はつもの

いきてるよ~

体臭(蔵出しそのに)

空白の3か月の間に書いてた記事そのに。
配信の視聴者であることに疲れてきてたのかな?っていうよくわからん内容。
何かに当てこすりたくて書いた記憶があるけど忘れた。
 
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体の臭い、といっても、リアルの話ではない。
ネットスラングでよく痛い発言とかに「くっさ」とか言うじゃん。あれ。
ネット上の体たる自分の文章から臭うものを仮に体臭と呼ぶ。
 
自分は体臭には人一倍気を遣っているつもりでいる。くっさって言われるのが怖すぎる。そもそもそういうこと言われないように露出を控えている。
ただ、日の届かないところに籠っている人間ほど体臭に気付けなくなるので、たまに外に出てみた瞬間にもし通りがかった人が鼻をつまんだら一生外に出られなくなる。それがさらに怖いから適度には露出するようにして、どの程度の文章なら臭くないのかを探っている。
それでも、体臭はゼロにはできない。
 
それぞれが生まれ持った性質、歩んできた環境によって、ある程度体臭のカテゴリが固定されている印象がある。そしてそれは異なるカテゴリの香りとは混ざらない。選ぶ語彙もノリもそれぞれのカテゴリごとに傾向がある。さらに、違うカテゴリの臭いは鼻につく。たまに香水の使い方がうまい人もいる。時間をかけて体臭改善をする人もいる。
 
自分の体臭はある種複雑性があって、マジョリティではないような、焼肉屋の後にタピオカ屋に行く、みたいな感覚がある。絶対に伝わらない例を出してしまったけど的確な例えが思いつかない。
他人の思考がわかんないのでなんとも言えないけど、大体の人は自分と解釈の合う居心地のいい体臭をまとっていると思うので、わざわざ「くっさ」って言われるリスクのある場所に自分から行かないんじゃないだろうか。
 
自分のインターネット人格は二次創作が盛んなタイプの女オタクによって育てられたものなので、体臭は女オタクカテゴリのものだと自覚している。しかし普段自分が露出する場所はTHE・老舗大衆居酒屋みたいな、古のインターネットの煮凝りが集う場所であり、先述の女オタクの体臭は即「くっさ」案件である。体臭はある意味適正とも言えると思うが、適正と好みが一致していないのである。だから発言の際にはとにかく8×4を振りまいてからエンターキーを押している。自分自身そういう臭いのが嫌いなので、自分の体臭に鼻をつまむこともしばしば。臭い自覚のない他人もムリ。スメハラである。前書いた記事でも似たような話してたと思うけど、その場のマジョリティの体臭を嗅ぎ分けてそれに合わせた香水をうまいこと纏わせられたら最強。
 
女オタクの体臭は強めの独自性があって、男オタクも太古からインターネットを主導してきた実績があるのでそれはもう加齢臭かってくらい体臭は強い。まあ両極的ではあるけど。
中性的、無性的なオタクはごく少数か、まだ体臭がないくらい歴の浅い人の印象。結局ベースは脳みその性別に依りがちかもしれないし全く関係ないかもしれない。答え合わせ出来ないから知りようもない。
インターネット上でどんな環境に身を置くかは自分でカスタマイズできるので、ベースがなんであろうと体臭の大半は自分の好みで決まっていると言っていい。だから極端な人もいれば日替わりの人もいる。この人昼飯カレーくってきたんやな、的な。
だから自分みたいに成長期が過ぎてから好みがガラッと変わってしまったりすると急に自分の体臭にむせるようになる。脊髄反射で出てくる文章があまりに女オタクっぽいのでつい悲しくなってしまう。もう少しゆるい体臭になりたかった。
 
このブログの体臭はいかほどのものだろうか。強めの香水を多量に撒いているつもりなんだがどうだろうか。
そもそも文章が下手でつまらんのはさておき、どういうものを接種してきたどういうタイプの人間なのか、つまり、シリアスなのかユーモラスなのか、楽観的なのか悲観的なのか、とかそういうものがどのくらいの濃さで出てるのかが非常に気になる。
自分としてはとりあえず言いたいこと書いてるだけで、性別が匂いそうなことは書かんでおこう、くらいの意識しかしていないので予想ができない。これが今の自分そのものの脳みそです。素材の味です。シュールストレミング並だって言われたりなんかしたら立ち直れる気がしない。
体臭は印象と直結してるからせめて清潔感だけは出せるようにしたい。せっけんの香りを纏いたい。
 
 

書きたいことがない(蔵出しそのいち)

空白の3か月の間に書いてた記事そのいち。
配信者熱が冷めて俺屍熱がふつふつしてたときの話。
なお溜まってる配信は見返していない模様。
 
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最初の2ヶ月くらいは結構なハイペースで記事を書いてあげていたし、先月も長文を1本かいた。一旦自己主張の波が収まったのでなんか書こうと思っても特に書きたいことがない。
 
だけど月に一度も記事を上げなかったっていうのはなんとなく嫌なので、適当に日記など書いてお茶を濁そうと思う。
 
ここ1年間ずっと配信者の天パと豚さんを観ていた。1回の配信の時間がクソ長いので、リアタイにしろTS視聴にしろ余暇の相当を費やさないと追いかけることができなかった。そして自分は一時にひとつのものにしか熱が向かない特性があるので、他の趣味は見る配信の無いときに気が向いたら、くらいの程度になっていた。
先月ごろから徐々に天パと豚さんの配信を追いかけることにあまり熱が入らなくなり、ゲームするついでに流しておく、くらいの熱量になった。本来このくらいの加減が最適なコンテンツだとは思うんだけど、ながし聞きしていると内容が記憶に残らないので自分にとってこの状態は追いかけているとは言えない。豚が芸人の影響で言動が強くなってきたのもあいまって、ちょっと億劫だけど聞かなければいけないという強迫観念に似たものも混じり始めていた。
そんなタイミングで我が友人が昔の実況を見始めたという知らせを目にし、このチャンスを逃してなるものかと自分も後追いで同じ実況動画を見始めた。一週間前の話である。
そんな大したことじゃないんだけど、実況動画をひたすら見るという習慣が久しく消えていたので(配信に置き換わってただけだけど)、とにかく今楽しくてしょうがない。愛を持ってゲームを心から楽しんでいる人のプレイってこんなに面白かったっけ?なんて思ってしまうほど違う毛色のものをずっと見てたんだなあと気付いた。実況動画見てた頃も配信者追ってた時も、どっちも「面白い動画を見ている」っていう感覚だったので、面白さがさらにジャンル分けされてるなんて考えたことなかった自分はちょっとした衝撃を受けた。お笑い芸人みてえな面白さとゲーム愛からくる面白さって全くの別物なんだなあ。どおりで芸人のゲーム実況が自分に合わないわけだ。
 
元々、豚さんは文章と雑談が気に入って聞き始めたし、天パはゲームきっかけだったけど結局雑談が一番好きだし、そもそもゲームをする人たちとして認識していない。一方実況は特定の1人(1組)だけど、めったに雑談を挟まず、ひたすらゲームのことを考えて喋ってる。適材適所というか得手不得手というか、ゲーム実況動画の捉え方がそもそも違う人たちを同じものとして観てしまっていた自分の目ヤベーなと思った。自分が好きなゲーム実況動画は言わずもがな後者のゲーム愛・ゲーム実況愛で自分の為にプレイしてる人。天パと豚さんは今流行ってるタイプの実況(?)のほうが近いのかもしれない。リアクション芸特化というかお笑い優先というか、ゲームの面白さは別として、みたいなところある。酒飲みながらだから直前の文章すら読めてないこともあるような雑プレイだし。それはそれで面白いからそういうの見たいときには最適だけど、ゲーム実況が見てえなあってときに天パと豚さん見るとコレジャナイ感で胃がムカムカする。これは自分の采配ミス。
だから豚さんが今のゲーム実況は違うみたいな話してるとおまいうってなる。豚さんの界隈は確かに原初的な実況ではあるけど当時から違うプレイスタイルの人はいっぱいいたって自分で動画で言ってるのにね。たぶん豚さんが言いたいことをこっちが聞き取れてないんだとは思うけど、伝わるように言ってるとも思えないので聞き流すが吉。豚アンチじゃないよ。自分と等身大の裏表ある人間なんだなあっていう人臭さがリアルで好きなんだ。だからたまにクソ嫌いになることもある。でもよく生きてる。だから好き。
 
