はつもの

いきてるよ~

日記

ホルモンバランスの乱れからくる精神的不調から脱却するどころか悪化の一途を辿っている最中にspiritfarerというゲームに没頭していたがために死について過剰に考えてしまい事あるごとに涙を流すことで感情を誤魔化す期に突入していたんだけど、なんとも都合のいいタイミングで都合のいい概念を知りやっぱりすごいひとってすげえなあと小学生並の感想に着地し涙が止まらなくなったので唯一得意な他人の模倣をしてなんとか寝ようという試みを公の場に残しておく。

 

自分は哲学なるものとは全く無縁な人生を送ってきたのでそっち方面の用語とか概念とかは全くわからない。が、人並みに「私とはいかなる存在か」「なぜ何かがあるのか」など考えて眠くなって寝る、ということをしたことはある。今回の死についての堂々巡りも何度も考えてきたことの繰り返しだったんだけど、死ぬのはこわい、ならば生まれなければよい、というところにいつも着地する。この度今まで一度も聞いたことのない「反出生主義」なる思考の人が自殺について考えるという記事を読んで、出てきた用語とかをざっくり調べてみたらこの反出生主義っていうのが今回考えてたことにぴったり合致して、やっぱ先人ってすげえなどと思うなどした。親しい友人もこの件に関して考えが概ね同じだったので、種の繁栄と真逆を往く思想も大真面目に支持されてるものなんだと知れるとそこはかとない安心感が得られて幾分頭も落ち着いた。とりあえずめちゃくちゃ支持されているらしいシオランの『生誕の災厄』をアマゾンでぽちったので届き次第読む。今日は芥川龍之介の『河童』を読んだ。初見の感想は当てにならないと知っているので明日の勤務中にもう一度読む。

すごいひとの話じゃないのか、と自分でも疑問に思ったのですごいひとの話をする。自分はここ1年ちょっとの間ずっと本名が大井な配信者を追っていて、それはザ・茶番について書いた記事を読めば一目瞭然なんだけど、今自分の中で最も熱い存在として注目を浴びせている。昨日、正確には一昨日の夜にやっていたニコ生のTSを仕事から帰ってきて聞いていたら昔のたろちん関連のサイトのタイトルっぽいものをコメントしている人がいて、それを一生懸命探しても見つけられず悲しんでいた自分は待ってましたと言わんばかりに早速ググって記事を読んでいた。すでにお分かりの通り、これまでの記事と違って改行をあんまり使っていないのも脊髄垂れ流しみたいな文章なのもすべてそのブログの影響。自分の唯一の特技が雑な他人の模倣。ただの模倣なのでただ単純に読みにくくて推敲されてない文章をさらしているだけ。

大学生時代の大井さんの文章はなぜか自分によく馴染み、面白くも悲しくもないのにたびたび涙腺が暴発した。記事数が多いのでまだ半分ほどしか目を通していないけど、黒霧島水割りと仕事とバスケで構成されたネット老人会会員おじさんの顔しか知らなかった大井さんにこんな青春らしい青春があったこと、一切社会に揺るがされることなく我を突き通しまくる姿勢、おそらく何も特別な意味はないはずの寂しいという3文字をおそらく馬鹿正直にインターネットに書き残しているという驚き、などいくらでも感動した点を挙げられる。ただ、交友関係もアウトプットもないがしろにして社会的な死期がすぐ目の前に迫っているのに一人暮らしのワンルームで部屋の掃除もろくにせずベッドで横になってスマホで16年前の一般大学生が書いた記事を一生懸命読んでいる自分と対比して、画面の中の大学生がその時々を苦しそうに楽しそうに過ごしているという記録があまりに輝いていてまぶしくて反射的に涙腺がイキイキとしてしまったんじゃないかなと思っている。それなりに充実していたはずの学生生活ですらこういう風に己の自由に身を任せて送ることはできなかった自分は今更羨ましさがあふれて動悸が止まらなくなった。

 

たぶん、大井さんを大井さんと名指しして記事を書くことは数年に一度あるかないかくらいの頻度になると思う。せっかくなので、今日という日に自分が共に果てる勢いで観ているということをついでに記録しておく。

