はつもの

いきてるよ~

大して重くないや

茶番との出会いや影響については先日の記事に書いたので、今度は曲について書く。
自分の中の茶番を語るうえで、そして自分のメンタルコントロールを考えるにあたって、『おんぶ』という曲は絶対にはずせない。
わざわざ注釈することじゃないけど、2020年9月現在の自分の中にある『おんぶ』について書いているので、未来の自分にとっては全く共感できないものかもしれないことは断っておく。
 
 
『おんぶ』は例の除雪車配信では聞いた覚えがないので、初めて聞いたのは濃縮。でも茶道ver.の方が好み。
イントロで既に好印象だったことを覚えている。純粋に音が好き。
特筆すべきは言うまでもなく歌詞で、まぁ~刺さる。これでもかってくらいストレートに脳にグサグサ刺さる。茶番なのでそれが特色なんだろうなっていうのはなんとなく察していたけど、こんな強い曲ある?って思った。思い当たる節がある自分には痛快すぎる曲で、一発で好きになった。単純な”好き”の具合だと他の曲と甲乙つけられないけど、信頼度合いで言ったらそれはもう群を抜いて1位だ。
 
なぜそこまで刺さったか。
過去の失敗や恥を何度も詳細に思い出してしまっては、それに数日間気分を引っ張られて鬱々しい気分になったり突飛な言動をしたりして、苦しいし体力や時間の無駄だしやめたい!って長年思ってたのに自力で対処する術が見当つかなかったからだ。
恥、例えば、某界隈キッズだったころに特に好きでもない配信者にクッソ気色悪いコメント添えてスパチャした時に言われた「はい気持ち悪い」とか、イキリまくってた頃にツイッターで炎上しかけてフォロワーの手で2ちゃんに晒されたこととか、茶番を布教してくれた配信者の配信でリアルタイムでおんぶ聞きたくてしつこくリクエストしたこととか。自業自得すぎる。文字に起こすのもまだめちゃくちゃしんどい。
「気分転換」がカギだと思って、そういう事態に陥った時は多少無理してでもちょっとアクティブになってみたり隙間時間を埋めるよう心がけたりしてみたけど、お風呂に入っているときや車の運転中、寝る前とかのどうしても脳みそが空になる時間に奴はやってきてタイムスリップさせようとしてくる。「ああしておけば」「やらなきゃよかった」って、もう干渉できないのに正当化の方法を考えてしまう。そして今できることへのMPが消耗していく。ツイッターしてる時間の100倍無駄だってわかってるのに抜け出せないのがほんとにしんどかった。
 
 
それをぶち壊してくれたのが『おんぶ』。理由は歌詞を読んで字の如し。
だってさ、歌いだしていきなり「結論、過去は消えません、おしまい」って。そんなん言われなくてもわかっとるわい!っていう反発を消し炭にする端的なド正論の威力たるや。たった一文で、しかも一言目に「結論」「おしまい」って言われたらウス!ってなる。いきなり反論の余地がない。最初に聞いたとき、確かここで笑っちゃったような記憶がある。
しかも何発も追い打ちが来る。「過去は不変、そう簡単に忘れられるもんじゃねえ」っていうそれだけを表現するための歌詞に往復ビンタを食らう。Aメロ全部それに費やしてんだから効かないわけがない。そしてその往復ビンタが気持ち良くて気分がだんだんすっきりしてくるもんだからもうこの時点で完敗なのである。
 
Aメロではたかれまくって赤く腫れた頬に、Bメロ~サビはキンッキンに冷やした濡れタオルで喝を入れに来る。聞くときの自分のコンディションによっては、ぬるま湯で濡らしたタオルを当てられている気分にもなる不思議。
解釈も何もほんとに歌詞そのまんまなので捉え方の問題でしかないけど、叱咤とも開き直りともとれる物言いが感情になじみやすい。素直に受け入れやすくて、そして強く歌ってくれるから、悶々とした回想を映してる脳内モニターに「これは失敗でした!!」って極太油性マジックペンで落書きされて現実に引き戻してくれるうえに、よっしゃ~おいらの醜いところ背負うで~っていうポジティブさを強制的に与えてくれる。
散々うなされた過去の悪行たちも、いざよっこらしょって背負ってしまえばマジで大して重くないこともあれば、背負いきれないって感じても大して重くないって意地を張ってみれば案外何とかなることもある。それは過去に振り回されてたらわからないこと。背負ってみて、もしくはこっちが振り回すつもりで引き摺ってみて初めて絶対消えない未練たちとの付き合い方が見えてくるんだなって知れた。
自分の脳みそが単純だからこの曲ひとつでここまで気分の切り替えができるのかなとも思うし、過ぎたことはそれだけ単純で自分の背中ひとつで間に合うような代物だってわざわざ曲にして説教してくれてるんだろうとも思う。そりゃそうでしょって分かりきってることでも、自分の中で反芻するのと他人から言葉ではっきり聞かされるのとでは感じ方も影響も全然違う。
 