内容がないよう。
要するに今2周目の実況が超面白くて睡眠時間が足りてないってこと。天パと豚さんは一週間くらい完全に放置してる。やっぱり配信追うより実況動画見てる方が100倍楽しいし生の喜びを感じられる。自分は天パ豚を急激に摂取しすぎた。視聴者層もちょうど変わり目みたいだし一抜けるにはいいタイミングだったと思う。溜まっちゃった配信は休日にゲームしながら一週間分見る。

近況報告

ほら言わんこっちゃない。綺麗に更新が途絶えた。
下書はそれなりに書いてたのに。
 
12月初旬に書いた下書2本はもったいないから後でうpするとして、
この3ヶ月?の間に何があったか、これからどうなりそうなのか書き留めておく。
 
配信者熱が冷めると同時に俺屍熱が爆発、もとい再燃した。
爪はふりだしに戻った。今は危機感に駆られて再チャレンジ中。進捗はない。
 
約1年間現実だけに浸って生きてきた反動か、空想世界にどっぷり浸かるのが楽しくてしょうがない。
中心にあるのは稲葉さんの一族。あれは最高の実況動画だ。
あんだけ嫌悪感のあった二次創作も徐々にセーフゾーンが広がってすげえ数見た。稲葉さん自身が動画で触れてなかったら見てなかったと思う。感情移入するにあたって妄想は不可欠だということが身に染みて分かった。あと絵師のツイッターを見るのは精神衛生上よくないということも学んだ。
俺屍自体にもどっぷり。リアタイで脇下を追ってた頃に買って罪悪感に耐え切れず投げていたvitaアーカイブで買った俺屍をひっぱり出してきて、環境整えてPCで録画しながらちょっとずつ進めている。攻略本も買った。ゲームとして楽しむ分には投げる要素はないけど、遺言や進言にキャラクターの意志が垣間見えたときにプレイヤーとしての罪を感じて一気にしんどくなる。産んでしまってすまない。
 
さらには数年ぶりにペンを手に取った。実況クラスタ(笑)時代ぶりに二次創作に乗り出そうとしている。
ブランクがありすぎることと環境を一新した影響でまだ成果物はなにもないが、どうしても見たい作品が頭の中で何本か完成している。アニメ入りの手書きMADが1本と、音MADが2本。漫画にしたい妄想もいくつかある。
イラストをアナログで描くところまでしかしたことがない自分にとって何もかもゼロからのスタート、正直ハードルが高すぎると思う。AviUtlの使い方覚えて、REAPERという概念を理解して、アニメーション指南書を買って、ペンタブの練習して、ドット打って。
五兎を一度に追いかけている。一兎をも得られない展開しか見えていないが、でも本編完結から5年経って未だニコニコに自分の構想と同じMADがうpされていないなら自分で作るしかない。うpするかどうかは別としてコンテンツとして存在しているところが見たい。自分が。特に手書きMADは茶番の曲で作りたくなってしまったので、自分でなければこの牌は切れないという確信がある。音MADがとん挫してもこれだけは絶対に完成させたい。音MADの数倍大変だが。
友人に「それは恋だよ」と言われたが本当にそうだと思う。こういうのが見たい!と欲するエネルギーが尋常じゃない。音MADのための素材集めをしているときに床に座ってるのがつらくて机と椅子を買い揃えた。資料もいっぱい買った。クソ高いスキャナーまで買った。完全に散財。金を惜しむという発想すら出ないほど実現させることしか考えられていない。仕事なんかしてる場合じゃない。
ディテールにこだわりすぎる悪癖があるので平安時代の庶民生活についての資料書みたいなのもいくつか買った。俺屍の世界自体そんな時代考証しっかりしてるわけじゃないから役に立つかは不明。
それらを形にするためにやりたいことで頭がいっぱいの状況が楽しい。自分のことだからきっとどこかで飽きるかもしれないけど、それまでは全力でこの生きがいを味わっていたい。
 
12月と1月は本当にそれで頭がいっぱいで、考えすぎてずっと体調悪かった。性癖まで変わった。ブログ更新しようって余裕すらなかった。久しぶりに自分の手綱がどっか飛んでってしまった。
ただお陰様で心の健康状態は最高。生きてるのクソ楽しい。今は俺屍の小説を読んでる。ゲームの序章と同じで容赦がない。多分すぐ読み終わると思う。
暫くはとにかく絵を描くしかないと思っている。原作厨の自分が満足するMADを作る為に今一番足りていないのは画力。こればっかりは描くしかない。モチベーションをいかに保てるかが勝負になる。
原作厨も黙るような一族を自分の手で描けるようになるまでどうか心が折れませんように。
 
 
 
 
あと、さっき何気なくアクセス解析見たら自分で閲覧した記憶がない日にアクセスの形跡があってちょっとヒュッとした。いや全体公開にしてんのは自分なんだけど、Twitter鍵垢引きこもり歴数年目の身にはちょっと刺激が強い。誰でも見れる場所に置いておくことに意義があるのであって本当に見てくれとは思ってない。やっぱり検索除けってやつはしたほうがいいのかもしれない。でも面倒だから必要に応じて公開範囲変えようと思った。

性欲は怖いよ お金は大事だよ

自分も一応人並みに恋愛と縁のある人生を送ってきて、その思い出が占める割合は小さくない。いや小さいけど。あまり進んで人に聞かせる話ではないけど弁明したかったことが混ざっているので一回全部書いてみようという試み。なお1万2千字ちょいのクソ長文なので注意。
 
先に概要をまとめておく。2020年10月末時点。
これまでに恋愛感情を抱いたと自覚している回数、4回。
自分から告白した回数、3回。
振られた回数、1回。
告白まがいのことを言われた回数、1回。
告白された回数、1回。
付き合った人数、2人。
数字にすると少なさが際立つ。なんとなく恋多き自分みたいな自負があったので全くの誤解だということがまずわかった。
自分が書きたいのはお付き合いさせていただいた人の事。
ひとりは中学生の時の異性、Aさん。ひとりは専門学校の時の同性、Bさん。
 
中学生時代については自分の未熟さが目も当てられないほど酷かったのであまり思い出したくないんだけど、度々接点があったAさんを好きだと自覚したのは1年生の時。田舎の中学生の関心事といえばクラスメイトの恋愛事情が一番で、自分もその例に漏れず同級生の好きな人を聞き出すのに一生懸命だった。その情報交換のために自分の好きな人としてAさんの名前を使っていたので学年中がそれを知ってた。不幸にも自分とAさんは同じ部活動に所属していたので、2年次の地区大会で負けたら罰ゲームで告白すること、なんて賭けを部員から持ちかけられて、自分もまたAさんと両想いらしいということを嗅ぎ付けていたのでそれに乗っかってしまい、初戦でその大会の優勝者とかち合ってあっけなく負けて告白して付き合うことになった。
でも運動部で部活真っ盛りの2年生がそうそうデートの約束をできるわけもなく、一緒にどこかに遊びに行ったのは別れるまでの間に3回くらいしかなかった。そのかわりに毎日一緒に下校してた。初めて手を繋いだとき、恋人つなぎをしたときのあの言葉にならない気恥ずかしさと高揚感だけは今も思い出せるし、幼かったなあ、きゃわいらしいなあと思う。自分が些細なことを気にしてだんだんと冷めてしまい、「来月一緒に遊ぶ約束を履行したくない」という理由で10ヶ月目くらいで振った。最後まで優しく接してくれたAさんには本当に申し訳ないと思ってるけど、親友以外に別れたことを伝えるのはしばらく待ってくれっていう約束を一日で反故にされたのはちょっと悲しかった。翌日学校行ったら全員知ってるんだもの。中学生の好奇心をなめてた自分も悪い。
自分の異性経験がここまでしかないのが今の挙動不審妄想過多につながっているとも考えられる。このころの性別の隔たりなく誰とでも仲良くできてた空気をずっと引きずっている。異性に夢見がち。
 
高校時代はとにかく趣味とバイトが忙しくて恋愛に一切頭がいかなかった。なお友人たちは全員恋人がいた模様。中学時代はオールウェイズ体操着だったので貴重な制服恋愛を経験してないのはちょっとだけ惜しい。
 
専門学校に入ると趣味どころかバイトに行く時間もないほど勉強が忙しくなって余計に恋愛からは遠ざかった。いや逆に近づいた。学校にいる時間が長すぎて感覚がおかしくなってた。
ここが今回の本題。きっかけから絶縁までを網羅しているのでものすごく長い。未来の自分の読みやすさなどは無視してるので適当にかいつまんで読め。そして悔い改めろ。
 
