はつもの

いきてるよ~

性欲は怖いよ お金は大事だよ

自分も一応人並みに恋愛と縁のある人生を送ってきて、その思い出が占める割合は小さくない。いや小さいけど。あまり進んで人に聞かせる話ではないけど弁明したかったことが混ざっているので一回全部書いてみようという試み。なお1万2千字ちょいのクソ長文なので注意。
 
先に概要をまとめておく。2020年10月末時点。
これまでに恋愛感情を抱いたと自覚している回数、4回。
自分から告白した回数、3回。
振られた回数、1回。
告白まがいのことを言われた回数、1回。
告白された回数、1回。
付き合った人数、2人。
数字にすると少なさが際立つ。なんとなく恋多き自分みたいな自負があったので全くの誤解だということがまずわかった。
自分が書きたいのはお付き合いさせていただいた人の事。
ひとりは中学生の時の異性、Aさん。ひとりは専門学校の時の同性、Bさん。
 
中学生時代については自分の未熟さが目も当てられないほど酷かったのであまり思い出したくないんだけど、度々接点があったAさんを好きだと自覚したのは1年生の時。田舎の中学生の関心事といえばクラスメイトの恋愛事情が一番で、自分もその例に漏れず同級生の好きな人を聞き出すのに一生懸命だった。その情報交換のために自分の好きな人としてAさんの名前を使っていたので学年中がそれを知ってた。不幸にも自分とAさんは同じ部活動に所属していたので、2年次の地区大会で負けたら罰ゲームで告白すること、なんて賭けを部員から持ちかけられて、自分もまたAさんと両想いらしいということを嗅ぎ付けていたのでそれに乗っかってしまい、初戦でその大会の優勝者とかち合ってあっけなく負けて告白して付き合うことになった。
でも運動部で部活真っ盛りの2年生がそうそうデートの約束をできるわけもなく、一緒にどこかに遊びに行ったのは別れるまでの間に3回くらいしかなかった。そのかわりに毎日一緒に下校してた。初めて手を繋いだとき、恋人つなぎをしたときのあの言葉にならない気恥ずかしさと高揚感だけは今も思い出せるし、幼かったなあ、きゃわいらしいなあと思う。自分が些細なことを気にしてだんだんと冷めてしまい、「来月一緒に遊ぶ約束を履行したくない」という理由で10ヶ月目くらいで振った。最後まで優しく接してくれたAさんには本当に申し訳ないと思ってるけど、親友以外に別れたことを伝えるのはしばらく待ってくれっていう約束を一日で反故にされたのはちょっと悲しかった。翌日学校行ったら全員知ってるんだもの。中学生の好奇心をなめてた自分も悪い。
自分の異性経験がここまでしかないのが今の挙動不審妄想過多につながっているとも考えられる。このころの性別の隔たりなく誰とでも仲良くできてた空気をずっと引きずっている。異性に夢見がち。
 
高校時代はとにかく趣味とバイトが忙しくて恋愛に一切頭がいかなかった。なお友人たちは全員恋人がいた模様。中学時代はオールウェイズ体操着だったので貴重な制服恋愛を経験してないのはちょっとだけ惜しい。
 
専門学校に入ると趣味どころかバイトに行く時間もないほど勉強が忙しくなって余計に恋愛からは遠ざかった。いや逆に近づいた。学校にいる時間が長すぎて感覚がおかしくなってた。
ここが今回の本題。きっかけから絶縁までを網羅しているのでものすごく長い。未来の自分の読みやすさなどは無視してるので適当にかいつまんで読め。そして悔い改めろ。
 
本題
とあるクラスメイトのBがいた。夏のクラス替えで初めて顔を認識した程度の関わりで、話したことないグループの一員だった。その時は秋で、在学中の一番の目標である大きな試験を控えていた我がクラスは下校時間が夜の7時とか9時とかだった。何がきっかけか忘れてしまったけどそのグループの人とよく話すようになり、普通に友人としていい関係を築きつつあって、一緒に下校するようになったりした。その流れでBは付き合っている人がいるということとその相手が同性である、つまりBはバイである、ということを知った。身近にセクシャルマイノリティを公表している人が一人もいなかったし、そういうのが現実にあることを知りつつもどこか二次元限定の話として捉えていた節もあり、突然現れた(ように感じるだけでずっと身近にいた)セクマイに爆発的に興味が湧いてしまった。
デリカシーの無い自分はBを飯に誘い、「それってどういう感じなん?」「やっぱりいろいろ苦労するもん?」などと根掘り葉掘り聞いた。これは相手への配慮ゼロのヤベー奴ムーブなので二度と繰り返してはいけない。しかしBはまんざらでもない様子に見えただけで実は不快だったかもしれないけど普段と変わらないトーンで質問に答えてくれた。どういう回答だったかは覚えていないけど新しい世界を知ってしまったなあという途方もない気持ちになったことは覚えている。Bが恋人とキスしてる写真を見せられて反射的に号泣してしまったのは確かこの飯の帰り道。当時は幸せそうな二人に心震えてしまったんだと信じて疑いもしなかったけど本当はもうBのことを好きになってしまっていたんじゃないかと思う。いくら涙腺ガバガバの自分でも友人が恋人とチューしてるの見て泣くのは異常。
 
そこから数週間は記憶がおぼろげなんだけど、徐々に自分のBに対する気持ちが変じゃないかと疑いを持ちはじめた。恋人の話をされる度に湧くザワザワ感はだんだんはっきりと独占欲と嫉妬心に変わって、二人で話す時間が特別楽しいと感じるようになった。友人に対して抱く”好き”とは明らかに形が違う。この期間、マジで苦しかった。
まず、この時点ではまだ「自分はノンケである」という大前提が崩れていないので、なぜ同性で友人のBにそんな気持ちを持ってしまうのか大真面目に見当つかなくて、Bが自分の性癖に刺さりすぎているんだと自分に言い聞かせることでなんとか脳みそを冷まそうと必死だった。このころ既に恋愛感情などというものがどんなものだったかも忘れ果てているのでこれはもしや…?って疑念までは遠く及ばなかった。自分で自分の感情を把握しきれないのがただただ怖かったしつらかった。
それ以前にBは恋人がいる。嫉妬心が湧いたところで自分がしていいことは何もない。すべきことは我慢することと忘れること。自分の感情すら理解できてないので対処法なんてのはもっとわからなかった。
一番しんどかったのは謎の匂い。Bの半径3mくらいにいるといつも桃みたいな甘くてめちゃくちゃ強い香りがするんだけど本人には自覚できない匂いらしかった。出所はシャンプーでも柔軟剤でも香水でもなくて可能性があるとしたら体臭なんだけど、別に嗅ぐ距離が変わっても匂いの強さは変わらなかった。なにがつらいってこの匂い嗅ぐと興奮してしまって会話に集中できなくなること。もっと嗅ぎたい~!ってなっちゃう。友人に聞いてもそんな香りはしないとのことだったので自分の嗅覚がバグってたんだと思う。未だ真相は不明。
そんな混乱とは無関係に本業の勉強はどんどん密度を増していく。言い訳にしかならないけど思考力は確実に落ちてた。
 
試験まであと少しって頃になって、自分は限界を感じていた。
自分の感情を強引にカテゴリ分けするなら性愛に近いって自覚はさすがに芽生えてたし、それを絶対に本人には伝えてはいけないことは言うまでもなく分かってた。往生際が悪いので自分はまだノンケだって思いたい気持ちもあった。今ここで何もなかったことにできれば自分はノンケのままでいられる。波風立たないことを是とする自分は「世間的な普通」のままでいたかった。もう既に自分は自分の言う普通には当てはまらないという事実を直視できなかった。異性愛者でないことに差別意識があるわけではなかったはずだけど、それが未知のものだからこその拭えない抵抗があった。
けれども自分の覚悟というものはあまりに衝動に弱く、耐え忍ぶことを面倒くさがる悪癖は一生の悔いを生んだ。
言っちゃったのである。実は好きなんですと。
自分はあなたのことを多分そういう目で見てしまっていますけれど、状況は冷静に把握しているつもりですしそちら様の関係を邪魔するつもりは微塵もございませんので、どうか自分めがこの気持ちを忘れられますようご協力いただけないでしょうか、という主旨の発言をしたと記憶している。ここでいう協力とは個人的関係の断絶を指す。Bは自分のことを友人だと思ってくれていたようであらゆるタイミングで一緒に過ごそうと寄ってきてくれるんだけど、一方的にそういう気持ちが湧いている自分には毎日発生するその時間があまりにもしんどかったし卒業までの残り1年以上を我慢し続けるという選択肢は非現実的だったので「自分はお前の恋人さんの恋敵やぞ!近寄るんじゃねえ!」という牽制をしたかった、などと自分は供述している。友人同士の横のつながりがあることを考えてやっぱり黙っておくっていう選択肢まで頭が回らなかったのは確実に敗因の大部分を占めている。
 