 
何度、どんな状況で聞いてもおんなじ結果になるのは音楽っていう表現方法の強みなんだろうか。思考回路がショート寸前になったときはお気に入りの文章を読んで脳内を上書きするようにしてるんだけど、このタイムスリップ鬱にそれは効かなかった。文章は考えながら読むから意識リセットしやすくていいけど、読むときのコンディション次第で文章の意味そのものが自分にとって何の効果もなかったり余計に凹んだりすることもある。音楽には詩に加えて音があって、演奏で曲のテンションが固定されてるから効いてる側も受ける印象が固定されやすい、とかそういうことだろうか。匂いと同じで、一番よく聞いてた時の心情が曲に乗り移る説も一理ある。
『おんぶ』は音のノリが軽快なのに地に足ついてるというか、言葉をすんなり受け入れるために耳をほぐしてくれるような質量のある心地いい音で、そこに言葉がポンポンとのってくるのが「そんなしょーもねえことでしみったれてんじゃねえよ」的なカラッとした救済になってるんだなぁ~って思う。
いや茶番は別に忘れたい過去を「しょーもねえこと」とは書いてないし、逆にそういう過去ってマジ重てえよなって思ってる歌詞に聞こえてるけど、おんぶしちめえよ、前向けよ、的なテンションの曲だから多少の強引さを感じる。その強引さがこの曲のいい所であって、でもあらゆる状況で救いになるような曲ではなくて、メンタルしなしなへにょへにょの時にこれ聞いたら抵抗力ゼロだからそのまま心もげる。
しなへにょの時はほかの手段で湿気を出し切ってから仕上げとして、とりあえず後ろや下以外の方向を向きたいときに聞くとより効果的。
 
 
全体的に衝撃性の高い歌詞だし一言残らず全部好きなのでピックアップするのが難しいけど、あえて印象的な部分を挙げるとしたらやっぱり「全部忘れたらあんたいよいよホントの馬鹿だよ」だろうか。ここはオミちゃんの歌い方もあいまって一番ドキッとする。叱られてる時のような緊張を感じる。実際お叱りの言葉なんだけど、そういう歌詞聞いてて自分事だと思ったことがないので新鮮だった。
あと、「人を崇めてばかりで己すらもヨイショできなくてどうすんの?」も絶妙だなって思った。最初聞いたときここちょっとテイスト違うなって感じた。たらればを考える時って少なからず自分を否定してるし逃避&自己肯定感下がりがちなところにこの叱咤風の軟膏。カバー範囲広~って思った。
開き直りじゃなくて見切りをつけてるのがいい。何かを諦めるのって難しいことだけど、こうも覚悟満々で強気に歌われたら便乗するしかねえ!忘れるの諦めるしかねえ!ってなっちゃうんだよなあ。
 
 
 
ここまでたらたら感想書いたけど、Youtubeに上がってる『おんぶ』が世に出たときの放送の切り抜き見たら自分の言いたいこと全部出演者が言ってて。
一曲流れた後のヒロミの「んん↑ん~~~~~~~~~んん↓~~~~~…ィいいっ!」に全部こもってる。わかる。
「一行目が出てきたところでもう茶番だなっていうのがでちゃうのすごいっすね」って言ってるおじさん、わかる。ほんそれ。
「未練」がテーマに含まれてそうだなっていうのは聴いてりゃ嫌でもわかるけど、きっかけが恋愛の相談メールとは想像してなかった。でも恋愛の未練ってなにより根が深いから絶対忘れられないよなって思ってたらオミちゃんも同じこと言ってるし、強い曲になるのは納得だったし、「結論」って言ってる通りあの一言目がすべてなんだなって分かってこれから聞くときにさらに威力が増すなあって思った。あと哲学ソングって言われててわろた。
「忘れたいんです!」っていう至極真っ当な願望に「無理です!」って即答できる価値観を、「歌詞で聴かせる」って葉加瀬さんも言ってたけど歌詞にそのまんまのインパクトで出せるって天才じゃない?天才。
というか番組の企画でできた曲だって知ってかなり驚いた。他にも何曲かあるみたいね。令和の今助けられてる人間がここにいます。ありがとう。
 
 
文字に起こすの難しいねえ。。。
8割くらいは書けたと思うけど、自分が『おんぶ』聞いてる時の高揚感やありがたさがいまいち表現しきれない。
配信でリクエストして流してもらった時は配信者はこの曲をスキップしようとしてたから印象の個人差が大きい曲なんだろうなと思って、大して好きじゃない人もいればこの曲に命預けてる奴もいるんやでって残しておきたかった。
自分の葬式のテーマソングにしてほしい曲No.1なんだけど誰かしらに怒られそう。
 
『おんぶ』でさえ背負いきれないようなことを自分でやらかすとは思っていないので、この曲さえあれば死ぬまで生きていられる気がする。
生き恥も後悔も未練も全部よっこらしょ~のしょ~!
 