本題
とあるクラスメイトのBがいた。夏のクラス替えで初めて顔を認識した程度の関わりで、話したことないグループの一員だった。その時は秋で、在学中の一番の目標である大きな試験を控えていた我がクラスは下校時間が夜の7時とか9時とかだった。何がきっかけか忘れてしまったけどそのグループの人とよく話すようになり、普通に友人としていい関係を築きつつあって、一緒に下校するようになったりした。その流れでBは付き合っている人がいるということとその相手が同性である、つまりBはバイである、ということを知った。身近にセクシャルマイノリティを公表している人が一人もいなかったし、そういうのが現実にあることを知りつつもどこか二次元限定の話として捉えていた節もあり、突然現れた(ように感じるだけでずっと身近にいた)セクマイに爆発的に興味が湧いてしまった。
デリカシーの無い自分はBを飯に誘い、「それってどういう感じなん?」「やっぱりいろいろ苦労するもん?」などと根掘り葉掘り聞いた。これは相手への配慮ゼロのヤベー奴ムーブなので二度と繰り返してはいけない。しかしBはまんざらでもない様子に見えただけで実は不快だったかもしれないけど普段と変わらないトーンで質問に答えてくれた。どういう回答だったかは覚えていないけど新しい世界を知ってしまったなあという途方もない気持ちになったことは覚えている。Bが恋人とキスしてる写真を見せられて反射的に号泣してしまったのは確かこの飯の帰り道。当時は幸せそうな二人に心震えてしまったんだと信じて疑いもしなかったけど本当はもうBのことを好きになってしまっていたんじゃないかと思う。いくら涙腺ガバガバの自分でも友人が恋人とチューしてるの見て泣くのは異常。
 
そこから数週間は記憶がおぼろげなんだけど、徐々に自分のBに対する気持ちが変じゃないかと疑いを持ちはじめた。恋人の話をされる度に湧くザワザワ感はだんだんはっきりと独占欲と嫉妬心に変わって、二人で話す時間が特別楽しいと感じるようになった。友人に対して抱く”好き”とは明らかに形が違う。この期間、マジで苦しかった。
まず、この時点ではまだ「自分はノンケである」という大前提が崩れていないので、なぜ同性で友人のBにそんな気持ちを持ってしまうのか大真面目に見当つかなくて、Bが自分の性癖に刺さりすぎているんだと自分に言い聞かせることでなんとか脳みそを冷まそうと必死だった。このころ既に恋愛感情などというものがどんなものだったかも忘れ果てているのでこれはもしや…?って疑念までは遠く及ばなかった。自分で自分の感情を把握しきれないのがただただ怖かったしつらかった。
それ以前にBは恋人がいる。嫉妬心が湧いたところで自分がしていいことは何もない。すべきことは我慢することと忘れること。自分の感情すら理解できてないので対処法なんてのはもっとわからなかった。
一番しんどかったのは謎の匂い。Bの半径3mくらいにいるといつも桃みたいな甘くてめちゃくちゃ強い香りがするんだけど本人には自覚できない匂いらしかった。出所はシャンプーでも柔軟剤でも香水でもなくて可能性があるとしたら体臭なんだけど、別に嗅ぐ距離が変わっても匂いの強さは変わらなかった。なにがつらいってこの匂い嗅ぐと興奮してしまって会話に集中できなくなること。もっと嗅ぎたい~!ってなっちゃう。友人に聞いてもそんな香りはしないとのことだったので自分の嗅覚がバグってたんだと思う。未だ真相は不明。
そんな混乱とは無関係に本業の勉強はどんどん密度を増していく。言い訳にしかならないけど思考力は確実に落ちてた。
 
試験まであと少しって頃になって、自分は限界を感じていた。
自分の感情を強引にカテゴリ分けするなら性愛に近いって自覚はさすがに芽生えてたし、それを絶対に本人には伝えてはいけないことは言うまでもなく分かってた。往生際が悪いので自分はまだノンケだって思いたい気持ちもあった。今ここで何もなかったことにできれば自分はノンケのままでいられる。波風立たないことを是とする自分は「世間的な普通」のままでいたかった。もう既に自分は自分の言う普通には当てはまらないという事実を直視できなかった。異性愛者でないことに差別意識があるわけではなかったはずだけど、それが未知のものだからこその拭えない抵抗があった。
けれども自分の覚悟というものはあまりに衝動に弱く、耐え忍ぶことを面倒くさがる悪癖は一生の悔いを生んだ。
言っちゃったのである。実は好きなんですと。
自分はあなたのことを多分そういう目で見てしまっていますけれど、状況は冷静に把握しているつもりですしそちら様の関係を邪魔するつもりは微塵もございませんので、どうか自分めがこの気持ちを忘れられますようご協力いただけないでしょうか、という主旨の発言をしたと記憶している。ここでいう協力とは個人的関係の断絶を指す。Bは自分のことを友人だと思ってくれていたようであらゆるタイミングで一緒に過ごそうと寄ってきてくれるんだけど、一方的にそういう気持ちが湧いている自分には毎日発生するその時間があまりにもしんどかったし卒業までの残り1年以上を我慢し続けるという選択肢は非現実的だったので「自分はお前の恋人さんの恋敵やぞ!近寄るんじゃねえ!」という牽制をしたかった、などと自分は供述している。友人同士の横のつながりがあることを考えてやっぱり黙っておくっていう選択肢まで頭が回らなかったのは確実に敗因の大部分を占めている。
 
好意を口にしてしまうことで相手にそういう意識を持たせてしまうので「忘れたいから好きを言い逃げ」するのは無責任だ、という意見を目にしたことがあるけど概ねその通りだと思う。
なのでその先なにがあろうとも根本的に悪いのは自分だっていうのは頭では分かっている。あのとき口を滑らせてさえいなければ。分かってるつもり。だけど限度ってもんがあるんじゃねえか、同罪じゃねえのか、とつい言いたくなってしまう。
言っちゃった事件のとき、Bは「わかった。協力する。好きになってくれてありがとう。」と答えてくれた。ええ人や、と思った。解放されると思って、自分の好意を伝えることができてスッキリした。This is 身勝手。
「協力」なんてぼやかした言葉を使わずに「もう二人で会うのをやめてほしい」ってストレートに伝えればよかった。付き合っている人がいるときに他の人から好意を伝えられても本当に恋人のことが好きなら断って関わらないようにするのが恋人と好意を伝えてくれた人両方に対する誠意だと自分は思っていたし、普段聞かされる話では心底恋人さんの事が好きなんだなあって感じだったし、自分にはBが品行方正で素晴らしい人に見えていたのでその程度の誠意は絶対に持っているだろうと高を括っていた。Bのことを分かっていなかった。俗にいう恋は盲目である。
 
要するに、そういう誠意はBにはなかったということ。世の中には同時に複数の人に同程度の恋愛感情を抱くタイプの人もいるけどBはそのタイプではない。Bに勝手に期待を押し付けたのは自分なので裏切られたなどとのたまうつもりはない。
後日、なぜかまた二人で話すことになって「せっかくの好意を無下にできない、それは申し訳ない」って言われて、ミスったなって思った。だけど恋は盲目なので、そう言われて嬉しいとも思ってしまった。自分もBと同じくらいどうしようもない人間なので、もしかしてワンチャンあるのでは?と覚悟が揺らいでしまった。
それから付き合うまでのことは人間のクズい部分が凝縮されているので文字に起こすことに耐えられない。正確に思い出すことも憚られる。けどここを書かないとタイトル回収できないし成仏することもできないので血を吐くつもりで頑張って書く。
 