好意を口にしてしまうことで相手にそういう意識を持たせてしまうので「忘れたいから好きを言い逃げ」するのは無責任だ、という意見を目にしたことがあるけど概ねその通りだと思う。
なのでその先なにがあろうとも根本的に悪いのは自分だっていうのは頭では分かっている。あのとき口を滑らせてさえいなければ。分かってるつもり。だけど限度ってもんがあるんじゃねえか、同罪じゃねえのか、とつい言いたくなってしまう。
言っちゃった事件のとき、Bは「わかった。協力する。好きになってくれてありがとう。」と答えてくれた。ええ人や、と思った。解放されると思って、自分の好意を伝えることができてスッキリした。This is 身勝手。
「協力」なんてぼやかした言葉を使わずに「もう二人で会うのをやめてほしい」ってストレートに伝えればよかった。付き合っている人がいるときに他の人から好意を伝えられても本当に恋人のことが好きなら断って関わらないようにするのが恋人と好意を伝えてくれた人両方に対する誠意だと自分は思っていたし、普段聞かされる話では心底恋人さんの事が好きなんだなあって感じだったし、自分にはBが品行方正で素晴らしい人に見えていたのでその程度の誠意は絶対に持っているだろうと高を括っていた。Bのことを分かっていなかった。俗にいう恋は盲目である。
 
要するに、そういう誠意はBにはなかったということ。世の中には同時に複数の人に同程度の恋愛感情を抱くタイプの人もいるけどBはそのタイプではない。Bに勝手に期待を押し付けたのは自分なので裏切られたなどとのたまうつもりはない。
後日、なぜかまた二人で話すことになって「せっかくの好意を無下にできない、それは申し訳ない」って言われて、ミスったなって思った。だけど恋は盲目なので、そう言われて嬉しいとも思ってしまった。自分もBと同じくらいどうしようもない人間なので、もしかしてワンチャンあるのでは?と覚悟が揺らいでしまった。
それから付き合うまでのことは人間のクズい部分が凝縮されているので文字に起こすことに耐えられない。正確に思い出すことも憚られる。けどここを書かないとタイトル回収できないし成仏することもできないので血を吐くつもりで頑張って書く。
 
まず、なぜか2人きりで遊ぶ時間がめっちゃ増えた。最初は「詳しく話がしたい」って言われたのがきっかけだったと思う。
2人で話してたらそりゃ自分が吹っ切れられるわけないんだけど、ていうか自分がもう少し聡ければこの対応で逆にスッパリ諦めがついたと思うんだけどそんなことなかったので、当然気持ちは募る一方。
2人で会うときは大体夜で個室があるお店だったこと、会う頻度が増えたこと、申し訳なくて(?)費用はおおむね自分負担だったことから、高校2年間のバイトで貯めた貯金が一瞬で尽きた。昼飯を買うお金がなくなってBの弁当を分けてもらったりするようになった。自由に使えるお金がないという焦りが余裕をごっそり奪ってしまうので自分の事について考えるのがとにかくつらくなった。
学校のある日の夜はBがバイトじゃない限り毎日終電まで一緒にいたので睡眠時間が減った。自分はロングスリーパーで朝起きられない人間なのでまあまあ学業に響いた。皆勤に命を懸けていたので遅刻こそなかったけど元々多かった居眠りがさらに増えた。実家暮らしだったから親にもそれなりに怒られた。普通に試験落ちた。悔しくならなかった。
ここまですら一切まともじゃない。会わないようにしようって提案したつもりがそれまで以上に会うことに金と時間をかけてしまっている。心の余裕はお金の余裕と直結してるんだってこのとき心底実感して震えた。でもBと話すためならって思うと財布の口ががばがばで、最終的につらすぎて親に泣きついた。馬鹿か?
Bはお金出さなかったのかな?って思い返すと、出すこともあったけど基本的にお金ないってスタンスだったので、自分が金を出しさえしなければ会う時間も必然的に減っていたのではないかと思うと失ったものが多すぎて悲しくなる。自分の金銭感覚がやばいことを初めて知った。高い勉強代だった。
 
なんでそこまでしてBとの時間を作ってしまったの???っていうのが性欲の怖いところ。
会う頻度が増して、全く改善されない様子の自分をみてBが「やることやっちゃえば逆に未練なくなって吹っ切れるんじゃない?」って言った。
自分は反射的にBの恋人さんの顔と「んなわけねー!」っていう感情が湧いたにもかかわらず「いいの!?」っていう嬉しさが一瞬でそれをかき消してしまった。馬鹿か?もちろん何回か断った。でも何回も誘われた。もしかしたら本当にそうかもしれないと思った。馬鹿か?
こういう話を文字でネットに残すの本当に頭がどうかしてるけど、そうやって誘われるがままにハグから始まっていろんなことをアレした。そういう経験がなかった自分には刺激的すぎて据え膳に手を出さざるを得なかった。これは自己弁護だから正確性に欠けるけど自分からそうしたいって言ったことは記憶にある限り一度もない。誘われて応える、の繰り返し。それがエスカレートしていった。自分からは誘わない、けど2人で会うのは断らない、っていうのは自制の限界値が見えててクソだなって思うし心から反省してるし人のこと言えた立場じゃないんだけど、Bの恋人さんのことを考えて乗り気になれなかった自分に大丈夫だから、気にしないからって追い打ちをかけたBも許しがたいのでは?と思っている。本来自分に迫られて断る側の人間が誘ってどうする?ってずっと頭の隅で思ってた。それでも自分は断らなかったし恋人さんより自分が選ばれているという優越感を少しでも感じていたのは事実なので弁解の余地はない。
状況的にどう考えてもセフレとか2番目とか保険とかそういうポジションだよなあと思って「これは自分セフレでは?」って言ったこともあるけど「悲しいこと言うんじゃない」ってビンタされた。キスだけはまだ未経験だったからちゃんとしたお付き合いまでとっておきたかったし恋人さんの為にもする気はなかったというかしようとしてもできなかったのに雑に不意打ちでBからされてさすがの盲目ワイもこいつマジかって思ったこともある。予想通り自分が原因で恋人さんと喧嘩になったBが自分に泣きついてきたり。今思い返せば何もまともなことなんてなかった。思い返さないとまともじゃないことに気付けないのが怖い。どこをどう切り取ってもBの浮気相手でしかなかった。何が正しいのかわかんなくなっちゃっていた。
なんだかんだBの恋人さんも普通の人よりはかなりメンヘラ力の強いお方で依存性の高さゆえに色々やらかしている様子だったので、Bから恋人さんの事について相談されるとついクセが強いね、すごいねって同調してしまったので喧嘩をあおったことになる。散々仲たがいさせそうなことを口にしておきながら、「これで別れても自分のとこに駆け込んでくるのはよしてくれよな」って思ってた。最低。でもそのくらいBも恋人さんも面倒な人間に見えてた。口出さないのが一番だったって後からならいくらでも言えるんだけど。あの場にまともな人間なんて一人もいなかった。今思えばBと恋人さんは共依存でちょうどいいカップルだったんだと思う。
 
それから数か月はBが恋人と喧嘩別れしたことしか進展はないんだけど、自分だけ2週間くらいの宿泊研修に行ったときに「本当にこの関係なんとかしたいから研修の間は連絡取らないようにしよう」って提案して呑んでくれたはずなのに相変わらず頻繁に連絡が来たときはいよいよこいつヤバイのでは?って思い始めたけど、恋人さんのこと話せる人おらんのかなって思うと無下にもできなかった。裏でBは前恋人にも相談しててそんな心配は無用だったって後で分かった。
恋人と別れました!って聞いたのは年明けてからで、そのころには感情がフラットに戻り始めていたので「そっか」で済ませてしまった。かき乱しておいてとんでもねえ態度だなって自分が元恋人なら思う。恋人さんにはいくら土下座しても足りない。
ずっと心の隅で「このまま流されてたらまずい」って思ってた。嘘つけって思うでしょ。
預金口座はスッカラカン、学業は大コケ、慢性的な睡眠不足、ろくに手が付けられなかった趣味の数々、常に底辺の精神状態。対価は貞操観念めちゃくちゃのひとときとBの恋人さんの不幸。
 
学校が次の大試験に向けてまた過密スケジュールになってきて、前回学年主任からこっぴどく叱責…というより「お前らこの程度か、買い被ってたわ」的な煽りを食らってクソ負けず嫌いの自分はクソ悔しかったので、今度はBの誘いをしっかり断わりながら無事に合格できるまで集中力を保つことができた。授業間の休憩時間は貴重な睡眠時間でもあったので、逐一会話しにくるBに「生きるために必要な睡眠なので構わないでください」と丁寧に断りをいれたりもした。それでもお構いなしに起こしに来るBがうっとおしかった。理由を聞いたら「元気なさそうなのを心配する自分の気持ちも分かってほしい」って言われた。寝ないと死ぬ自分の気持ちも分かってほしかった。
 