気づいたんだけど

今、茶番のCDの歌詞カード眺めてたんだけど、

オミちゃんの爪、自分と同じじゃない????

 

濃縮茶汁の表紙見て気づいたんだけど、

めちゃめちゃ深爪じゃない???????

人の爪のことあれこれ言える身じゃないし全部ブーメランになるから嫌なんだけど

うわぁ今の気づいた瞬間のうれしいような申し訳ないようなこの気持ち採れたてで文章にしたかったのにもう酸化した、つらい。

 

なんならこの一か月半で伸びた分自分のほうがピンクのとこ長いかもしれない。

他人で自分くらい爪短い人見たことなかったからまさかのオミちゃんが同じ長さでちょっと興奮してしまった。なぜ今まで気づかなかったのか。

この写真撮ってから軽く20年くらい経ってると思うけど今はもう普通の爪になったのかなと思ったので自分の未来を追うつもりで昨年の写真見てみた。

けど手写ってないね。生で観ろってか。

2014年にフードコートらしきところにいるオミちゃん?の写真も見たけど画質の関係でびみょい。

 

今オミちゃんの爪がどうなっているかわからないということは自分の爪が今後どうなるかも未知数のままってことか。

左手人差し指の爪が正方形から縦長にシフトしてきてて割といい感じなので自分はきっと伸ばせると信じてる。

オミちゃんは爪なんて気にしてな…いや気にして…してるか…?

伸びててもそのままでもどっちでも「わ~オミちゃんっぽ~い」って思いそうなのでどっちでもいいか。

枝豆のおいしい茹で方

夏といえば枝豆。枝豆がなければそれは夏ではない。
実家の枝豆がなじみ深いせいか、店で食べる枝豆や有名レシピで茹でた枝豆がいまいちピンとこない。
我がばあちゃんの普通の茹で方で一生枝豆食べたいので、メモアプリや付箋ではなくネットに書き残しておく。
 
  1. 枝豆をボウルか袋に入れ、あら塩を適量振りかけてよく揉む。
  2. しっかり洗い流す。
  3. 鍋に洗った枝豆と適量の塩、コップ一杯の水を入れ蓋をする。
  4. 中火で6~7分茹でる。量や大きさに応じて調整する。
  5. ざるにあけて水気を切り、追い塩を振ってかんもす。
  6. ざるのまま、もしくは新聞紙やポリ袋などに移し替えて粗熱をとる。

 

揉み洗いの塩はスクラブ代わりなので、量は少なすぎなければいくらでもよい。
茹での塩はちょっと多めくらいだとしっかり味がつく。スーパーの一袋に対して大さじ1くらい?
追い塩はシャッシャッくらいでいい。多いと食べてる最中に口と指がしょぼしょぼする。
追い塩を気持ち大目に降って袋に入れて冷蔵庫で一晩寝かせると塩気が浸透して無限に食べれる最強の枝豆になる。
こ~れが最高なんよ。枝豆だいすき。日本酒もいいぞ。

爪くん観察日記

人生初の爪ニョキニョキ事件から約1ヵ月が経過した。
あの記事書いた後医者行ったりとかはしてなくて、白いところが伸びすぎて割れないうちに1回切った。
で、今ちょうど第2回爪長くて邪魔だよ~選手権開催中。邪魔だよーっっていっても常人よりまだ圧倒的に短いので慣れって怖いなって思う。
あと一週間くらいしたらまた切る。
 
途中経過として各爪のコンディションを記録しておく。
まず左手の小指~人差し指は特にトラブルもなく順調。それぞれ白い所が1㎜ちょい、ピンクの所が0.2~0.5㎜くらい伸びてる。この一ヵ月で伸びた爪のピンクの所は伸びる前の爪とは色が違っているので進捗がわかりやすい。左手親指は気を抜いたらいつの間にか白い所がなくなっていたので他4本より若干出遅れているが、成長した部分は残っているのでまだ挽回できると思う。縦横比が1:2くらいになった。
一方右手はというと、元々左手より噛む頻度が高くて極端に短かったせいもあり、確実に伸びてはいるものの左手の初期値と同等くらいなので、やっとスタートラインに立った状態。
ただ、中指~親指の3本は未だ成長の跡がみられない。正直、いつ噛んでいるのか全く記憶にない。中指は白い所こそ若干作れてはいるもののピンクの所が全く伸びていないので不安しかない。噛む頻度自体は一ヵ月前以前よりだいぶ落ち着いてきたと思うんだけど。
 