まず、なぜか2人きりで遊ぶ時間がめっちゃ増えた。最初は「詳しく話がしたい」って言われたのがきっかけだったと思う。
2人で話してたらそりゃ自分が吹っ切れられるわけないんだけど、ていうか自分がもう少し聡ければこの対応で逆にスッパリ諦めがついたと思うんだけどそんなことなかったので、当然気持ちは募る一方。
2人で会うときは大体夜で個室があるお店だったこと、会う頻度が増えたこと、申し訳なくて(?)費用はおおむね自分負担だったことから、高校2年間のバイトで貯めた貯金が一瞬で尽きた。昼飯を買うお金がなくなってBの弁当を分けてもらったりするようになった。自由に使えるお金がないという焦りが余裕をごっそり奪ってしまうので自分の事について考えるのがとにかくつらくなった。
学校のある日の夜はBがバイトじゃない限り毎日終電まで一緒にいたので睡眠時間が減った。自分はロングスリーパーで朝起きられない人間なのでまあまあ学業に響いた。皆勤に命を懸けていたので遅刻こそなかったけど元々多かった居眠りがさらに増えた。実家暮らしだったから親にもそれなりに怒られた。普通に試験落ちた。悔しくならなかった。
ここまですら一切まともじゃない。会わないようにしようって提案したつもりがそれまで以上に会うことに金と時間をかけてしまっている。心の余裕はお金の余裕と直結してるんだってこのとき心底実感して震えた。でもBと話すためならって思うと財布の口ががばがばで、最終的につらすぎて親に泣きついた。馬鹿か?
Bはお金出さなかったのかな?って思い返すと、出すこともあったけど基本的にお金ないってスタンスだったので、自分が金を出しさえしなければ会う時間も必然的に減っていたのではないかと思うと失ったものが多すぎて悲しくなる。自分の金銭感覚がやばいことを初めて知った。高い勉強代だった。
 
なんでそこまでしてBとの時間を作ってしまったの???っていうのが性欲の怖いところ。
会う頻度が増して、全く改善されない様子の自分をみてBが「やることやっちゃえば逆に未練なくなって吹っ切れるんじゃない?」って言った。
自分は反射的にBの恋人さんの顔と「んなわけねー!」っていう感情が湧いたにもかかわらず「いいの!?」っていう嬉しさが一瞬でそれをかき消してしまった。馬鹿か?もちろん何回か断った。でも何回も誘われた。もしかしたら本当にそうかもしれないと思った。馬鹿か?
こういう話を文字でネットに残すの本当に頭がどうかしてるけど、そうやって誘われるがままにハグから始まっていろんなことをアレした。そういう経験がなかった自分には刺激的すぎて据え膳に手を出さざるを得なかった。これは自己弁護だから正確性に欠けるけど自分からそうしたいって言ったことは記憶にある限り一度もない。誘われて応える、の繰り返し。それがエスカレートしていった。自分からは誘わない、けど2人で会うのは断らない、っていうのは自制の限界値が見えててクソだなって思うし心から反省してるし人のこと言えた立場じゃないんだけど、Bの恋人さんのことを考えて乗り気になれなかった自分に大丈夫だから、気にしないからって追い打ちをかけたBも許しがたいのでは?と思っている。本来自分に迫られて断る側の人間が誘ってどうする?ってずっと頭の隅で思ってた。それでも自分は断らなかったし恋人さんより自分が選ばれているという優越感を少しでも感じていたのは事実なので弁解の余地はない。
状況的にどう考えてもセフレとか2番目とか保険とかそういうポジションだよなあと思って「これは自分セフレでは?」って言ったこともあるけど「悲しいこと言うんじゃない」ってビンタされた。キスだけはまだ未経験だったからちゃんとしたお付き合いまでとっておきたかったし恋人さんの為にもする気はなかったというかしようとしてもできなかったのに雑に不意打ちでBからされてさすがの盲目ワイもこいつマジかって思ったこともある。予想通り自分が原因で恋人さんと喧嘩になったBが自分に泣きついてきたり。今思い返せば何もまともなことなんてなかった。思い返さないとまともじゃないことに気付けないのが怖い。どこをどう切り取ってもBの浮気相手でしかなかった。何が正しいのかわかんなくなっちゃっていた。
なんだかんだBの恋人さんも普通の人よりはかなりメンヘラ力の強いお方で依存性の高さゆえに色々やらかしている様子だったので、Bから恋人さんの事について相談されるとついクセが強いね、すごいねって同調してしまったので喧嘩をあおったことになる。散々仲たがいさせそうなことを口にしておきながら、「これで別れても自分のとこに駆け込んでくるのはよしてくれよな」って思ってた。最低。でもそのくらいBも恋人さんも面倒な人間に見えてた。口出さないのが一番だったって後からならいくらでも言えるんだけど。あの場にまともな人間なんて一人もいなかった。今思えばBと恋人さんは共依存でちょうどいいカップルだったんだと思う。
 
それから数か月はBが恋人と喧嘩別れしたことしか進展はないんだけど、自分だけ2週間くらいの宿泊研修に行ったときに「本当にこの関係なんとかしたいから研修の間は連絡取らないようにしよう」って提案して呑んでくれたはずなのに相変わらず頻繁に連絡が来たときはいよいよこいつヤバイのでは?って思い始めたけど、恋人さんのこと話せる人おらんのかなって思うと無下にもできなかった。裏でBは前恋人にも相談しててそんな心配は無用だったって後で分かった。
恋人と別れました!って聞いたのは年明けてからで、そのころには感情がフラットに戻り始めていたので「そっか」で済ませてしまった。かき乱しておいてとんでもねえ態度だなって自分が元恋人なら思う。恋人さんにはいくら土下座しても足りない。
ずっと心の隅で「このまま流されてたらまずい」って思ってた。嘘つけって思うでしょ。
預金口座はスッカラカン、学業は大コケ、慢性的な睡眠不足、ろくに手が付けられなかった趣味の数々、常に底辺の精神状態。対価は貞操観念めちゃくちゃのひとときとBの恋人さんの不幸。
 
学校が次の大試験に向けてまた過密スケジュールになってきて、前回学年主任からこっぴどく叱責…というより「お前らこの程度か、買い被ってたわ」的な煽りを食らってクソ負けず嫌いの自分はクソ悔しかったので、今度はBの誘いをしっかり断わりながら無事に合格できるまで集中力を保つことができた。授業間の休憩時間は貴重な睡眠時間でもあったので、逐一会話しにくるBに「生きるために必要な睡眠なので構わないでください」と丁寧に断りをいれたりもした。それでもお構いなしに起こしに来るBがうっとおしかった。理由を聞いたら「元気なさそうなのを心配する自分の気持ちも分かってほしい」って言われた。寝ないと死ぬ自分の気持ちも分かってほしかった。
 
そういう小競り合いが起きたりしながらいよいよ春の気配が出始めた頃。自分はバイト先の客やら旧友やら複数の異性から立て続けにナンパ的お声掛けをいただいた。申し訳ないなあと思いつつBのことを考えて丁寧にお断りした。いやしかしこれはナンパすらされたことのない自分にとって大変ありがたいお話であり、モテ期と呼ばれる時期だったと思っている。もっと芳しい春にお越し願いたかったけど。
それをBにも話した。別に黙っててもよかったけど言わない理由もなかった。どういうリアクションが返ってきたかは覚えてないけど、それを聞いたことを理由として「付き合おう」と言われたことは覚えている。正直な話、あまりうれしくなかった。ゲッって思った。そんな衝動的に言っていいことか?っていう疑問と、数か月の間に溜まった不信感が表に出そうになった。でもまだ盲目なので、あと断れる空気じゃなかったので、一息で感情を飲み込んで恋人ができたことの愉悦に浸った。
 
そんなこんなであらゆる犠牲の上に晴れて恋人関係となった自分とB。1年近く付き合っていたと思う。楽しかったし苦しかった。人並みの恋愛だったと思う。内情は付き合う前と微塵も変わらず、ただただ自分の恋愛感情が削れていくのと比例してBの依存度は上昇していった。
Bと付き合ってなかったら経験できてなかっただろうなと思うことはたくさんある。自分と違うタイプの人と付き合うことのいい点は網羅できていた。
やらかしたこともたくさんある。それこそ性欲の暴走で社会的に死にそうになったこともある。二度としない。絶対に。
何かに追われてる風の自分が一生懸命に思えていとおしかった。Bを慰めてる時間が特別に思えた。当時は心からBのことが好きだったし、愛の根源が性欲だというならすべては性欲の成せる業だと思う。Bとこういう関係になってからの自分の性欲の強さにはドン引きを禁じ得ない。股間に脳みそがついてるタイプの人間だって自覚した時のショックはえげつなかった。人としてヤバイって分かっていながら衝動に抗えない自分が恐ろしかった。家路は常に後悔してた。それでも繰り返してしまうのは、そういう場面になったときにストッパーになるべきものが自分の中になかったからに他ならない。
 