そういう小競り合いが起きたりしながらいよいよ春の気配が出始めた頃。自分はバイト先の客やら旧友やら複数の異性から立て続けにナンパ的お声掛けをいただいた。申し訳ないなあと思いつつBのことを考えて丁寧にお断りした。いやしかしこれはナンパすらされたことのない自分にとって大変ありがたいお話であり、モテ期と呼ばれる時期だったと思っている。もっと芳しい春にお越し願いたかったけど。
それをBにも話した。別に黙っててもよかったけど言わない理由もなかった。どういうリアクションが返ってきたかは覚えてないけど、それを聞いたことを理由として「付き合おう」と言われたことは覚えている。正直な話、あまりうれしくなかった。ゲッって思った。そんな衝動的に言っていいことか?っていう疑問と、数か月の間に溜まった不信感が表に出そうになった。でもまだ盲目なので、あと断れる空気じゃなかったので、一息で感情を飲み込んで恋人ができたことの愉悦に浸った。
 
そんなこんなであらゆる犠牲の上に晴れて恋人関係となった自分とB。1年近く付き合っていたと思う。楽しかったし苦しかった。人並みの恋愛だったと思う。内情は付き合う前と微塵も変わらず、ただただ自分の恋愛感情が削れていくのと比例してBの依存度は上昇していった。
Bと付き合ってなかったら経験できてなかっただろうなと思うことはたくさんある。自分と違うタイプの人と付き合うことのいい点は網羅できていた。
やらかしたこともたくさんある。それこそ性欲の暴走で社会的に死にそうになったこともある。二度としない。絶対に。
何かに追われてる風の自分が一生懸命に思えていとおしかった。Bを慰めてる時間が特別に思えた。当時は心からBのことが好きだったし、愛の根源が性欲だというならすべては性欲の成せる業だと思う。Bとこういう関係になってからの自分の性欲の強さにはドン引きを禁じ得ない。股間に脳みそがついてるタイプの人間だって自覚した時のショックはえげつなかった。人としてヤバイって分かっていながら衝動に抗えない自分が恐ろしかった。家路は常に後悔してた。それでも繰り返してしまうのは、そういう場面になったときにストッパーになるべきものが自分の中になかったからに他ならない。
 
付き合う前、Bの大人なところが好きだった。細かなところまで気配りができて、コミュ力が高くて、気さくで明るくて、なんでも一生懸命で、うれしいと思うことを的確に言ってくれるししてくれる。既に黒歴史と化した初期の感情が思い出せないけど、人として魅力的だった。
別れる前、Bの子供なところが嫌いだった。気配りには見返りを求め、ほしい言葉を察してもらえないと拗ねる。警戒心がなくて恋人以外と関係を持つことに抵抗がない(わかってたけど)。典型的な構ってちゃんで我慢を知らない。鋼の心は客観視を忘れ、感情だけで突っ走る。なによりも恋人が一番。共通の友人に嫉妬するくらい独占欲がとどまるところを知らない。裏切られることを怖がるわりに期待の押し付けがすっごい。自己評価も自尊心もバチバチに高くて他人を見下してるのを隠せてない。己を悲劇のヒロインだと本気で思ってそうな言動の数々。率先してリーダー役に手を挙げたり、勉強は真面目だし、人当たりはいいしで決して欠点まみれというわけではないのに人として尊敬できなかった。なんというか「はにゃ~女の子でちゅかにゃ~?」って思ってた。女の子disではないです。Bは女性脳の傾向が顕著だったんじゃねえかなとは思う。
自分も性質がかぶってる部分は多いのであんまり言うとブーメランになる。だけど「話が通じない人」って本当に話通じないんだなって痛感した。価値観が違うとかそういう次元ではないと思う。自分は事実を並べ立てた結果と感情は切り離して考えたいんだけどBは感情最優先なので事実をないものとして扱おうとする。どんなに自分の気持ちを言い過ぎたかなと心配になるくらい直接的に伝えても「でも自分はこう思ってるからわかってほしい」で全部上書きされる。いやそうじゃなくてって反論しようとすると落ち込んで耳をふさぐ。話し合いにならない。わかったから!わかったから聞いて!!って思ってたけど、話し合う以前に許しあう意識がお互いになかった。元恋人さんと会話が成り立ってたのはその人も同じ会話タイプだったからなんだって理解した。
 
すごいのは我が友人たちで、突然バイになった自分とヤバイ匂いのするBとの話を今までどおり普通に聞いてくれた。ここに書いてあるほど深い話はしてないけど、こちらの常識が通じないタイプの人間であるということを察したうえで一つの話題としてちゃんと消化してくれた。たやすく成せることではないと思う。友人たちがいなければ自分はにっちもさっちもいかなくなってもっと怖いことをやらかしていたかもしれない。特にBと自分の共通の友人たちには多大なるご迷惑をかけてしまった。感謝してもしきれない。
 
Bのことを諦めたくなくて、いつか話し合える時が来るんじゃないか、何か転機があるんじゃないかって他力本願になった。もはや好かれる努力もしなくなり、というかそもそも何もしてなかったんだけど、Bへの関心すら薄れても惰性でまだ付き合っていた。
それを友人に話してみた。
「それはもう愛情じゃなくてただの情だし、もう恋人でいられないところまで来ておきながらBさんからの気持ちいい言葉にうぬぼれてBさんを繋ぎとめておくのは誠意に欠けるのではないか」って言われてハッとした。こういうことをはっきり言ってくれる友人がいるのが自分にとって一番の救い。
自分はBのことを勝手に好きになって勝手に嫌いになった。勝手に嫌いになったのをBのせいにしていた。でも責任転嫁してる自覚も自責の念もなかった。
もうBの方を向くことのない自分がBを生殺しにしている。えらぶって視野が狭まりがちなことは自覚していたはずなのに、それに気付けなかったことがショックだった。
 
友人の言葉を何度も反芻して本当にそれが最善なのか確信を得たかったけど、ついに最後まで自分の意志でどうにかすることはできなかった。空気を察したBに促されて別れを切り出した。めちゃくちゃ「なんで?」って聞かれたけど説得力のある言葉は出せなかった。「恋人じゃなくなっても友人として好きでいてくれる?」って聞かれたときは嘘をついた。誠意に欠けている。「友人に戻る」なんて道は自分の中には存在しないので。
結局別れ話もこじれて何度も話の席を設けたけど折り合いをつけることができた記憶がない。ちょうど自分が卒業するタイミングだったので自然と接する機会もなくなった。共通の友人と遊ぶときにはBも大体いるので顔を合わせることはあったけど普通に振舞えていた、と思う。
 
別れてから2人きりになってしまったことが2度ほどある。もとをたどれば我々は体の関係であって、愛情がない今あるのはクズ的性欲のみ。
これは一方的な自分のクズ部分なんだけど、ちゃんとした関係を築く前に性欲を優先させてしまったのが影響してか、Bと2人になると欲情してしまう。恋人でも友人でもなく、セフレとして見てしまう。そういうことをしていい相手として認知してしまっている。馬鹿が留まれよって思うけど、当時自分はBのことを見下していたので当然有効なストッパーがなかった。そしてBもそれを断らなかった。振った側から何かアクションを起こすなんて一番やっちゃいけないことなのはよく分かっているつもりだった。いつも「つもり」止まり。理性が弱すぎる。
じゃあちゃんとしたお付き合いならそうはならんのかと言われると自信がない。成長しきってから付き合ったのはBだけで、そういうことをした相手もBだけだから、自分がただただ性的なクズの可能性も全然ある。それを確かめる自信はない。2度目は自尊心が耐えられる気がしない。
1度目はそういう意識に至る前に事が済んでしまった。2度目で今の自分人間としてまずいなって思って、完全に連絡を絶った。それ以来会っていない。
そんな別れ方をしたにも関わらずBから毎年お誕生日お祝いLINEが届く。自分は送ってない。たとえ自分勝手でも関わりを絶つことが誠意だと思っていた初心に立ち返って返事もなるべく簡素にしている。ついにこの前雑談LINEが来たときは既読無視してしまった。誠意なんて嘘。関わりたくないだけ。
そういうわけで、今現在はこれを文字に残せる程度には経験値として落とし込めている。NTRモノを見れなくなったこと以外は特に影響は残っていない。自分はこの経験を次に生かさなければいけない。誠意とは何かをちゃんと考えることを覚えないといけない。反省しているフリで済ませてはいけない。
 