はじめて名前を知ったのは『積もる話もあるけれどとりあえず…』の巻頭。黎明期実況を漁り始めたころにゆとりのタカさんにハマり、その関連でゴールデンアイ、テラリアを視聴して大井さんという実況者をはっきり認識する。一狩り行かない男達をリアタイで追いかけるも定着せずその後数年間は特になし。しかし実況動画をよく見ていたころのTwitterのフォロワーが熱心な大井さん視聴者だったのでTLに大井さんのツイートやはぐちさんなどがよくRTで流れてきていて、そこでくらっぺ先生を、ついでに大井さんをフォロー。2018年夏にくらっぺ先生が支部に投稿した過去の同人誌を見に行って『夢のような話』を読み大井先生に一目惚れ、自分の中の大井さんの分類が「小説の人」になる。数か月に一度気まぐれで配信を覗きに行くようになり、コメントの質も含めてインターネットの隅っこ感がとても心地よくて少しずつ好感が積み重なっていき、2019年秋口配信のモンハンアイスボーンでズッポシ。以降、TSの残っている配信はすべて視聴済。過去配信や個人の実況動画はほぼ未視聴。時間がとれれば遡りたいんだけどいかんせん数が多すぎる。FF5のpart1,2だけ見た。よくある経歴で、よくいるにわか。

大井さんと同じく自分の中で最も熱い存在のもう一人が天パのおじさんで、NBA2K20のSNSの書き込みにあった「IBORNみたいに!IBORNみたいになりたい!!IBORNみたいになりたいなりたい!!!」的な書き込みを自分の発言だと錯覚する程度には天パが理想の人間像なんだけど、大井さんはそういう理想像というよりは現実で、わかりやすく言うなら自分にとってのサタンタンゴが大井さん。サタンタンゴの感想記事を書いていればここで引用できたんだけど書いてないのでざっくり印象をまとめると、悪いところも含めて人間はかくありきみたいなのを地続きかつ長尺で見せつけてくるもの、目が離せないもの、自己投影してしまうもの、的な。液晶の向こうの遠い土地の赤の他人がまるで隣の部屋に住んでいる人のように思える点では、サタンタンゴを見ているときと大井さんを見ているときは全く同じ感覚になる。今更社会への反発心が行動に出始めた大人げない自分の行く末は絶対に天パではなく大井さんであって、歳が一回り近く違う同じ道の先輩を見つけてしまったからには見届けないわけにはいかず、時に救いに、時に反面教師に受け取り方を変えながら大井さんが生きているうちは自分も生きていられるという危ない自信の拠り所として大井さんの配信を視聴している。はみ出し者に対して自分が向けている視線を自分に向けられるのが恐ろしくて規範第一で生きてきた自分にとって、真面目過ぎて破天荒な過去の大井さんは憧れに近いものがある。今の大井さんも、いつポックリ逝くかわからない危うさを滲ませながらああだこうだ言いつつやりたいことやってるのはとても大井さんだなあと思うし、自分とは違う意見を聞ける場所としてなるべく長く配信を続けてほしいと切に願っている。他人に「いつ逝くかわからん」なんて縁起でもないことだけど似た生活でポックリ逝った人を身近ではないにしろ知っているので正直に思っていることを書いた。逆にめちゃくちゃ長生きしそう。

 

最初に書いた哲学のお話と学生大井さんのお話は自分の中ではザ・茶番を介してつながっていて、大井さんも茶番も自分も厭世的な見方に寄りがちというか足突っ込んでるというかがっつり悲観しているというか、茶番を聞いて育った大井さんの配信を聞いて今生きている自分の思考がそっちに寄っているのは、大井さんの真面目な話を真面目に聞くのが好きなのは、やっぱり根っこが同じ地区にあるからなのかなと思って。自分にはそういう視点がなかったので新たな知見を得ることができたから今回のメンヘラ期間には意義があったよ、ということ。先日の魂のリサイクルの記事内容にも通ずるところがある。

 

眠い頭で懸命に文字をひり出してみたけど想像以上にゴミ。なので朝読んだらもっとゴミなんだろうと思うと悲しくなるけどこの午前2時半にあった一瞬の思考を見返せるように可視化することには意味があるのでこれでいいことにする。届いた本を読んだらまた考えが変わると思うので次はテーマを一つに絞って書くように心がけたい。大井さんの件の過去ブログも読み終わったらもう少し具体的な感想が書けると思うので新鮮な感想を書き留められるようにしたい。特別なことは書けなくてもごくありふれたものの一部ですって主張をのこすことは自分でもできるんだぞっていうのを将来の自分に示してやりたい。寝る。