伸ばしてみていくつか分かったことがある。
まず、薬指の爪を伸ばすのが難しい。水が入るのか圧力がかかってるのか原因はわかんないけど爪がUの字に白くなってしまって尖らせなきゃいけない真ん中が全く成長しない。伸びた爪のほとんどが白くなってしまい一切ピンク色が伸びない。爪の先端から指の先までの距離が一番長いの薬指なのでのびしろはダントツのはずなんだけど。育て方に問題があるのか?絆創膏巻いて爪の間に水とか入るの防いだ方がいいのか?
あと、人差し指と親指の爪。ピンクの所がなぜか片上がりに伸びる。親指側はなかなか伸びないのに気付くと中指側がめっちゃ伸びてる。でも白いとこは偏りなく伸びてて普通の弧になってるので爪切りの時どうやって切ったらいいのかわからなくてほぼ切ってない。力のかけ方とかで内側が剥離しちゃうのか?わからん。
やっぱりそれなりに爪プロにご教授頂いた方がいいんだろうなあ。通える距離に爪伸ばしコースのあるネイルサロンあるけど通う勇気がねえ。でもどうせ爪伸ばすならきれいに伸ばしたい。。。
 
さすがに一か月程度で人並みになるとは思ってないので残念とは思わない。むしろよう続いとる。3週目くらいで全部なくなると思ってたけどまだ生きてる。とりあえず継続するしかないし現時点で心境の変化的なものはまだない。
もうちょっと伸びたら小学生ぶりにトップコート塗ろうかしら。

記事書くのむずすぎひん?

毎週更新するつもりだけはあって、PCいじってる時に手が空いたら下書きをつくる時間にあてている。
最初は書きたいものが明確にあったはずなのに、どんどん話があっちこっちに脱線して、しかも脱線先の話題の方が本筋より具体的でボリュームがあるとかいう乗っ取り状態になってて本筋への帰り道がわからなくなってしまう。
書きたいことのメモがあるわけじゃないし、長年「書きたいことを思いのままに全部書いてから全体のバランスをみて字を削りながら再構成する」っていう方法で作文とかを乗り越えてきたのでそれ以外にスムーズに書く方法を知らないし、こんなブログの為にそういうのを学ぶ気にもなれない。
言い回しがわかりにくかったり飛躍してたり回りくどかったりする上に文字量が多いので、低スペックな自分の脳みそは処理が混雑したらすぐにフリーズしてシャットダウンしてしまう。
 
こういうのを書きはじめて気づいたんだけど、自分の文章センスなさすぎる。わろた。
白紙に自分のボキャブラリだけで勝負するとこうなる。全く読み手を楽しませる気がない自己満足自己完結型の平坦なクッソつまんねえものが出来上がる。いや読み手自分だし歴史書だからそっちの方がいいのかもしれないけど一か所もクスリともできないとか今のインターネットに生きるものとして恥ずかしい。
言葉の扱いもうちょっと面白くできてたよな…?と自分で思っている時期は、狂ったように実況動画を見漁っていた影響で語彙が実況者の名言集になっていたから他人のふんどしで相撲を取っていたに過ぎない。それは私の実力にはなっていない。摂取したら分解して自分の栄養にしないとそのままうんこになっちゃうのにね。学ぶこともできなければ向上なんてひとつも望めないのにね。
 
他人のふんどしではないけど、既出のおもしろいものを真似したいという気持ちも邪魔だったりする。
購読中のブロマガと、ここ一年の間で読み漁ったある人のブログがとても好みの文章で、ある意味普通のこととか出来事とかを淡々と、でもテンポよく面白く書いてる。内容もさることながら文章としての完成度が高くて、私には一生かかっても書けないものを自分の言葉として発信できているのはさすがだなあと思う。
一生かかっても書けないとわかっているのに同じような面白さを目指そうとするのはあまりにも無茶なのでそれで凹むのだけはなんとしてもやめたい。字書きの才能が無い自覚をしっかり抱えていたい。
 
あと、思いついた言い回しとか例えとかを全部並べないと気が済まないのも冗長な文章の原因。これは自己顕示欲ゆえだと思ってるんだけど、「こんな言い回しのレパートリーが私の中にありまぁす!」っていうのをアピールしておきたい気持ちを抑えるということができない。貧弱語彙のくせにな。
良い文章を書ける人は、頭の中にある思考文章そのものにまず無駄がない場合と、いい文章の為に好きだけど無駄なところを少しずつ諦めながら書いてる場合がある、と思っている。このブログに関しては、想定している読者は自分だけであり冗長だろうが無駄だろうが関係ないので、書きたいことを諦める必要がない、というところまでは分かっている。文章の上達を意識するからいけないんだよなあ。
そう、気にしなければいい。意識しなければいい。それが実際正解で、後から読み返したときに「まとまってるなあ、勢いがあるなあ」と感じる文章ってその時の強い感情とかパッションとかそういう衝動に筆を任せてて、上手下手とか全く意識してないことが多い。自分の場合。
逆に着地点を探しながら書いてると前段で書いたようにあっちこっち脱線するし、うまい文章にするぞ、って思うと筆が止まったりザ・ありきたりな表現のエレクトリカルパレードになったりする。こういう脊髄反射のおもんない比喩使ったりもする。
 