付き合う前、Bの大人なところが好きだった。細かなところまで気配りができて、コミュ力が高くて、気さくで明るくて、なんでも一生懸命で、うれしいと思うことを的確に言ってくれるししてくれる。既に黒歴史と化した初期の感情が思い出せないけど、人として魅力的だった。
別れる前、Bの子供なところが嫌いだった。気配りには見返りを求め、ほしい言葉を察してもらえないと拗ねる。警戒心がなくて恋人以外と関係を持つことに抵抗がない(わかってたけど)。典型的な構ってちゃんで我慢を知らない。鋼の心は客観視を忘れ、感情だけで突っ走る。なによりも恋人が一番。共通の友人に嫉妬するくらい独占欲がとどまるところを知らない。裏切られることを怖がるわりに期待の押し付けがすっごい。自己評価も自尊心もバチバチに高くて他人を見下してるのを隠せてない。己を悲劇のヒロインだと本気で思ってそうな言動の数々。率先してリーダー役に手を挙げたり、勉強は真面目だし、人当たりはいいしで決して欠点まみれというわけではないのに人として尊敬できなかった。なんというか「はにゃ~女の子でちゅかにゃ~?」って思ってた。女の子disではないです。Bは女性脳の傾向が顕著だったんじゃねえかなとは思う。
自分も性質がかぶってる部分は多いのであんまり言うとブーメランになる。だけど「話が通じない人」って本当に話通じないんだなって痛感した。価値観が違うとかそういう次元ではないと思う。自分は事実を並べ立てた結果と感情は切り離して考えたいんだけどBは感情最優先なので事実をないものとして扱おうとする。どんなに自分の気持ちを言い過ぎたかなと心配になるくらい直接的に伝えても「でも自分はこう思ってるからわかってほしい」で全部上書きされる。いやそうじゃなくてって反論しようとすると落ち込んで耳をふさぐ。話し合いにならない。わかったから!わかったから聞いて!!って思ってたけど、話し合う以前に許しあう意識がお互いになかった。元恋人さんと会話が成り立ってたのはその人も同じ会話タイプだったからなんだって理解した。
 
すごいのは我が友人たちで、突然バイになった自分とヤバイ匂いのするBとの話を今までどおり普通に聞いてくれた。ここに書いてあるほど深い話はしてないけど、こちらの常識が通じないタイプの人間であるということを察したうえで一つの話題としてちゃんと消化してくれた。たやすく成せることではないと思う。友人たちがいなければ自分はにっちもさっちもいかなくなってもっと怖いことをやらかしていたかもしれない。特にBと自分の共通の友人たちには多大なるご迷惑をかけてしまった。感謝してもしきれない。
 
Bのことを諦めたくなくて、いつか話し合える時が来るんじゃないか、何か転機があるんじゃないかって他力本願になった。もはや好かれる努力もしなくなり、というかそもそも何もしてなかったんだけど、Bへの関心すら薄れても惰性でまだ付き合っていた。
それを友人に話してみた。
「それはもう愛情じゃなくてただの情だし、もう恋人でいられないところまで来ておきながらBさんからの気持ちいい言葉にうぬぼれてBさんを繋ぎとめておくのは誠意に欠けるのではないか」って言われてハッとした。こういうことをはっきり言ってくれる友人がいるのが自分にとって一番の救い。
自分はBのことを勝手に好きになって勝手に嫌いになった。勝手に嫌いになったのをBのせいにしていた。でも責任転嫁してる自覚も自責の念もなかった。
もうBの方を向くことのない自分がBを生殺しにしている。えらぶって視野が狭まりがちなことは自覚していたはずなのに、それに気付けなかったことがショックだった。
 
友人の言葉を何度も反芻して本当にそれが最善なのか確信を得たかったけど、ついに最後まで自分の意志でどうにかすることはできなかった。空気を察したBに促されて別れを切り出した。めちゃくちゃ「なんで?」って聞かれたけど説得力のある言葉は出せなかった。「恋人じゃなくなっても友人として好きでいてくれる?」って聞かれたときは嘘をついた。誠意に欠けている。「友人に戻る」なんて道は自分の中には存在しないので。
結局別れ話もこじれて何度も話の席を設けたけど折り合いをつけることができた記憶がない。ちょうど自分が卒業するタイミングだったので自然と接する機会もなくなった。共通の友人と遊ぶときにはBも大体いるので顔を合わせることはあったけど普通に振舞えていた、と思う。
 
別れてから2人きりになってしまったことが2度ほどある。もとをたどれば我々は体の関係であって、愛情がない今あるのはクズ的性欲のみ。
これは一方的な自分のクズ部分なんだけど、ちゃんとした関係を築く前に性欲を優先させてしまったのが影響してか、Bと2人になると欲情してしまう。恋人でも友人でもなく、セフレとして見てしまう。そういうことをしていい相手として認知してしまっている。馬鹿が留まれよって思うけど、当時自分はBのことを見下していたので当然有効なストッパーがなかった。そしてBもそれを断らなかった。振った側から何かアクションを起こすなんて一番やっちゃいけないことなのはよく分かっているつもりだった。いつも「つもり」止まり。理性が弱すぎる。
じゃあちゃんとしたお付き合いならそうはならんのかと言われると自信がない。成長しきってから付き合ったのはBだけで、そういうことをした相手もBだけだから、自分がただただ性的なクズの可能性も全然ある。それを確かめる自信はない。2度目は自尊心が耐えられる気がしない。
1度目はそういう意識に至る前に事が済んでしまった。2度目で今の自分人間としてまずいなって思って、完全に連絡を絶った。それ以来会っていない。
そんな別れ方をしたにも関わらずBから毎年お誕生日お祝いLINEが届く。自分は送ってない。たとえ自分勝手でも関わりを絶つことが誠意だと思っていた初心に立ち返って返事もなるべく簡素にしている。ついにこの前雑談LINEが来たときは既読無視してしまった。誠意なんて嘘。関わりたくないだけ。
そういうわけで、今現在はこれを文字に残せる程度には経験値として落とし込めている。NTRモノを見れなくなったこと以外は特に影響は残っていない。自分はこの経験を次に生かさなければいけない。誠意とは何かをちゃんと考えることを覚えないといけない。反省しているフリで済ませてはいけない。
 
すっかり書くのを忘れていたのでバイであることについて追記。
Bと付き合いはじめてもバイの自覚は湧かなくてずっと割り切れずにいたんだけど、きっかけも何もなく、頭の中にポンと「いつから自分がノンケだと錯覚していた?」っていう言葉が浮かんで、それですべてが腑に落ちてしまった。有名なテンプレの改変だけど、まさかこんな形で自分に刺さることになるとは思わなかった。付き合ってる最中も今も相変わらず異性にしか目がいかないから勘違いだったと思いたくなることもあるけど、いくら黒歴史とはいえあのとき恋愛感情を持っていたのは揺るぎない事実なので結果的にバイもしくはパンだということになる。認識違いかもしれないけど。
ノンケからバイに変わったんじゃなくて、元々バイの素質があったのに自分はノンケだという思い込みをしていて、Bから現実に存在するそういう世界の話を聞いたことで今まで何の変哲もない壁だと思っていたところが実は扉だったって知って、運悪くそのタイミングでその扉の向こうにいたBに恋愛感情が湧いてしまった、っていう流れ。
付き合い始めてからはあまり性的志向について考えることはなかった。自分が足をくじいてBに手を借りているところを同級生に見られて噂が流れたときは嫌だなと思ったけど、恋人が同性だからとかじゃなくて好きな人をうわさ話のおもちゃにされるのが嫌だった。面と向かって「ねえBと付き合ってるの!?私はそういうのもいいと思う!!で!?どうなの!?」って言われたときに初めてセクマイとして好奇の目で見られることの悲しさを味わったように思う。ただ噂の追及をするだけなら全然構わん。「そういうのもいいと思う」って付け加える必要はあったのか。お前は異性愛者に同じセリフを吐くのか?と思うとどうしても喉に引っかかってしまう。こちとら普通に好きな人と好きなことをしているだけで、異性愛者のお前の恋愛感情との相違点はない。文句あんのか?あ?って思ってしばらく引きずった。たったそれだけのことで。たったそれだけってノンケの自分が思うようなことでバイの自分はマジョリティじゃないことをわざわざ晒し上げられてる気分になる。こりゃ世間のマイノリティへの理解進まないわけだわ、自分で自分の事認められないわけだわ、と思った。自分は少なからずマイノリティに、自分に差別的な目を向けている。それはさておき自分は付き合ってるって言っちゃってもよかったんだけどBに止められていたので誤魔化すしかなかった。確実にバレてたけど。
あとは親へのカミングアウト。Bのことで散々親にも迷惑をかけて失望させてしまったので、せめて実際どういう事情があったのかを知ってほしいという気持ちがずっとあったんだけど、同性のBと付き合ってたんだ、っていうそれをなかなかどうして口にすることができなかった。異性の恋人だったらもう少しスムーズに言えていたと思う。Bが同性だから言えなかった。不思議。
どんなに意識していないつもりでも、Bと付き合った経験が自分をマイノリティ側に引っ張っている。愛も憎も性別なんて微塵も関係ないと言い切れるようになったのはBのおかげに他ならない。
 