すっかり書くのを忘れていたのでバイであることについて追記。
Bと付き合いはじめてもバイの自覚は湧かなくてずっと割り切れずにいたんだけど、きっかけも何もなく、頭の中にポンと「いつから自分がノンケだと錯覚していた?」っていう言葉が浮かんで、それですべてが腑に落ちてしまった。有名なテンプレの改変だけど、まさかこんな形で自分に刺さることになるとは思わなかった。付き合ってる最中も今も相変わらず異性にしか目がいかないから勘違いだったと思いたくなることもあるけど、いくら黒歴史とはいえあのとき恋愛感情を持っていたのは揺るぎない事実なので結果的にバイもしくはパンだということになる。認識違いかもしれないけど。
ノンケからバイに変わったんじゃなくて、元々バイの素質があったのに自分はノンケだという思い込みをしていて、Bから現実に存在するそういう世界の話を聞いたことで今まで何の変哲もない壁だと思っていたところが実は扉だったって知って、運悪くそのタイミングでその扉の向こうにいたBに恋愛感情が湧いてしまった、っていう流れ。
付き合い始めてからはあまり性的志向について考えることはなかった。自分が足をくじいてBに手を借りているところを同級生に見られて噂が流れたときは嫌だなと思ったけど、恋人が同性だからとかじゃなくて好きな人をうわさ話のおもちゃにされるのが嫌だった。面と向かって「ねえBと付き合ってるの!?私はそういうのもいいと思う!!で!?どうなの!?」って言われたときに初めてセクマイとして好奇の目で見られることの悲しさを味わったように思う。ただ噂の追及をするだけなら全然構わん。「そういうのもいいと思う」って付け加える必要はあったのか。お前は異性愛者に同じセリフを吐くのか?と思うとどうしても喉に引っかかってしまう。こちとら普通に好きな人と好きなことをしているだけで、異性愛者のお前の恋愛感情との相違点はない。文句あんのか?あ?って思ってしばらく引きずった。たったそれだけのことで。たったそれだけってノンケの自分が思うようなことでバイの自分はマジョリティじゃないことをわざわざ晒し上げられてる気分になる。こりゃ世間のマイノリティへの理解進まないわけだわ、自分で自分の事認められないわけだわ、と思った。自分は少なからずマイノリティに、自分に差別的な目を向けている。それはさておき自分は付き合ってるって言っちゃってもよかったんだけどBに止められていたので誤魔化すしかなかった。確実にバレてたけど。
あとは親へのカミングアウト。Bのことで散々親にも迷惑をかけて失望させてしまったので、せめて実際どういう事情があったのかを知ってほしいという気持ちがずっとあったんだけど、同性のBと付き合ってたんだ、っていうそれをなかなかどうして口にすることができなかった。異性の恋人だったらもう少しスムーズに言えていたと思う。Bが同性だから言えなかった。不思議。
どんなに意識していないつもりでも、Bと付き合った経験が自分をマイノリティ側に引っ張っている。愛も憎も性別なんて微塵も関係ないと言い切れるようになったのはBのおかげに他ならない。
 
 
自分の本質に差し障る部分なので、本当にこれをネット上に置いてもいいものか未だに少し迷いがある。でも人が読めるところに置いておかないと意味がない。身バレさえしなければただの乱文だし、と割り切れる人間でもない。
Bと別れてから早数年、しばらく新しい恋愛とかはしたくない。でも死ぬまでに異性ともう一度付き合ってみたい気持ちはある。普通に両想いの人と普通の恋愛がしたい。しかし心が童貞のままの自分は世間話すら満足にこなすことができないのであまりにハードルが高い。独身を貫くことに何の抵抗もない人間に生まれることができてよかった。
恋愛感情さえなければ性欲も金も暴走しないんだから一人でいるのが一番いいけど開き直りすぎて戒めの心を忘れてはいけない。そういう自分が嫌いなら尚更。そのための記事。

つめにっき

先日見たこの記事がまさに今まで自分が求めていたものでとてもモチベーションが上がったって話。
ネイルサロンのHPとかに載ってるビフォーアフターって怪我レベルで爪なかった人が自分のビフォーくらいまで伸ばしたよ!みたいな実績写真載せてるところが多くて、自分は今のビフォーから一般的に問題ない爪まで育成する方法が知りたかったのでいまいち通うべきか踏ん切りがつかなかった。単純に面倒だったのもある。
けど爪の形変えるレベルで育てられるってリアルに育爪してる人がいるって知れたらそれはもう自分が目指すべきそのものであって、自身も手段もない「爪を伸ばしたい」っていう漠然とした目標だったものに道筋とリアリティを頂けたので大変ありがてえ。
爪噛まない人でも爪の形悩むことってあるっていうのも初めて知った。
 
右手は相変わらず進捗ないので今回は左手についてだけ記録。
爪が長いことにもだいぶ慣れてきて、いよいよ指より爪の方が長いものも出てきた。
ただピンク色の部分が相変わらず時間経過で削れていってしまうためどうしたもんかなぁと思いつつもうしばらくは放置する予定でいた。
 
そこでこれ読んで、早速ネイルオイルを買った。爪は2枚爪とか折れるとかまだないのでとりあえず必要になるまで強化剤は買わずに様子見る。
元ツイの人の爪、劇的変化が過ぎるのでつよい。
伸ばしてみて気づいたことがあって、一つは自分は比較的縦爪らしいということ。横をやすりがけして縦に縦に…とかはやらなくて済みそう。
もうひとつは反り爪気味だということ。真ん中が凹んでるわけではなくて、先端にかけてカーブすることなく直線的に爪が伸びてしまうために先端の指と爪の間に結構な隙間ができている。こりゃ定着しないわけで。
ヤフコメによると反り爪も補強でなんとかできるらしいので、ネイルオイルの調子を見つつネイルエンビーもよく調べて買おうと思う。セルフケアでなんとかできるのか知らんから意味なかったら大人しくネイルサロン行く。
もうひとつ、これはとっても重大なことで、爪は先端だけじゃなくて根元も伸びる。これ知らなかった。左右で爪状況が違うから気づけたんだけど、関節から爪の根本までの距離が結構違う。根元の形も直線からU字カーブに変わってる。爪の根元にかかってる皮も厚かったのに皮って認識できないくらい縮んでる。どういう原理かは知らん。指が伸びているわけではなさそう。比較写真を載せたいくらい全く違う。親指に至っては根本伸びたおかげで爪半月見えてきた。
 
爪噛みの頻度は如実に減っている気がする。なんともいえないけど、このまま左手がすくすくと育ってくれれば左に関しては安泰と思っていい。忘れてたけど足の爪もボロボロで人前でサンダル穿けないくらいなので、ネイルオイルが届いたらフットケアにも注力したほうがよさそう。小指に至っては爪が既にほぼ無いので手ほど簡単にはいかなそう。
でもだいぶ先が見えてきた。いけるでこれ。
 

性別とかいうクソ面倒くせえ概念

「めんどくせえ!めんどくせえ!!MAXめんどくせえ!!!」
っていうネタやってた芸人いたよね。好きじゃなかったけど。
性別について考えてる時の自分の脳内には常にこれが流れてる。

これまでの人生で幾度となく「性別めんどくせえ!」って思ってきた。思うだけで変えたいわけでも対抗したいわけでもなかったけど。
近年はセクシャリティの話題とか増えたし、あと普段好んで観てる男くせえ配信(褒めてる)とかに触れて思うところがあるんけど、わざわざリア友に聞かせるような話題でもないかなと思ったのでブログに残しておく。なお、別に詳しく調べたりしたわけではない。
センシティブな話題ではあるがあくまで私見なのであまり深く考えていなかったりする。
話の切り口がいくつかあるので見出しなんかつけてみたりして切り分けて書いてみる。
 
ひとをあいするということ
性別の話をするにあたって前提として必要かなと思ったので先に書いておく。
自分はシスジェンダーヘテロセクシャル。ごく一般的なノンケ。
って、数年前に突然同性を好きになるまでは当然のように思っていて、それを疑ったことなんかなかった。
なんならお付き合いしていた最中も、別れた今も、恋人以外の同性にはそういう感情は全く湧いたことがない。異性のえちえちなやつ好きだし。
この時の話は長くなるので後日別記事にするとして、初めて真剣に自分の性と向かい合ったのは紛れもなくこのとき。
恋愛経験が乏しすぎて今のセクシャリティがはっきりしてないんだけど、たぶんバイセクシャルパンセクシャルなんだと思う。同性への好意を恋愛感情だと勘違いしただけでまだヘテロ説も考えたけどちょっと無理がある。もしヘテロのままだったなら、「いつから自分がノンケだと錯覚していた?」なんて言葉に落ち着くはずがないからだ。
同性を好きになったから生活が一変、みたいなことは全くなくて、強いて変わったことを挙げるならLGBTs関連のネットの話題に少し過敏になったくらい。セクマイの生きづらさみたいなものを真に理解できるのはやっぱり当事者だけなんだなって思った。なお、自分は当時も全く生きづらくなかったので、セクマイではないか性格がひん曲がってるか、心から普通のことだと思っていたかのどれかだと思っている。
その経験を経て、好きになる相手の性別って意外と関係ねえな?って思った。付き合う相手が異性でも同性でも相違点ってほとんどない。マジでほんとになんにも違うところなくて、自分がノンケじゃないということを受け入れられずにいた頃に逆にびっくりしたのをよく覚えている。
だから、世間の同性婚だなんだっていうやつ見てると「性別っていう区分けめんどくせえな」と思う。恋仲になってしまえば男も女も関係ないんだから扱いを分ける必要がそもそもないんだよな。まあそれは両性と付き合ってみないとわかんないことだから仕方ないんだけど。
LGBTsに突っ込むと長くなるのでその辺はまた別の機会にまとめる。
 