元々妄想大好き人間で、誰かに見られている前提でなんかするのが好きだから、誰かに読まれたいという意識を前提として文章を書いている。
じゃなきゃこんな不特定多数の人がアクセスしようと思えばできる場所に自分語りしにきたりしない。自分の為の文章を他人の目に晒されたくて書いてる。だから文章の見てくれが気になったりもするしうまいこと書きてぇ~とも思う。でもそれを理由にして成果物に疑問を持ってはいけない。
赤裸々に書こうと試みている時点でおさぶいので多少の稚拙さはご愛嬌。
馬鹿は馬鹿なりに馬鹿として今日も馬鹿に精を出すんよ。どうしても気に入らなかったら消せばいい。
その気になったら文章の書き方勉強すればいい。その気になったら記事書けばいい。
理想を目標に据えるのをやめろ。現実をわきまえろ。
記事を書くのが難しいのは自分が記事を書ける状態にないからだ。こんなハードルの低い書き物に難しいもクソもないんだから。
 
なお、今現在精神状態が谷の時期なので日本語の扱いそのものが普段の100倍ヘタになっている。後で読み返してビビるやつ。
自分の思考整理に使った文章をそのまま記事として残すのどうなの?とも思うが、歴史書兼日記兼チラシの裏ということで御免蒙りたい。
これが一番効くんよ。

音楽のことわからない

自分のような音楽リテラシー・感受性ゼロの人間でも好きな曲や思い出があるんだから、音楽っていうのがよっぽどえらい文化であることは疑いようがない。
名前を挙げて好きです!とはっきり言えるほど彼らの事は知らないけど、死ぬまで聞き続けるんだろうなあ、となんとなく思える程度にはなんとなく気に入っている。
 
好きなアーティスト四天王がいる。
マイケルジャクソン、ボカロ、米津さん、そしてザ・茶番。ハマった順。ビッグネームばっかり。
ボカロをアーティストで括るのは違う気がするけど、中高生の頃は本当にボカロしか聞いていなかったのでそう表現するしかない。
 
 
マイケルは世間的に有名な曲は全部好き。一番熱があったのは小学校~中学校の頃で、今でも定期的に聞き返している。
親がガチなファンで、自分は生まれた時からマイケルを聞いて育てられていたらしい。その甲斐あって(?)マイケルが超有名でイカしてる歌手だっていう認識は同世代の人よりも早めにしてたのかなと思う。ディズニーランドにマイケルのアトラクションが期間限定で復刻した時は、学校の定期テストの直前にも関わらず舞浜に連行された。行ってよかった。
小学校の頃は音楽そのものに微塵も興味がなく、親の車の中で流れてくると「これしってるよ!」ってキャッキャする程度のものだったが、マイケルが亡くなった直後にやっていたテレビのいろんな特集で観たマイケルがあまりにかっこよくて、生まれて初めて「好きなアーティスト」を意識することになった。
ただ、同じ学年の人たちはマイケルを「ケツアゴのおっさん」としか認識しておらず、学校でこの話をするたびに馬鹿にされるので「おまえらはThrillerのMVを観たことがないのか??」と憤慨していた。未だにマイケルの話をしてくれる人とは出会えていない。
マイケル本人の生い立ちもテレビで見た程度には知っているが、聞いてるだけで苦しくなってしまうのであまり詳しく知ろうという気になれない。だから今製作中だというマイケルの伝記映画の行く末と出来栄えが気になってしょうがない。観たいような、観たくないような。
Smooth Criminal、Who Is It、Ghostsがずば抜けて好き。MVも好き。
あと、これまでの人生で聞いた音楽の中で最もショックで頭から離れない曲がTabloid Junkie。
曲を特別好きになるまで翻訳された歌詞を読まない人間だったけど、英語歌詞で聞いてても不穏だなって思うキーワードがいくつかあって翻訳版を読まざるを得なかった。読んだらどこまでも切実な歌詞で、その説得力が尋常じゃなくて、キングと呼ばれるほどの世界的知名度を誇った人がこんな曲を書くのかっていう衝撃があまりに大きくて、不謹慎なんじゃないかってくらいこの曲がかっこよく感じられるようになってしまった。いや歌詞の印象に関わらずめっちゃかっこいい曲なんだけど…。サビが特に好き。たまに感極まって泣くくらい好き。好きっていうのもなんか表現として違う気がする。良い。
 