 
自分の本質に差し障る部分なので、本当にこれをネット上に置いてもいいものか未だに少し迷いがある。でも人が読めるところに置いておかないと意味がない。身バレさえしなければただの乱文だし、と割り切れる人間でもない。
Bと別れてから早数年、しばらく新しい恋愛とかはしたくない。でも死ぬまでに異性ともう一度付き合ってみたい気持ちはある。普通に両想いの人と普通の恋愛がしたい。しかし心が童貞のままの自分は世間話すら満足にこなすことができないのであまりにハードルが高い。独身を貫くことに何の抵抗もない人間に生まれることができてよかった。
恋愛感情さえなければ性欲も金も暴走しないんだから一人でいるのが一番いいけど開き直りすぎて戒めの心を忘れてはいけない。そういう自分が嫌いなら尚更。そのための記事。

つめにっき

先日見たこの記事がまさに今まで自分が求めていたものでとてもモチベーションが上がったって話。
ネイルサロンのHPとかに載ってるビフォーアフターって怪我レベルで爪なかった人が自分のビフォーくらいまで伸ばしたよ!みたいな実績写真載せてるところが多くて、自分は今のビフォーから一般的に問題ない爪まで育成する方法が知りたかったのでいまいち通うべきか踏ん切りがつかなかった。単純に面倒だったのもある。
けど爪の形変えるレベルで育てられるってリアルに育爪してる人がいるって知れたらそれはもう自分が目指すべきそのものであって、自身も手段もない「爪を伸ばしたい」っていう漠然とした目標だったものに道筋とリアリティを頂けたので大変ありがてえ。
爪噛まない人でも爪の形悩むことってあるっていうのも初めて知った。
 
右手は相変わらず進捗ないので今回は左手についてだけ記録。
爪が長いことにもだいぶ慣れてきて、いよいよ指より爪の方が長いものも出てきた。
ただピンク色の部分が相変わらず時間経過で削れていってしまうためどうしたもんかなぁと思いつつもうしばらくは放置する予定でいた。
 
そこでこれ読んで、早速ネイルオイルを買った。爪は2枚爪とか折れるとかまだないのでとりあえず必要になるまで強化剤は買わずに様子見る。
元ツイの人の爪、劇的変化が過ぎるのでつよい。
伸ばしてみて気づいたことがあって、一つは自分は比較的縦爪らしいということ。横をやすりがけして縦に縦に…とかはやらなくて済みそう。
もうひとつは反り爪気味だということ。真ん中が凹んでるわけではなくて、先端にかけてカーブすることなく直線的に爪が伸びてしまうために先端の指と爪の間に結構な隙間ができている。こりゃ定着しないわけで。
ヤフコメによると反り爪も補強でなんとかできるらしいので、ネイルオイルの調子を見つつネイルエンビーもよく調べて買おうと思う。セルフケアでなんとかできるのか知らんから意味なかったら大人しくネイルサロン行く。
もうひとつ、これはとっても重大なことで、爪は先端だけじゃなくて根元も伸びる。これ知らなかった。左右で爪状況が違うから気づけたんだけど、関節から爪の根本までの距離が結構違う。根元の形も直線からU字カーブに変わってる。爪の根元にかかってる皮も厚かったのに皮って認識できないくらい縮んでる。どういう原理かは知らん。指が伸びているわけではなさそう。比較写真を載せたいくらい全く違う。親指に至っては根本伸びたおかげで爪半月見えてきた。
 
爪噛みの頻度は如実に減っている気がする。なんともいえないけど、このまま左手がすくすくと育ってくれれば左に関しては安泰と思っていい。忘れてたけど足の爪もボロボロで人前でサンダル穿けないくらいなので、ネイルオイルが届いたらフットケアにも注力したほうがよさそう。小指に至っては爪が既にほぼ無いので手ほど簡単にはいかなそう。
でもだいぶ先が見えてきた。いけるでこれ。
 

性別とかいうクソ面倒くせえ概念

「めんどくせえ!めんどくせえ!!MAXめんどくせえ!!!」
っていうネタやってた芸人いたよね。好きじゃなかったけど。
性別について考えてる時の自分の脳内には常にこれが流れてる。

これまでの人生で幾度となく「性別めんどくせえ!」って思ってきた。思うだけで変えたいわけでも対抗したいわけでもなかったけど。
近年はセクシャリティの話題とか増えたし、あと普段好んで観てる男くせえ配信(褒めてる)とかに触れて思うところがあるんけど、わざわざリア友に聞かせるような話題でもないかなと思ったのでブログに残しておく。なお、別に詳しく調べたりしたわけではない。
センシティブな話題ではあるがあくまで私見なのであまり深く考えていなかったりする。
話の切り口がいくつかあるので見出しなんかつけてみたりして切り分けて書いてみる。
 
ひとをあいするということ
性別の話をするにあたって前提として必要かなと思ったので先に書いておく。
自分はシスジェンダーヘテロセクシャル。ごく一般的なノンケ。
って、数年前に突然同性を好きになるまでは当然のように思っていて、それを疑ったことなんかなかった。
なんならお付き合いしていた最中も、別れた今も、恋人以外の同性にはそういう感情は全く湧いたことがない。異性のえちえちなやつ好きだし。
この時の話は長くなるので後日別記事にするとして、初めて真剣に自分の性と向かい合ったのは紛れもなくこのとき。
恋愛経験が乏しすぎて今のセクシャリティがはっきりしてないんだけど、たぶんバイセクシャルパンセクシャルなんだと思う。同性への好意を恋愛感情だと勘違いしただけでまだヘテロ説も考えたけどちょっと無理がある。もしヘテロのままだったなら、「いつから自分がノンケだと錯覚していた?」なんて言葉に落ち着くはずがないからだ。
同性を好きになったから生活が一変、みたいなことは全くなくて、強いて変わったことを挙げるならLGBTs関連のネットの話題に少し過敏になったくらい。セクマイの生きづらさみたいなものを真に理解できるのはやっぱり当事者だけなんだなって思った。なお、自分は当時も全く生きづらくなかったので、セクマイではないか性格がひん曲がってるか、心から普通のことだと思っていたかのどれかだと思っている。
その経験を経て、好きになる相手の性別って意外と関係ねえな?って思った。付き合う相手が異性でも同性でも相違点ってほとんどない。マジでほんとになんにも違うところなくて、自分がノンケじゃないということを受け入れられずにいた頃に逆にびっくりしたのをよく覚えている。
だから、世間の同性婚だなんだっていうやつ見てると「性別っていう区分けめんどくせえな」と思う。恋仲になってしまえば男も女も関係ないんだから扱いを分ける必要がそもそもないんだよな。まあそれは両性と付き合ってみないとわかんないことだから仕方ないんだけど。
LGBTsに突っ込むと長くなるのでその辺はまた別の機会にまとめる。
 
他の些細な自分の特徴も列挙する。恋愛は好きな人が出来てから考える派。結婚願望なし。子供作る気あんまなし。自分の性別に「らしさ」を求められるの嫌いだけどらしさに寄せることに義務感を感じる。ツイフェミやだ。匿名インターネット特有の女サゲもやだ。創作世界の性は別になんでもいい。男女平等を語るなら一度自分の性別忘れろ主義。
ノンケじゃないって分かる前からこの辺は一貫してる。
 
 
性別という概念
「性別は概念じゃないが」って思うかもしれない。
でも個人が生まれ持った生物としての性と、社会的な区分・特徴として使われる性は全く別のもので、そして社会で使われる性別とかいう区分はただの概念でしかないと思っている。最近諸書類の性別入力欄がなくなったとかいう話聞いてるとやっぱデータとしての必要性薄いんじゃないかなって思う。
 
多くの人はどっちかの性器を生まれ持ち、それに沿った性徴を経て、それに合わせた暮らしをしていく。
それはホモサピエンスとしてしょうがないことであり生きている限り避けられない。肺は呼吸を、心臓はポンプをって役割分担がされてるものは、自分自身の考えなんかお構いなしに役目を全うしようとする。だから性自認に関わらず股から白いのとか赤いのとかが出たりするし、身体のビルドも選べない。体の性別は特徴であり個性ではない。
「自分にはこの性器は合わない」と思ったら取り外す・取り換えるっていう選択肢がある時代に生まれてよかったなあと思う。自分もできれば性器まるごと移植バンクとかに提供したいなって思ってる。今のところ邪魔なだけなので。だめかな。
 
