリサイクルの後に聞くと軟膏感があるというか。魂のリサイクルの中で歌ってることとは別の方面から生きる事をポジティブに捉えていいんだよってなだめられているような気分になる。
うまく表現できない。自分がそう捉えたいだけかもしれない。
 
この曲書いたときのオミちゃんは当然自分より年下だけど人生何周目なの?
他の曲もそうだけど世のことわり解しすぎじゃない?神か?
自分がいいと思ったものに傾倒しすぎる癖があるのはわかってるけど、なにもかも先回りされて教えられてばっかりだからはえ~としか言えない。全人類聴くべきとしか言えない。
っていう崇め癖や吹聴癖に釘を刺す歌詞もばっちりある。
もう逆に怖い。
 
 
輪廻転生のところで急に満足しちゃって尻すぼみになっちゃった。
他にもいくつかピンときてない曲があるけど、魂のリサイクルみたいに生きてりゃそのうち理解できる機会が来るのかなって思ったらもうちょっと人間やってこうかなっていうやる気が出た。
悪くない。