 
マイケルで「おんがくっていいかもしれない!」という心の回路が目覚めた自分にボーカロイドがドンピシャで刺さって、無事オタク側の人間になった。
兄弟がようつべに無断転載されてた有名曲を聴いてるのを一緒に聞くようになって、当時ネットの事なんか微塵も知らなかったもんだからそれが本家だと思ってて、学校でニコ厨に結構な本気で注意されたことがある。今思えばありがたい忠告なんだけど、当時キッズ全盛期の自分は内心「は?」って思ってた。無知は罪なり。
最初に好きになったパラジクロロベンゼンを皮切りに結構な曲数を聞いた。少なくとも当時の有名どころは網羅できていたと思う。ニコニコにアカウント作ってからは再生数多い順でボカロタグの動画垂れ流してた。
好きになる曲の傾向は今になってもよくわからない。
今でもたまにランキングをのぞいたりはしてるけど、いわゆる最近のボカロ曲はよくわからん。でもswitchで出たDIVAは買った。たのしい。
特に好きだったと今でも言えるPはEZFGさんと梨本ういさん。今でも定期的に聞き返してる曲は「不完全な処遇」と「梨本ういが僕を殺す」。
今は気に入った曲を延々とリピートするだけで全く冒険しなくなったので、このボカロ大好き時代が一番知らない曲の探求心が強かったと思う。ジャンルとして追おうとしていたのもあるけど、新しいものや知らないもの、流行っているものへの抵抗感が全然なかった。この頃の心を取り戻したい。
 
 
当然その時期にハチPは通っている。マトリョシカやパンダヒーロー、リンネあたりは必修レベルだったし、音が面白くて普通に好きだった。
メジャーデビューしたらしい、というのもゴーゴー幽霊船で知ったけど、dioramaリリース時にはさして米津玄師本人に興味はなかった。ボカロP時代のほうがよかった、とか、生声はちょっと…みたいなのもなかった。ただ単に関心がなくて、ゴーゴー幽霊船はやっぱりハチPの曲っていう感じではなかった。好きだったけど。
そう思ってるうちに2ndアルバムが出たらしく、ニコニコのランキングにYANKEEのクロスフェードが上がっていた。相変わらず関心は薄かったけど、サムネの絵や色がなんとなく気に入って、動画をポチってみた。
その軽率なワンクリックがビッグバンだとは露知らず。
一曲目のリビングデッドユースですでに半分心臓をギュッとされていた。単純に好みだったのもあるけど、まずもってここまで自分の音楽の好みを自覚させられるような曲を聞いたことがなくて、新感覚に鳥肌が立ってた。
いい音の連鎖に対応できず体が硬直してる間にもテンポよく曲が進んでいく。運命の曲は5曲目だった。
「運命」とかそういういうフワッとした単語あんまり使いたくないんだけど、メランコリーキッチンは自分にとって運命としか形容できない。
Bメロ後半が流れ始めた瞬間にブワァァッって鳥肌が一層増して、サビで腕がしびれて脳みそがボーっとなって表情がくちゃくちゃになった。自分がいま何を聞いているのかもちょっと分からなくなるような、一言にまとめるとすれば「衝撃的」とか「電流が走った」とか、とにかく今やべーもん聴いたって思った。そこで動画を一回止めて、もう一回メランコリーキッチンのとこだけ聞いて今の感覚が偶然じゃないことを確認して、アマゾンでCDを買った。これはフルで聴かなきゃいけないっていう使命感があった。
YANKEEが届くまでの間にクロスフェードを何回も何回も聞いた。全曲好きだった。届いてからは、寝る前にCDを一周してからメランコリーキッチンを延々リピートで聴くことだけを楽しみに日中をやり過ごした。当時ウォークマンもPCも持ってなかったから、これのためだけにCDプレーヤーを買った。当時ゲーム実況を見るのがなにより楽しくて、これに勝る趣味はないなあと思っていたのにメランコリーキッチンはいともたやすくその思い込みを破壊した。
思い出補正は否めないが、今でもメランコリーキッチンが一番好き。具体的に何が好きなのかはなかなか言語化できなくてもどかしいけど、なにもかもが好き。感覚的に恋に近いんじゃないかと思ってる。
今や国民的スターとなった米津さんのことはあの頃の100倍好きになっている。STRAY SHEEPとても良かった。正直YANKEEの次に好き。全部。
今度別記事で今の米津さんに対する所感をまとめたい。
 