対して社会的性別ときたらどうよ。あんまりいらなくない?
身体的特徴はそりゃ性差あるよ。力仕事は男性が比較的向いてるとか、繊細な仕事は女性の方が得意な人多いとか。でもそれって傾向・慣習・統計上の話であって、結局それぞれの人が力持ちか繊細かっていう特徴は性別で決まるんじゃなくて努力やら好みやら脳みそのパターンやら諸々が組み合わさった"結果"であり"個性"じゃないの?クソデカ主語に勝手に含めてくれるなよって思っちゃう。あくまで例だしそんなところまで気にしてたら社会回らねえよとも思うけど。
もちろん、性別があるからこそ成り立つものは大事だし、そこには性別っていう概念は必要だと思う。それは性別を前提としたコンテンツだから。女のみ、男のみじゃないと成り立たない空気感とか文化っていっぱいある。女らしさや男らしさを自分で定義して自分に当てはめて努力したり探究したりするのは好きでやってることだから自由に楽しめばいい。それが自分は好きだし、これからもそうあり続けてほしいと思う。それはそれで素敵。
学校の制服とか、会社の役職とか、身だしなみとか立ち振る舞いとか、性別による区別が全く無意味なところで未だに「女らしく」「男らしく」を無駄に意識させられることが多いなと感じてしまうこともある。学校の制服は統率意識を持たせるため、会社の役職は能力次第、身だしなみも立ち振る舞いもマナー優先、ってそれぞれ目的があって存在しているもののはずなのに、そんでその目的は性別抜きでも問題なく達成されるものなのになんで性別の話持ち込むのかがよくわかんない。スカートもパンツも穿きたい人が穿きゃええやん。なんなら全員スカンツでええやん。だめかな。
 
会社の男女均等に関しては先人の努力で法整備も進んでてそういうフェーズではないと思うけど、感覚的な男女差別はまだ現場にはたくさん残ってるからなかなか根深いもんなんだなあと思う。男なんだから~って仕事を押し付ける人、女なんだから~って挨拶回りに同伴させる人、男なのに?女なのに?って容姿や好みにケチつけてくる人、うちの職場の実話だけど意味不明。立派な性差別だと思ってるけど、それを見てる人たちは全く気に留めていないようなのでなんだかなあと思う。
異性付き合いが少ないので具体例があんまり出てこないけど、男女で何か違わないといけない決まりでもあるんだろうか。
 
 
社会で人とやりとりしたり人間として振舞ううえで「性別」っていう情報はなくても成り立つよね?って言いたい。であれば体質としての性別と概念としての性別は切り分けられるよね?っていう主張。
男性脳か女性脳かで多少価値観や振る舞いに傾向はあるだろうけど、前述のホモサピエンス特有の都合とかはもうそういうものだからスペックと結びつけないでほしいなって思う。都合の点で言うと出産関連の色々がある分女性の方がどうしても負担大きいだろうし、しょうがないこととはいえ何とも言えない気持ちになる。
 
一人称
頑なに一人称を「自分」にして、できるだけ己の性別をぼかして記事を書いているつもり。
ネット上は特に性別ごとの先入観がコチコチに固まってるから、そういうのに括ってほしくない。でも自分は自分の性別を知ってるし、自分の性別ゆえの嫌なこと、よかったことがたくさんあるから、それを引き算して文章にできてる自信はあんまりない。
どうだろう。どうせ未来の自分も今の性別のままだから答え合わせ出来ないな。
 
 
一人称っていろいろあって面白いなと思う。
個性があっていい。人物像を形作るうえで基本的な印象が左右されやすいところだと思う。
「私」なら丁寧かな?とか。「俺」ならフランクかな、とか。「アテクシ」ならネタだな、とか。
TPO次第で印象はいくらでも変わるけど。ビジネスの場面は基本的に「私」がスタンダードだと思ってるからそれ以外の一人称使ってる人見るとほぉ…ええやん…って思う。
 
匿名の場所の場合、一人称には「多数派」がある(と思う)。
配信のコメントやチャット、ゲームのグループとか。自分は普段見てる配信のコメントしかよく分かんないけど、ある程度人がいる閉鎖空間で、テキストだけで、ってなると一人称の持つ情報って意外とでかくなる印象。そして少数派はどうしても浮く。当然それは視聴者層と連動してる。
「視聴者は男しかおらんやろ」って配信主が言うような配信は確かに一人称「俺」「ぼく」が多くて、「私」はどうしても女性っぽさが出る。
逆に「私」って使う人が多い場所で「俺」って使ってる人見ると、急に性別アピールしてるような印象になる。あくまで自分は。
誰でも参加できるコンテンツである以上どっちの性別がいてもおかしくないけど、「私」か「俺」のどっちかに偏ってる時は一体感(?)を感じてて違う一人称が混じった途端その一体感が崩れる。
普段、女サゲが横行する男臭い配信ばっか見てるせいかもしれないけど、自分はその空気が好きだから男臭さを壊してほしくなくて、一人称私を見かけるとやだなあってなる。単純にネット上の女の人の総合的な印象があんまりよくないっていうのもある。
私と俺、両方がそれなりにいるとこなら別にそういうこと考えないし。
 
未来の自分の為に今何を思い浮かべてるかも書いておく。
男性配信者が「おじさんしか視聴者いないから…」って言ったことに対する「私もおじさんかぁ」コメとか。コメ主の性別知らんけどどうしても男性のコメントとは読みとれなくて無理。
男性配信者が「おっさんしか見てねえよ」っていう話をしたときの「女は臭いって言われるから私も普段は”俺”って書くようにしてる」ってコメとか。擬態してることをバラすのはストレートに一番気持ち悪い。ギルティ。
前項と言ってること違うやんけって自分でも一瞬思ったけどこれは性別があることで成り立ってる空気がある超内輪空間なので違う問題。
男尊女卑でもない。女性主体のコミュニティを自分が全く見てないから逆パターンの知識も例もないだけ。
そんなに自分の性別がコミュニティの性別と違うってアピールしないとダメなんか?場の空気濁すことに全く抵抗がないのはなんでなんや?自分が気にしすぎてるだけなんか?わざわざ言わなくったってツイッターや動画見てれば女性視聴者も結構いるなんてのは一目瞭然なのに。
自分の好き嫌いの問題でしかないっていうのはわかってるけど絶対他人の共感得られないこれ。人にこの話するの避けよ。そのコミュニティの空気に馴染む気も話題への遠慮も配慮もないコメントは臭くて嫌い。その一人称、本当に必要か?
 
雑感
この文章を書きはじめて1ヶ月くらい経ってしまった。言いたいことが右往左往したこととどうしても消化不良になってしまうことが概ねの原因。
書いてる最中にあった足立区議のアレとかね、調べもしねえで妄想を公言するのはよしたまえ!!!ってものすっごいフラストレーション溜まってしょうがなかった。清々しいくらいに事実誤認と思い込みのオンパレードだったから逆にいい教材になりそうだったけど、やはり知ろうとしない態度は罪深い。
あと先日哲学について若干の知識を得たことで、大発見や!と思ってたものに大昔から名前がついていることを知って若干の衝撃を受けたりしたので、きっとこういうジェンダーレス的思考にもしっかりネーミングがあるんだろうなあとは思っている。分かってるけど。女!男!その他!がそれぞれ主張しても誰も目立たないような横並びになれたら一番いい。LGBTsじゃなくてLGBTS+になったらいい。Sはマジョリティの皆様たるストレート。
 
「自分」が性別不詳的印象になると思い込んでるのがそもそも間違いだったらどうしよう。
所詮一人称でしかないから、言葉の端々や思想に性別がにじみ出るのは自分では認識できないしどうしようもない。
自分の性別について書きたいこと山ほどある。自分の性別をぼかそうとすると自分が性別めんどくせえ~~~!!!!!と思っている理由の半分も書けなかった。気が向いたらそういう話をすることもあるかもしれないけど。
今ここではノンバイナリーでありたい。生温かい目で見逃してほしい。