他の些細な自分の特徴も列挙する。恋愛は好きな人が出来てから考える派。結婚願望なし。子供作る気あんまなし。自分の性別に「らしさ」を求められるの嫌いだけどらしさに寄せることに義務感を感じる。ツイフェミやだ。匿名インターネット特有の女サゲもやだ。創作世界の性は別になんでもいい。男女平等を語るなら一度自分の性別忘れろ主義。
ノンケじゃないって分かる前からこの辺は一貫してる。
 
 
性別という概念
「性別は概念じゃないが」って思うかもしれない。
でも個人が生まれ持った生物としての性と、社会的な区分・特徴として使われる性は全く別のもので、そして社会で使われる性別とかいう区分はただの概念でしかないと思っている。最近諸書類の性別入力欄がなくなったとかいう話聞いてるとやっぱデータとしての必要性薄いんじゃないかなって思う。
 
多くの人はどっちかの性器を生まれ持ち、それに沿った性徴を経て、それに合わせた暮らしをしていく。
それはホモサピエンスとしてしょうがないことであり生きている限り避けられない。肺は呼吸を、心臓はポンプをって役割分担がされてるものは、自分自身の考えなんかお構いなしに役目を全うしようとする。だから性自認に関わらず股から白いのとか赤いのとかが出たりするし、身体のビルドも選べない。体の性別は特徴であり個性ではない。
「自分にはこの性器は合わない」と思ったら取り外す・取り換えるっていう選択肢がある時代に生まれてよかったなあと思う。自分もできれば性器まるごと移植バンクとかに提供したいなって思ってる。今のところ邪魔なだけなので。だめかな。
 
対して社会的性別ときたらどうよ。あんまりいらなくない?
身体的特徴はそりゃ性差あるよ。力仕事は男性が比較的向いてるとか、繊細な仕事は女性の方が得意な人多いとか。でもそれって傾向・慣習・統計上の話であって、結局それぞれの人が力持ちか繊細かっていう特徴は性別で決まるんじゃなくて努力やら好みやら脳みそのパターンやら諸々が組み合わさった"結果"であり"個性"じゃないの?クソデカ主語に勝手に含めてくれるなよって思っちゃう。あくまで例だしそんなところまで気にしてたら社会回らねえよとも思うけど。
もちろん、性別があるからこそ成り立つものは大事だし、そこには性別っていう概念は必要だと思う。それは性別を前提としたコンテンツだから。女のみ、男のみじゃないと成り立たない空気感とか文化っていっぱいある。女らしさや男らしさを自分で定義して自分に当てはめて努力したり探究したりするのは好きでやってることだから自由に楽しめばいい。それが自分は好きだし、これからもそうあり続けてほしいと思う。それはそれで素敵。
学校の制服とか、会社の役職とか、身だしなみとか立ち振る舞いとか、性別による区別が全く無意味なところで未だに「女らしく」「男らしく」を無駄に意識させられることが多いなと感じてしまうこともある。学校の制服は統率意識を持たせるため、会社の役職は能力次第、身だしなみも立ち振る舞いもマナー優先、ってそれぞれ目的があって存在しているもののはずなのに、そんでその目的は性別抜きでも問題なく達成されるものなのになんで性別の話持ち込むのかがよくわかんない。スカートもパンツも穿きたい人が穿きゃええやん。なんなら全員スカンツでええやん。だめかな。
 
会社の男女均等に関しては先人の努力で法整備も進んでてそういうフェーズではないと思うけど、感覚的な男女差別はまだ現場にはたくさん残ってるからなかなか根深いもんなんだなあと思う。男なんだから~って仕事を押し付ける人、女なんだから~って挨拶回りに同伴させる人、男なのに?女なのに?って容姿や好みにケチつけてくる人、うちの職場の実話だけど意味不明。立派な性差別だと思ってるけど、それを見てる人たちは全く気に留めていないようなのでなんだかなあと思う。
異性付き合いが少ないので具体例があんまり出てこないけど、男女で何か違わないといけない決まりでもあるんだろうか。
 
 
社会で人とやりとりしたり人間として振舞ううえで「性別」っていう情報はなくても成り立つよね?って言いたい。であれば体質としての性別と概念としての性別は切り分けられるよね?っていう主張。
男性脳か女性脳かで多少価値観や振る舞いに傾向はあるだろうけど、前述のホモサピエンス特有の都合とかはもうそういうものだからスペックと結びつけないでほしいなって思う。都合の点で言うと出産関連の色々がある分女性の方がどうしても負担大きいだろうし、しょうがないこととはいえ何とも言えない気持ちになる。
 
一人称
頑なに一人称を「自分」にして、できるだけ己の性別をぼかして記事を書いているつもり。
ネット上は特に性別ごとの先入観がコチコチに固まってるから、そういうのに括ってほしくない。でも自分は自分の性別を知ってるし、自分の性別ゆえの嫌なこと、よかったことがたくさんあるから、それを引き算して文章にできてる自信はあんまりない。
どうだろう。どうせ未来の自分も今の性別のままだから答え合わせ出来ないな。
 
 
一人称っていろいろあって面白いなと思う。
個性があっていい。人物像を形作るうえで基本的な印象が左右されやすいところだと思う。
「私」なら丁寧かな?とか。「俺」ならフランクかな、とか。「アテクシ」ならネタだな、とか。
TPO次第で印象はいくらでも変わるけど。ビジネスの場面は基本的に「私」がスタンダードだと思ってるからそれ以外の一人称使ってる人見るとほぉ…ええやん…って思う。
 
匿名の場所の場合、一人称には「多数派」がある(と思う)。
配信のコメントやチャット、ゲームのグループとか。自分は普段見てる配信のコメントしかよく分かんないけど、ある程度人がいる閉鎖空間で、テキストだけで、ってなると一人称の持つ情報って意外とでかくなる印象。そして少数派はどうしても浮く。当然それは視聴者層と連動してる。
「視聴者は男しかおらんやろ」って配信主が言うような配信は確かに一人称「俺」「ぼく」が多くて、「私」はどうしても女性っぽさが出る。
逆に「私」って使う人が多い場所で「俺」って使ってる人見ると、急に性別アピールしてるような印象になる。あくまで自分は。
誰でも参加できるコンテンツである以上どっちの性別がいてもおかしくないけど、「私」か「俺」のどっちかに偏ってる時は一体感(?)を感じてて違う一人称が混じった途端その一体感が崩れる。
普段、女サゲが横行する男臭い配信ばっか見てるせいかもしれないけど、自分はその空気が好きだから男臭さを壊してほしくなくて、一人称私を見かけるとやだなあってなる。単純にネット上の女の人の総合的な印象があんまりよくないっていうのもある。
私と俺、両方がそれなりにいるとこなら別にそういうこと考えないし。
 
未来の自分の為に今何を思い浮かべてるかも書いておく。
男性配信者が「おじさんしか視聴者いないから…」って言ったことに対する「私もおじさんかぁ」コメとか。コメ主の性別知らんけどどうしても男性のコメントとは読みとれなくて無理。
男性配信者が「おっさんしか見てねえよ」っていう話をしたときの「女は臭いって言われるから私も普段は”俺”って書くようにしてる」ってコメとか。擬態してることをバラすのはストレートに一番気持ち悪い。ギルティ。
前項と言ってること違うやんけって自分でも一瞬思ったけどこれは性別があることで成り立ってる空気がある超内輪空間なので違う問題。
男尊女卑でもない。女性主体のコミュニティを自分が全く見てないから逆パターンの知識も例もないだけ。
そんなに自分の性別がコミュニティの性別と違うってアピールしないとダメなんか?場の空気濁すことに全く抵抗がないのはなんでなんや?自分が気にしすぎてるだけなんか?わざわざ言わなくったってツイッターや動画見てれば女性視聴者も結構いるなんてのは一目瞭然なのに。
自分の好き嫌いの問題でしかないっていうのはわかってるけど絶対他人の共感得られないこれ。人にこの話するの避けよ。そのコミュニティの空気に馴染む気も話題への遠慮も配慮もないコメントは臭くて嫌い。その一人称、本当に必要か?
 
