はつもの

いきてるよ~

ずっと考えてたんだけど

ガチ恋とはちょっと違うかもしんない。
こないだO氏出荷お祝い記事で「ガチ恋なんだわ、すまねえな」という話を書いたけど、イマイチ腑に落ちてない部分があって、その後もずっと考え続けた結果違う原因もあるんじゃないかと思い至ったので記録しておく。
 
以前、O氏というコンテンツをどう見ているのかという記事で「奴は自分にとってのサタンタンゴ」的なことを書いた記憶があるけど、それがショックというかモヤモヤを覚えた原因のひとつなんじゃないかと思う。
ガチ恋だと考えるに至った要因はこれまでも別の人物に対して抱いていたことがあるので、O氏にだけガチ恋なのはおかしい、という問題点は先の記事にも書いた。
そうするとO氏特有の要因を洗い出すことになるわけで、どう考えてもサタンタンゴしか思い浮かばないわけ。
 
要するに自己投影しすぎというか、O氏に起きる出来事を自分事として捉える悪癖が発動した結果矛盾がおきたのがショックって形で発現したということではないかと思っている。
 
自分は他人と暮らすとかいうクッソ難易度の高い行いをするつもりは微塵もなくて、O氏も1年前くらいの配信で「同居って難しいよね」みたいな話を友人のおじさんとしていたので、勝手に「共同生活苦手族」として自分とリンクさせてしまっていた節がある。
だから「同棲する」って聞いて話が違うやんけ!と思ってショックを受けたんじゃないかと考えた。
もし同棲じゃなくて結婚だったらショックを受ける暇はなかったようにも思えるし、シンプルに「彼女がいます」っていう話だったらヒュウッ!リアリィ?そいつぁゴキゲンだな!で完結してたと思う。こればっかしはタラレバだから都合の良いように解釈してるだけかもしれないけど。
そもそもO氏が彼女いなくてもリア充だっていう大前提を無視してる時点でショックもクソもないしな。
 
サタンタンゴリンク説は自分の感じ方としてガチ恋説よりしっくりくるので考えるのやめなくてよかったって思ったんだけど、下手するとガチ恋よりきしょい可能性あるなと思ってなんとも言えない。
ショックを受けたって事実は変わんないし、あれこれ理由をつけて「自分はガチ恋勢ではありません」ってアピールしておきたいだけのようにも思える。
 
O氏の普段の配信は”先生”がパーリンカ煽りながら村人観察日記を書いてるのを観てる時と同じ気持ちで聞いてるし、サタンタンゴがとてもスクリーンと20年以上の時を経た向こう側の話とは思えなかったのと同じようにO氏というコンテンツもインターネットの向こう側とは思えない妙なリアリティが未だにあるので、独り身だろうが同居人がいようが無職だろうが社畜だろうがずっと焼酎と二人三脚でチーズロール額に乗せて闊歩しててほしいなって思う。
同じ国で生きてる人なんだからリアリティがあるのは当然かもしれないが、ネットを介して見るリアルは主観だと創作物と大差ないので表現としては間違ってないと思っている。
そういう意味で、彼女さんはいわばイリミアーシュである。
サタンタンゴにこじつけるなら、今はフタキが荷造りしているカットのあたりだろう。作中で最も希望に満ちている場面だと思う。O氏にとってもそうだと尚いいんじゃないだろうか。ようわからんけど。
 
未来の自分にブチギレられると困るのでマジレスもぶら下げておく。
他人をサタンタンゴ呼ばわりするのは、ましてや全く知らない彼女さんを暴言虚言の自称救世主に例えるのは双方に対して失礼の極みなのでよくない。
ただO氏が自分のサタンタンゴだという感覚はどうも他に形容のしようがないなと感じているのでストレートにそう書いている。イリミアーシュの出現で覚醒ブタキが見れるんじゃないかって言いたかっただけだ。
自分はエシュティケよりもモノを知らない。語彙力がないだけ。
 
なんか〆の言葉用意してたんだけど忘れちゃった。サタンタンゴの話みたいになっちゃってるしどうしようもないからこのまま載せる。
同棲を始めてもO氏がこれまでと変わらずサタンのタンゴをインターネットで聞かしてくれたらありがてえなと思う。
大地は母で、海は父で、
ボクトット ミス ボクトット ミス ボクトット。