日記

ホルモンバランスの乱れからくる精神的不調から脱却するどころか悪化の一途を辿っている最中にspiritfarerというゲームに没頭していたがために死について過剰に考えてしまい事あるごとに涙を流すことで感情を誤魔化す期に突入していたんだけど、なんとも都合のいいタイミングで都合のいい概念を知りやっぱりすごいひとってすげえなあと小学生並の感想に着地し涙が止まらなくなったので唯一得意な他人の模倣をしてなんとか寝ようという試みを公の場に残しておく。

 

自分は哲学なるものとは全く無縁な人生を送ってきたのでそっち方面の用語とか概念とかは全くわからない。が、人並みに「私とはいかなる存在か」「なぜ何かがあるのか」など考えて眠くなって寝る、ということをしたことはある。今回の死についての堂々巡りも何度も考えてきたことの繰り返しだったんだけど、死ぬのはこわい、ならば生まれなければよい、というところにいつも着地する。この度今まで一度も聞いたことのない「反出生主義」なる思考の人が自殺について考えるという記事を読んで、出てきた用語とかをざっくり調べてみたらこの反出生主義っていうのが今回考えてたことにぴったり合致して、やっぱ先人ってすげえなどと思うなどした。親しい友人もこの件に関して考えが概ね同じだったので、種の繁栄と真逆を往く思想も大真面目に支持されてるものなんだと知れるとそこはかとない安心感が得られて幾分頭も落ち着いた。とりあえずめちゃくちゃ支持されているらしいシオランの『生誕の災厄』をアマゾンでぽちったので届き次第読む。今日は芥川龍之介の『河童』を読んだ。初見の感想は当てにならないと知っているので明日の勤務中にもう一度読む。

すごいひとの話じゃないのか、と自分でも疑問に思ったのですごいひとの話をする。自分はここ1年ちょっとの間ずっと本名が大井な配信者を追っていて、それはザ・茶番について書いた記事を読めば一目瞭然なんだけど、今自分の中で最も熱い存在として注目を浴びせている。昨日、正確には一昨日の夜にやっていたニコ生のTSを仕事から帰ってきて聞いていたら昔のたろちん関連のサイトのタイトルっぽいものをコメントしている人がいて、それを一生懸命探しても見つけられず悲しんでいた自分は待ってましたと言わんばかりに早速ググって記事を読んでいた。すでにお分かりの通り、これまでの記事と違って改行をあんまり使っていないのも脊髄垂れ流しみたいな文章なのもすべてそのブログの影響。自分の唯一の特技が雑な他人の模倣。ただの模倣なのでただ単純に読みにくくて推敲されてない文章をさらしているだけ。

大学生時代の大井さんの文章はなぜか自分によく馴染み、面白くも悲しくもないのにたびたび涙腺が暴発した。記事数が多いのでまだ半分ほどしか目を通していないけど、黒霧島水割りと仕事とバスケで構成されたネット老人会会員おじさんの顔しか知らなかった大井さんにこんな青春らしい青春があったこと、一切社会に揺るがされることなく我を突き通しまくる姿勢、おそらく何も特別な意味はないはずの寂しいという3文字をおそらく馬鹿正直にインターネットに書き残しているという驚き、などいくらでも感動した点を挙げられる。ただ、交友関係もアウトプットもないがしろにして社会的な死期がすぐ目の前に迫っているのに一人暮らしのワンルームで部屋の掃除もろくにせずベッドで横になってスマホで16年前の一般大学生が書いた記事を一生懸命読んでいる自分と対比して、画面の中の大学生がその時々を苦しそうに楽しそうに過ごしているという記録があまりに輝いていてまぶしくて反射的に涙腺がイキイキとしてしまったんじゃないかなと思っている。それなりに充実していたはずの学生生活ですらこういう風に己の自由に身を任せて送ることはできなかった自分は今更羨ましさがあふれて動悸が止まらなくなった。

 

たぶん、大井さんを大井さんと名指しして記事を書くことは数年に一度あるかないかくらいの頻度になると思う。せっかくなので、今日という日に自分が共に果てる勢いで観ているということをついでに記録しておく。

はじめて名前を知ったのは『積もる話もあるけれどとりあえず…』の巻頭。黎明期実況を漁り始めたころにゆとりのタカさんにハマり、その関連でゴールデンアイ、テラリアを視聴して大井さんという実況者をはっきり認識する。一狩り行かない男達をリアタイで追いかけるも定着せずその後数年間は特になし。しかし実況動画をよく見ていたころのTwitterのフォロワーが熱心な大井さん視聴者だったのでTLに大井さんのツイートやはぐちさんなどがよくRTで流れてきていて、そこでくらっぺ先生を、ついでに大井さんをフォロー。2018年夏にくらっぺ先生が支部に投稿した過去の同人誌を見に行って『夢のような話』を読み大井先生に一目惚れ、自分の中の大井さんの分類が「小説の人」になる。数か月に一度気まぐれで配信を覗きに行くようになり、コメントの質も含めてインターネットの隅っこ感がとても心地よくて少しずつ好感が積み重なっていき、2019年秋口配信のモンハンアイスボーンでズッポシ。以降、TSの残っている配信はすべて視聴済。過去配信や個人の実況動画はほぼ未視聴。時間がとれれば遡りたいんだけどいかんせん数が多すぎる。FF5のpart1,2だけ見た。よくある経歴で、よくいるにわか。

大井さんと同じく自分の中で最も熱い存在のもう一人が天パのおじさんで、NBA2K20のSNSの書き込みにあった「IBORNみたいに!IBORNみたいになりたい!!IBORNみたいになりたいなりたい!!!」的な書き込みを自分の発言だと錯覚する程度には天パが理想の人間像なんだけど、大井さんはそういう理想像というよりは現実で、わかりやすく言うなら自分にとってのサタンタンゴが大井さん。サタンタンゴの感想記事を書いていればここで引用できたんだけど書いてないのでざっくり印象をまとめると、悪いところも含めて人間はかくありきみたいなのを地続きかつ長尺で見せつけてくるもの、目が離せないもの、自己投影してしまうもの、的な。液晶の向こうの遠い土地の赤の他人がまるで隣の部屋に住んでいる人のように思える点では、サタンタンゴを見ているときと大井さんを見ているときは全く同じ感覚になる。今更社会への反発心が行動に出始めた大人げない自分の行く末は絶対に天パではなく大井さんであって、歳が一回り近く違う同じ道の先輩を見つけてしまったからには見届けないわけにはいかず、時に救いに、時に反面教師に受け取り方を変えながら大井さんが生きているうちは自分も生きていられるという危ない自信の拠り所として大井さんの配信を視聴している。はみ出し者に対して自分が向けている視線を自分に向けられるのが恐ろしくて規範第一で生きてきた自分にとって、真面目過ぎて破天荒な過去の大井さんは憧れに近いものがある。今の大井さんも、いつポックリ逝くかわからない危うさを滲ませながらああだこうだ言いつつやりたいことやってるのはとても大井さんだなあと思うし、自分とは違う意見を聞ける場所としてなるべく長く配信を続けてほしいと切に願っている。他人に「いつ逝くかわからん」なんて縁起でもないことだけど似た生活でポックリ逝った人を身近ではないにしろ知っているので正直に思っていることを書いた。逆にめちゃくちゃ長生きしそう。

 

最初に書いた哲学のお話と学生大井さんのお話は自分の中ではザ・茶番を介してつながっていて、大井さんも茶番も自分も厭世的な見方に寄りがちというか足突っ込んでるというかがっつり悲観しているというか、茶番を聞いて育った大井さんの配信を聞いて今生きている自分の思考がそっちに寄っているのは、大井さんの真面目な話を真面目に聞くのが好きなのは、やっぱり根っこが同じ地区にあるからなのかなと思って。自分にはそういう視点がなかったので新たな知見を得ることができたから今回のメンヘラ期間には意義があったよ、ということ。先日の魂のリサイクルの記事内容にも通ずるところがある。

 

眠い頭で懸命に文字をひり出してみたけど想像以上にゴミ。なので朝読んだらもっとゴミなんだろうと思うと悲しくなるけどこの午前2時半にあった一瞬の思考を見返せるように可視化することには意味があるのでこれでいいことにする。届いた本を読んだらまた考えが変わると思うので次はテーマを一つに絞って書くように心がけたい。大井さんの件の過去ブログも読み終わったらもう少し具体的な感想が書けると思うので新鮮な感想を書き留められるようにしたい。特別なことは書けなくてもごくありふれたものの一部ですって主張をのこすことは自分でもできるんだぞっていうのを将来の自分に示してやりたい。寝る。