雑感
この文章を書きはじめて1ヶ月くらい経ってしまった。言いたいことが右往左往したこととどうしても消化不良になってしまうことが概ねの原因。
書いてる最中にあった足立区議のアレとかね、調べもしねえで妄想を公言するのはよしたまえ!!!ってものすっごいフラストレーション溜まってしょうがなかった。清々しいくらいに事実誤認と思い込みのオンパレードだったから逆にいい教材になりそうだったけど、やはり知ろうとしない態度は罪深い。
あと先日哲学について若干の知識を得たことで、大発見や!と思ってたものに大昔から名前がついていることを知って若干の衝撃を受けたりしたので、きっとこういうジェンダーレス的思考にもしっかりネーミングがあるんだろうなあとは思っている。分かってるけど。女!男!その他!がそれぞれ主張しても誰も目立たないような横並びになれたら一番いい。LGBTsじゃなくてLGBTS+になったらいい。Sはマジョリティの皆様たるストレート。
 
「自分」が性別不詳的印象になると思い込んでるのがそもそも間違いだったらどうしよう。
所詮一人称でしかないから、言葉の端々や思想に性別がにじみ出るのは自分では認識できないしどうしようもない。
自分の性別について書きたいこと山ほどある。自分の性別をぼかそうとすると自分が性別めんどくせえ~~~!!!!!と思っている理由の半分も書けなかった。気が向いたらそういう話をすることもあるかもしれないけど。
今ここではノンバイナリーでありたい。生温かい目で見逃してほしい。

日記

ホルモンバランスの乱れからくる精神的不調から脱却するどころか悪化の一途を辿っている最中にspiritfarerというゲームに没頭していたがために死について過剰に考えてしまい事あるごとに涙を流すことで感情を誤魔化す期に突入していたんだけど、なんとも都合のいいタイミングで都合のいい概念を知りやっぱりすごいひとってすげえなあと小学生並の感想に着地し涙が止まらなくなったので唯一得意な他人の模倣をしてなんとか寝ようという試みを公の場に残しておく。

 

自分は哲学なるものとは全く無縁な人生を送ってきたのでそっち方面の用語とか概念とかは全くわからない。が、人並みに「私とはいかなる存在か」「なぜ何かがあるのか」など考えて眠くなって寝る、ということをしたことはある。今回の死についての堂々巡りも何度も考えてきたことの繰り返しだったんだけど、死ぬのはこわい、ならば生まれなければよい、というところにいつも着地する。この度今まで一度も聞いたことのない「反出生主義」なる思考の人が自殺について考えるという記事を読んで、出てきた用語とかをざっくり調べてみたらこの反出生主義っていうのが今回考えてたことにぴったり合致して、やっぱ先人ってすげえなどと思うなどした。親しい友人もこの件に関して考えが概ね同じだったので、種の繁栄と真逆を往く思想も大真面目に支持されてるものなんだと知れるとそこはかとない安心感が得られて幾分頭も落ち着いた。とりあえずめちゃくちゃ支持されているらしいシオランの『生誕の災厄』をアマゾンでぽちったので届き次第読む。今日は芥川龍之介の『河童』を読んだ。初見の感想は当てにならないと知っているので明日の勤務中にもう一度読む。

すごいひとの話じゃないのか、と自分でも疑問に思ったのですごいひとの話をする。自分はここ1年ちょっとの間ずっと本名が大井な配信者を追っていて、それはザ・茶番について書いた記事を読めば一目瞭然なんだけど、今自分の中で最も熱い存在として注目を浴びせている。昨日、正確には一昨日の夜にやっていたニコ生のTSを仕事から帰ってきて聞いていたら昔のたろちん関連のサイトのタイトルっぽいものをコメントしている人がいて、それを一生懸命探しても見つけられず悲しんでいた自分は待ってましたと言わんばかりに早速ググって記事を読んでいた。すでにお分かりの通り、これまでの記事と違って改行をあんまり使っていないのも脊髄垂れ流しみたいな文章なのもすべてそのブログの影響。自分の唯一の特技が雑な他人の模倣。ただの模倣なのでただ単純に読みにくくて推敲されてない文章をさらしているだけ。

大学生時代の大井さんの文章はなぜか自分によく馴染み、面白くも悲しくもないのにたびたび涙腺が暴発した。記事数が多いのでまだ半分ほどしか目を通していないけど、黒霧島水割りと仕事とバスケで構成されたネット老人会会員おじさんの顔しか知らなかった大井さんにこんな青春らしい青春があったこと、一切社会に揺るがされることなく我を突き通しまくる姿勢、おそらく何も特別な意味はないはずの寂しいという3文字をおそらく馬鹿正直にインターネットに書き残しているという驚き、などいくらでも感動した点を挙げられる。ただ、交友関係もアウトプットもないがしろにして社会的な死期がすぐ目の前に迫っているのに一人暮らしのワンルームで部屋の掃除もろくにせずベッドで横になってスマホで16年前の一般大学生が書いた記事を一生懸命読んでいる自分と対比して、画面の中の大学生がその時々を苦しそうに楽しそうに過ごしているという記録があまりに輝いていてまぶしくて反射的に涙腺がイキイキとしてしまったんじゃないかなと思っている。それなりに充実していたはずの学生生活ですらこういう風に己の自由に身を任せて送ることはできなかった自分は今更羨ましさがあふれて動悸が止まらなくなった。

 

たぶん、大井さんを大井さんと名指しして記事を書くことは数年に一度あるかないかくらいの頻度になると思う。せっかくなので、今日という日に自分が共に果てる勢いで観ているということをついでに記録しておく。

はじめて名前を知ったのは『積もる話もあるけれどとりあえず…』の巻頭。黎明期実況を漁り始めたころにゆとりのタカさんにハマり、その関連でゴールデンアイ、テラリアを視聴して大井さんという実況者をはっきり認識する。一狩り行かない男達をリアタイで追いかけるも定着せずその後数年間は特になし。しかし実況動画をよく見ていたころのTwitterのフォロワーが熱心な大井さん視聴者だったのでTLに大井さんのツイートやはぐちさんなどがよくRTで流れてきていて、そこでくらっぺ先生を、ついでに大井さんをフォロー。2018年夏にくらっぺ先生が支部に投稿した過去の同人誌を見に行って『夢のような話』を読み大井先生に一目惚れ、自分の中の大井さんの分類が「小説の人」になる。数か月に一度気まぐれで配信を覗きに行くようになり、コメントの質も含めてインターネットの隅っこ感がとても心地よくて少しずつ好感が積み重なっていき、2019年秋口配信のモンハンアイスボーンでズッポシ。以降、TSの残っている配信はすべて視聴済。過去配信や個人の実況動画はほぼ未視聴。時間がとれれば遡りたいんだけどいかんせん数が多すぎる。FF5のpart1,2だけ見た。よくある経歴で、よくいるにわか。

大井さんと同じく自分の中で最も熱い存在のもう一人が天パのおじさんで、NBA2K20のSNSの書き込みにあった「IBORNみたいに!IBORNみたいになりたい!!IBORNみたいになりたいなりたい!!!」的な書き込みを自分の発言だと錯覚する程度には天パが理想の人間像なんだけど、大井さんはそういう理想像というよりは現実で、わかりやすく言うなら自分にとってのサタンタンゴが大井さん。サタンタンゴの感想記事を書いていればここで引用できたんだけど書いてないのでざっくり印象をまとめると、悪いところも含めて人間はかくありきみたいなのを地続きかつ長尺で見せつけてくるもの、目が離せないもの、自己投影してしまうもの、的な。液晶の向こうの遠い土地の赤の他人がまるで隣の部屋に住んでいる人のように思える点では、サタンタンゴを見ているときと大井さんを見ているときは全く同じ感覚になる。今更社会への反発心が行動に出始めた大人げない自分の行く末は絶対に天パではなく大井さんであって、歳が一回り近く違う同じ道の先輩を見つけてしまったからには見届けないわけにはいかず、時に救いに、時に反面教師に受け取り方を変えながら大井さんが生きているうちは自分も生きていられるという危ない自信の拠り所として大井さんの配信を視聴している。はみ出し者に対して自分が向けている視線を自分に向けられるのが恐ろしくて規範第一で生きてきた自分にとって、真面目過ぎて破天荒な過去の大井さんは憧れに近いものがある。今の大井さんも、いつポックリ逝くかわからない危うさを滲ませながらああだこうだ言いつつやりたいことやってるのはとても大井さんだなあと思うし、自分とは違う意見を聞ける場所としてなるべく長く配信を続けてほしいと切に願っている。他人に「いつ逝くかわからん」なんて縁起でもないことだけど似た生活でポックリ逝った人を身近ではないにしろ知っているので正直に思っていることを書いた。逆にめちゃくちゃ長生きしそう。

 