 
米津さんがナンバーワンでオンリーワンという状況は今も変わらないんだけど、ビッグバン以降脇目も振らず米津玄師だけを聞き続けてきた自分に、今年の初めにちょっとした変化があった。
1年ほど前から継続して視聴している配信者が、深夜に酔いつぶれて号泣し寝落ちする、という事件があった。その語り部のいなくなった配信でずっと流され続けていたのがザ・茶番だった。
それまでにも何度か「このバンドがいいのよ」と布教しているのを聞いたことがあったが、ちゃんと曲に耳を澄ませたことがなかった自分はそこで初めてちゃんと歌詞を聞いて、意外といい曲だな、とだけ思った。
一晩限りの感想だと思って特に気にしていなかったんだけど、翌日の日中、妙にその時聴いた曲が脳内再生されてどうしてももう一度聞きたくなってしまってTSを観た。昨晩よりもずっと良くて、これはもしかして好きなのでは?と思って、試しにCDを買ってみることにした。
配信者が市場に出回ってないって言っているのを覚えていたので、半分冗談のつもりでアマゾンを覗いたら結構あったから、曲数が多そうなやつを適当に何枚か買って聞いてみた。
歌詞が非常に生々しくて自分の思想と地続きの位置にあるがために反発心が湧くような曲もあったけど、逆にスゥーっと脳みそにフィットする曲が多くて、全部聞き終わるころにはまるで数年前からこのバンドのことが好きだったような錯覚にとらわれていた。
もちろん、CDは追加で探した。アマゾンとヤフオクだけで大方そろったのは幸運だった。タワレコのHPや茶番ファンの人の大昔のまとめブログなどを徘徊しながら、なんとかデモテープ以外の茶番名義のCD9枚を揃えることに成功した。
俺が俺がぁずも探していたけど、堂々動しか見つけられず配信者に「持ってませんか?」とメールまで送ってしまった。CDコンプの達成感に酔っていたので相当うざい文面になっていたと思う。申し訳ない。
それ以降、米津さんを差し置いて茶番をメインで聴くようになった。どこかで聞いたことあるような曲調のものも多いけど、演奏の音がとても好みで、何より歌詞の威力とボーカルの声が好き。
大体の曲はアカペラで歌えるようになったと思う。歌詞は自己解釈もついてますます脳みそに馴染んで、大好きになった。ようつべに上がってるテレビの切り抜きとかライブ映像とかも何回も見てる。
茶番についても書きたいことが山ほどあるので後日別記事にまとめる予定。一番よく聞くのは「おんぶ」の茶道バージョン。
 
 
これが音楽歴の9割。ほかにも好きな曲はいくつかあるけど、大体友人か配信者の影響で聴いていたものなので、今度気分が乗ればそれも文字に起こしておこうと思う。
基本的に曲にしか関心が向かない傾向がある。マイケルは俳優としての顔を全然知らないし、ボカロも作曲者を覚えてないことが多い。米津さんも生い立ちとかラジオとか自主的に聞くことないし、茶番は調べ方がわからない。
ジャズもずっと好きになりたいと思っていていろいろ聞いてるんだけど、一定の好感はあってもそれ以上刺さらないので素質がないのかな、と思っている。
今は新アルバム発売直後ということもあってまた米津さんメインに戻っているけど、茶番もメンタルコントロールのために定期的に聞いてる。この二者はきっと一生好き。
 
音楽のことわからない、だけども聞き続けていたいよ
おこがましいかもしれないけど~思うよ~(キイチ)

爪が元気

爪を噛む癖がいまだに直っていないんだけど、初めて爪噛まない期間が一週間を越えたので、また爪がなくなってしまう前に記念として記事に爪ヒストリーを残しておこうと思う。
 
どのくらい短いかというと、右手の中指の爪がJoy-ConのLボタンの幅と一緒。親指は縦1:横3って感じ。
一般的な爪の半分以下しかないんじゃなかろうか。
爪半月(根元の白いところ)はない。
それぞれの爪の比率はちゃんとしてる人と変わんないと思うので、それを基準にほかの爪の長さも察してほしい。
 
 
生まれてこのかた、記憶にある限りず~~~っと咬爪症。
一番古い記憶は保育所の年少さんだったころで、その頃ににおともだちから「爪かむとたのしいよ!」ってお昼寝の時間に誘われたのがきっかけ。
友達は小学校に上がるころにはすっかりきれいなお爪になっていたけど、自分はといえばまんまと噛み続けていて、手の全部の爪が足の薬指の爪くらいしかなかった。
なんなら足の爪も噛んでた。ヨガみたいに足組んで。ばっちいね。
爪って手を使う限りずっと露出してる場所だから、爪が短いとすごく目立つ。なんにも知らない人から「なんで爪短いの?」って聞かれるのがしぬほど恥ずかしかったから、先述の友達のせいにして被害者面してた。友達は勧めた記憶ないみたいだったけど何回も謝ってくれてた。ひたすら申し訳なかった。
 