最初に書いた哲学のお話と学生大井さんのお話は自分の中ではザ・茶番を介してつながっていて、大井さんも茶番も自分も厭世的な見方に寄りがちというか足突っ込んでるというかがっつり悲観しているというか、茶番を聞いて育った大井さんの配信を聞いて今生きている自分の思考がそっちに寄っているのは、大井さんの真面目な話を真面目に聞くのが好きなのは、やっぱり根っこが同じ地区にあるからなのかなと思って。自分にはそういう視点がなかったので新たな知見を得ることができたから今回のメンヘラ期間には意義があったよ、ということ。先日の魂のリサイクルの記事内容にも通ずるところがある。

 

眠い頭で懸命に文字をひり出してみたけど想像以上にゴミ。なので朝読んだらもっとゴミなんだろうと思うと悲しくなるけどこの午前2時半にあった一瞬の思考を見返せるように可視化することには意味があるのでこれでいいことにする。届いた本を読んだらまた考えが変わると思うので次はテーマを一つに絞って書くように心がけたい。大井さんの件の過去ブログも読み終わったらもう少し具体的な感想が書けると思うので新鮮な感想を書き留められるようにしたい。特別なことは書けなくてもごくありふれたものの一部ですって主張をのこすことは自分でもできるんだぞっていうのを将来の自分に示してやりたい。寝る。

 

魂のリサイクル

今まで、メッセージ性の強い曲は歌詞を自分の得てきたものに当てはめて聴くっていうパターンがほとんどだった。
ほんで共感度が高いほど好き。そういう曲の聴き方をしてきた。
 
だから「知ってる曲を現状で咀嚼する」っていう逆パターンが自分にとっては新鮮で、
それがザ・茶番で立て続けに起こったのでビビった、っていう話。
 
 
ん?と思い始めたのはいつもの配信を聞いていたとき。
その配信者は茶番を聞いて育ってきたらしいから思考が茶番とダブってるのはよくわかるんだけど、私は聴き始めて間もないのでまだ染まってなかったし、そういうボキャブラリーもなかった。だからその配信者が話す価値観や社会理念みたいな話って基本的に新鮮で、いつも真剣に聞いてるし、わりと軽めにコメントしてる。
で、大真面目に聞いてると頭の中でザ・茶番が演奏し始めるときがある。
「正解はこの曲では…?」って思ってたのが確信に変わるタイミングでその曲の歌詞をコメントすると「それ!」って拾ってくれる。もしくは配信者が自発的にそういう曲があったなあって言い始める。
すごいのは、決してザ・茶番に寄せた話じゃないっていうところ。別の話題から逸れてきて、配信者の十八番たる社会・人間の話を真面目にしてるだけ。その配信者が持ってる思考回路の話であって、茶番の曲の解説じゃない。自然な流れで、社会ってそういうとこあるよなあ、そういう側面もあるのかあって思うようなタイムリーで独立した現実の話をしてる。なのにぴったり合致する曲がある。ネタ解釈したら、とかじゃなくて、歌詞がドストレートに今の話の要点まとめになってる。
英才教育の賜だなあと最初は思ったけど、茶番が歌ってなくてもこの配信者は同じことをしゃべってたんだろうな。たまたま正解が歌になってただけで、そういう頭ならそういう答えに自然となるんだろうなって今は思う。じゃなきゃそもそも自分もこの配信者を追おうとは思わなかったはず。
そういうことを意識する前にもおんなじケースがあったかもしんないけど忘れた。初めてちゃんと「茶番じゃね?」って分かったのは「私利私欲」と似たこと喋ってた時。最近は「究極の和解」のインパクトが大きかった。自分もどっちもどっち主義寄りだからこの曲がコミュニケーションの行きつく先というかまさしく究極の回答だと思ってて、この配信はTSで聞いててコメントできなくてくやちい~って思ってたら配信者がそういう曲あったよなって究極の和解を歌い始めたのでよかった。
 
 
それだけだったらわざわざこんな長文書き起こそうとは思わなかった。
こないだ、ある女優が他界したっていうニュースがあった時に自殺絡みのコメントをしてる人がたくさんいて、
人生は問い詰めると無意味だから、自省しすぎると人は死ぬ。
だから昔の文豪は云々って知り合いが言ってたっていう内容のツイートが伸びてた。
一回読んで、脳内で「だからあなたはただただその幸せだけを、幸せだけを行えばいいのだ」って文末に付け足された。
一瞬遅れて「茶番じゃねえか!」って思った。脳内で赤い着物着た高橋英樹鏡餅型ボタンを全力で平手打ちしてた。大正解じゃねえか。
なんも知らん人に「茶番じゃねえか!」って言ったらただの悪口になるのがまたちょっと面白かった。
 
言わずもがな「魂のリサイクル」が同じこと歌ってたんだけど、このツイート読むまで実はあんまり歌詞が全体的にピンときてなくて、良く聴くほど好きってわけでもなかった。
「限りなく広がるこの宇宙の中であなたの行いのすべてが無意味」とか「命は命でしかない」とか何回聞いても額面通りにしか受け取れなくて、そんなことねえぞ、っていう反発心的なものがちょっとあった。だから歌詞もばっちり覚えてたわけじゃなかった。
自分の中にそういう視点がなかったうえに読み取ることもできなかったのが原因だって今はわかるんだけど、それがこのツイートで端的に表現されてたから自分にも理解できて、そういう概念があるんだなあっていうのを吸収すると同時に魂のリサイクルがスンッて腑に落ちて、さらに同じ曲の中で歌われてる「で、どうするの?」っていう対処・結論的なものが自分とこのツイートにバッってかぶさってきて、すげえってなった。
 
曲を聴いてる時に自分の得てきたものを思い出したり引き合いに出したりして曲を解釈する、っていうのをよくやってた。
今得たものを既に知ってる曲が歌っていて、さらに今得たものに補足までするっていうパターンが初めてで、しかも全部ドストレートにその通りすぎて全知全能か?ってしびれてしまった。
もっといろんな概念と曲を得てきた人からすればそっちの方が多いのかもしれんけど。
改めて曲聴き直すと印象も重さも全然違っててまたしびれた。ありゃすげえ曲だった。無知は罪だ。
 
サビで「行いのすべてが無意味」ってわざわざ言ってくれてるけど、しょっぱなからそれを大前提とした歌詞なんだなって今更ながら思った。曲調も最適解だと思う。暗すぎないけど明るくない、騒ぎすぎず落ち着きすぎずいい塩梅。だからピンと来てないのに何回も聞いてたわけで、曲としての完成度は歌詞が読めなくても高かったんだと思う。
輪廻転生の前に命のあり方は等しく無意味なんだから好きに生きりゃええんやってことかなって今気づいた。これ書きながら相変わらずリサイクルってなんやって思ってたから今すげえスッキリした。違ってたらめちゃくちゃ恥ずかしい。読解力の乏しさが露呈して悲しい。茶番ほど額面どおりが一番わかりやすい曲もないのに。
他の曲は違うテーマについて歌ってるけど、茶番は人間についてたくさん歌ってるから結局魂のリサイクルが前提になってるとも言えるし、茶番からしたら分かり切ってる当たり前の事なのかもしれないし、とにかく根源として大事な曲なんだなっていうのがわかった。
 
魂のリサイクルの後に「感じる事」を聴いてて、この2曲にセット感を抱いた。無意味、無力だけど今生きてるという全部の事実を肯定してて、もちろん「感じる事」でテーマになってることは「魂のリサイクル」と「同じ光」の中間にある別の事だけど、でも魂のリサイクルの後に聞くと軟膏感があるというか。魂のリサイクルの中で歌ってることとは別の方面から生きる事をポジティブに捉えていいんだよってなだめられているような気分になる。
うまく表現できない。自分がそう捉えたいだけかもしれない。
 
この曲書いたときのオミちゃんは当然自分より年下だけど人生何周目なの?
他の曲もそうだけど世のことわり解しすぎじゃない?神か?
自分がいいと思ったものに傾倒しすぎる癖があるのはわかってるけど、なにもかも先回りされて教えられてばっかりだからはえ~としか言えない。全人類聴くべきとしか言えない。
っていう崇め癖や吹聴癖に釘を刺す歌詞もばっちりある。
もう逆に怖い。
 
 
輪廻転生のところで急に満足しちゃって尻すぼみになっちゃった。
他にもいくつかピンときてない曲があるけど、魂のリサイクルみたいに生きてりゃそのうち理解できる機会が来るのかなって思ったらもうちょっと人間やってこうかなっていうやる気が出た。
悪くない。

ママ~聞いて~

妄想と欲求と願望が先走って周囲が見えなくなるのは今に始まったことではないが、この歳になってもそれが直っていないのはいかがなものだろうか。
たとえそれが他人に迷惑をかけていなかったとしても。
 
一度「言いたい!」と思ったことを言わずにはいられない。
くだらないダジャレとか、ただの感想とか、レベルの低い欲求ならツイッターに殴り書いておけばそれで収まる。
厄介なのは、「言いたい!」の中に特定の人物から認知されることを欲求として含んでいる場合。
その対象が対面で話す人であればある程度自制が効くこともあるが、この場合自制心なんてものに期待してはいけない。
さらに厄介なのは、この欲求の発生タイミングに関わらず頭が「言いたい!」に浸食されて他人の話を聞く耳と状況を見る目を失ってしまうこと。
口は災いのもと、と念じて、それがどんな内容であれ、当たり障りのない言い方に変えるなり諦めてダダ漏れにするなりしているが、そもそも意志の弱い自分の自戒では限界がある。結果、「人と話さない」という抜本的対策をとることになり、自戒の強度はさらに落ちる。
リアルの付き合いがある人は多少の人読みをしてくれるし、自分という人間と対話してくれるのである程度真意を伝えるとこまでたどり着ける。この問題において唯一の救いであると同時に、この経験が世間一般に比べて圧倒的に少ないことがそもそもの原因だとも思う。
 
 
言いたい対象が配信者だった場合。最悪である。
まさに配信者相手にやらかしてしまったこのやるせなさを書き留めておきたくて文章をしたためている。
その人が配信するのを待って、話題が切れるのを、もしくは言えそうな話題になるのを待って、何度もコメントを作り直して、ここぞというタイミングでEnterキーを押す。たいていの場合、眠気に抗いながら、酒の力を借りながら。
我ながら気色悪いことこの上ないなと思う。
言いたいことっていうのが大抵その配信者が拾いそうな話題だったりするので、スルーされたらいい結果。読んだだろうけどどう思ったかは明かされない。自分が満足感を得ておしまい。配信のアーカイブが残ろうとも傷は浅い。
読まれて、思い通りの反応だった場合。傷はなくうれしく感じるものだが、自分を調子に乗せてしまうのでよろしくない。
読まれて、思い通りではない反応だった場合。これが最悪。場を濁すコメントをしたことを悔い、真意を釈明したくて「違うそうじゃない」と精彩を欠いたコメントをして傷をえぐる。
配信者本人はそんな些細なこと覚えていないだろうが、他の視聴者もそうとは限らない。少なくとも自分は配信者に読み上げられた他人のコメントを覚えている。
 
この失敗の原因はコメントを練ってしまうところにある。
配信を聞いている最中に言いたくなったことであれば、反射的で簡潔なコメントになり、話題からも浮くことはない。コメントとしてあるべき(と自分で思っている)姿を保てる。たとえ場を濁してしまっても、あちゃー程度で済む。
配信外で言いたいことができてしまった場合、それはそもそも配信に関係ないことなので言い出すこと自体ヤベー奴レッテルを貼られるリスクがあり、それをコメントできる機会まで時間が空いてしまうので、できるだけ簡潔かつ幼稚に、でも言いたいことが全部こめられるように、たった十数字をこねくりまわす。こねこねしているとその文章に意識がどんどん持っていかれ、ないがしろにできなくなる。ただの「言いたい!」が「(時間をかけて練った渾身の一文を)聞いてくれ!」に肥大する。後に引けなくなる。期待で肥大した言葉でなければ、場を濁したことや真意が伝わっていないことを必死でフォローしようとはしない。
長文のメールをしたためて送りつけるよりは害がないと思っているが、そもそもROMれないことが等しく害なのかもしれない。
それどうなの?と思うようなコメントもたくさん見かけるけど、他人を理由に自分の行いを正当化するのは違う。
 
こねてしまう弊害はこういう記事にだって言える。「書きたい!」と思った時のゴールがどんどんぶれていく。
衝動的に出る言葉が一番本質的で残しておくべきものなんだけど、自分の本質が浅いことをさらけ出す勇気がなくて、体裁を整えようとこねこねしているうちに内容も対象もよくわからないものになる。文章長すぎるのもそれが原因なんじゃないかと思う。のーみそこねこねこんぱいる(脊髄反射)
 
最近のメイン趣味が配信鑑賞になってしまって、最初はおとなしくROMって雰囲気を楽しんでたのに「このくらいなら自分もコメント打てるな…」って欲が出てきて、結果自滅的にそのコンテンツに嫌気がさしていく。
今日の自分はろくじゃないな、って思ったら即配信閉じてTSで観る。そしてコメントに打っていたかもしれないことをツイッターに書きなぐる。
そのくらいの自衛はできてるのに、言いたいことがひとつ溜まるだけでそれができなくなる。
我ながら自滅のプロだと思う。下手くそか?
 
 
ここまで書いていて、誰か特定の人に言いたいことがあるときはそれを伝えたときの反応が見たいっていう気持ちもセットになっていることがほとんどで、つまりその人とその言いたいことについて対話がしたいっていう欲求と大差ないじゃん、っていうことに気付いた。スルーも反応の一種だし。
その対象が配信者だったらまず対話なんて叶わないし、そりゃ拗らせて事故るよなあって思った。
昔それで大怪我したことあるのにまだ懲りてないっていう事実に今結構落胆してる。ふてぶてしい…。
こういうこと考えてるとほんとに自分のクローンがいればいいのになって思う。それで全部解決するのに。
 
 
ちいちゃい子がよく言う「ママみてー!ねえ!!みて!!!!」の精神が一向になくならない。
このブログだって、自分の脳みそを誰かに見てほしいっていう欲求が限界値に達した結果生まれたもので、それが続いてしまっている。こんなん書かなくて済むなら一番いい。
”小さな俺のさらに小さな醜い部分”の一部。一生おんぶしていくしかない。でもまだ自分にその覚悟がない。
他人の気持ちは読めないのでこわい。コミュニケーション怖い。正解がわからない。でも他人と接点がないと満たされない。
 
「ねえ聞いて~!!」って強引に耳を借りたわりに言いたいことがまとまってなくて、「なんか言いたい!」っていう気持ちだけが残ってしまって伝えたいことをねつ造しはじめる、ってところが保育園児時代から一向に成長していないので悲しい気持ちになった。ねつ造した部分も言いたかったことなのは間違いないんだけど、最初に言いたかったことと状況やパターンがずれていたりする。脱線の種になる。
本当に言いたいことがあったのか、貧相なボキャブラリーを披露したいだけなのか途中で見失わないようにしたい。
出来るかなあ。出来ねえだろうなあ…。

かみまみた

ついに、ふりだしに戻った。
わりかし順調だったんだけどな。
 
っていう記事を2週間前に書いたんだけどPC開くのが面倒で放置してたら左手についてはもう復活した。
右手は状況変わってないというか若干悪化したので適当に読み替えてくれ。
 
 
前回、経過観察を書いてから変わったことといえば、爪切りを買ったこと。
爪切りが今まで必要なくて、いざ爪を伸ばし始めると邪魔になった時に困るということがわかったので買った。
その邪魔さに慣れないと爪は伸ばせないんだろうかっていうくらい見た目はそんなに伸びてない。
親指でなんかするときに爪長いとあんなに邪魔なんだねぇ。
 
何がいけなかったんだろうなって考えてるんだけどちょっと現実逃避が入ってしまってあんまり分析できてない。
爪が伸びてたときは比較的爪の強度も上がってたから噛もうにも噛めなくなってた。爪を切った時のやすりがけが甘くてわずかでも引っかかりを残してしまったのが原因だろうか。
ガって噛み切るっていうよりは端の方に切れ込みを入れて剥くっていう噛み方なのが一番よくない。それで今右手がボロボロ。
無限プチプチみたいな無限ムキムキほしい。まずは癖の対象を爪以外にしたい。そっからやんないと厳しい気がする。
 
やっぱり爪を伸ばすだけじゃなくて噛み癖(剥き癖)を根本的になんとかしないといけない。
せっかく伸びてもどうせ一定の長さになったら切ってしまうし、切った時に追い打ちのように噛んでしまってせっかく伸びたところを滅してしまう。これじゃ全然前進できない。
 
3ヵ月前と唯一違うのは強烈な深爪感があること。
長さ的には以前と同じくらい、むしろ人差し指と親指は定着した分若干長いまであるんだけど、爪先がスース―する。
爪があるべき場所にない!!って認識してくれてるんだなって思った。これは前進ととらえていいと思う。
 
小指~中指は伸びてるなーっていうのはわかりやすいけど相変わらずピンクの部分は全く伸びない。待つだけじゃやっぱだめなのかな。対処法がわからん。
人差し指と親指は伸びるのクッソ遅いけど確実にピンクの部分が伸びてる。ひょんなことでガって白く凹んじゃうことあるけど待てばまたピンク伸びてくる。そのかわり薬指とかに比べて伸びしろが少ないので、いっそ指ごと伸びないかなって思ってる。そもそも手が小さいのよな。親指短いのは遺伝だけど。
 
右手はガチ深爪中なので左手と比較にならない。まじで右手どうすべなあ。左手が順調だった間も右手が改善されたこと一度もない。むしろ左手噛めない分の煽りを食らってた気もする。
左手を右手に反転してコピペしたいんだけどそういう技術ない?