小学校に上がって、爪に違和感を持ってもわざわざ聞いてくる人はいなくなったけど、相変わらず恥ずかしかったし、爪噛み癖も治らなかった。
親もさすがにやめさせようとはしてくれてて、マニキュア塗ったり、にっがぁい爪噛み矯正用トップコートみたいなやつ塗ったり、噛んだ後のギザギザを毎回磨いてつるつるにしたり、全部の指に絆創膏巻いたり、矯正期間決めて噛まなかったらご褒美とか色々やった。私も本気で治したかったから頑張った。
びっくりするくらい効果なかった。マニキュアは剥がすの楽しくなっちゃって乾いたそばからメリメリ剥がしておまけに噛んでた。にっがぁいのは舌にあたらないように器用に歯だけで噛んだ。絆創膏は上からまるごと噛んだ。餌で釣るのも無意味。
つるつるにするやつだけちょっと噛まなくなったけど、代わりにヤスリで際限なく削りまくって深爪するようになったのでやめた。
作戦が失敗するたびに悔しくて号泣するくらいなら噛むなよって自分でもすげえ思ってたけど、気づくと爪がない、っていう無意識なことが大半だったので正直どうすればいいのか分かんなくて、それがストレスでさらに爪を噛む、みたいな負のスパイラル。親から「もう知らない。勝手にしな」って言われるたびに死んでも噛まねえ!!って躍起になったけど、親が断腸の思いで放ったであろう見捨て宣言すら効かなかった。
そのうち、親も何も言わなくなって、自分も半分諦めて過ごすようになった。
 
それでも、体が大きくなるにつれて爪の小ささがさらに強調されるようになって、自分で気にならないわけがなく。
転校したとき。進学したとき。バイトを始めたとき。恋人ができたとき。就活を始めたとき。就職が決まった時。イベントに行くとき。
「今度こそ」って何回思えば爪は伸びるんだろうって思いながらささやかに我慢を頑張ってみた。駄目だった。
周囲が爪をオシャレの対象に含める年齢になってそういう話題が出るたびに、手を隠して存在感を消すようになった。
テレビで「切断した体の組織を復元してくれる菌」の特集を見たときは、自分も指を切断してこの菌塗ったら爪が復元するんじゃないかなって期待した。
インターネットが使えるようになって調べたら皮膚科か心療内科で診てもらえるやつなんだって知って、地元の皮膚科に聞きに行ったら「噛まなきゃ伸びる」とかいう正論を繰り返されるだけで医者が嫌いになった。いや医者の言う通りなんだけどね。心療内科は通える範囲になくて行けなかった。
就職とかいう一大イベントですら治せなかったから、もう自分の特性として受け入れるしかないんだなって完全に諦めた。
あらゆる自信・根性・努力不足を爪が無いせいにするようになった。
 
紛うことなきコンプレックスと化した我が爪くんのことをどうして痛めつけてしまうのか考えなかったわけではない。
原因なんて関係ないのかもしれないけど専門家に聞いてないからわかんないし、自分ではそう思ってない。
爪周囲の皮膚もべりべり噛んでは出血・化膿。くちびるの皮もわずかに乾燥部分がささくれてればそこをべりべり剥いては出血。かさぶたも出血するか全部とれるまでべりべり。鼻も完璧に掃除できるまでティッシュ突っ込んでは出血。耳も毎日のように何もとれなくなるまで執拗に掃除して膿んで医者行った。
足の爪も、体が硬くなってヨガの体勢とれなくなってからも爪切りや指で削いでるから結局伸びてないし、膿むと歩くたびに激痛で地獄。
どれもこれも現在進行形。
思うに、自分が干渉できる部分が残ってるのに放置しておくっていうことができないんじゃないかと。悪い意味で完璧主義というか。ちょっとでも爪が伸びると「今なら爪噛めるやん!」って本能的に思っちゃうんじゃないかって。言い訳がましいけど。
咬爪症はストレス由来の症状(=自傷行為)って説もあったからもしかして病んでんのか?と思ったこともあったし、実際一人でなんかしてて考え込んだり不快指数高まったりすると指を口元に運ぶ頻度増えるからあながち間違ってないのかもしれないけど、自分の根本的原因はストレスではないと思ってる。幸せでも噛んでたから。
自分で考えて治せるレベルだったらとっくの昔に治ってると思うので、そのうち心療内科に聞きに行こうと思う。
あと「大人の爪って硬くて歯じゃ噛めなくない?」って思ったこともあるけど、自分の爪は強度0なので、もしかしたら爪の質の成長すら阻んでいるのかもしれない。
 
爪短くて恥ずかしい、っていうだけならまだマシ。
ところ構わずささくれを剝いてしまうので皮膚カス?がそこら中に落ちる。家でも会社でも。めっちゃゴミ。
噛んだ爪はちゃんと捨てるように心がけてるんだけど、たまに飲み込んでしまうことがある。それが喉に引っかかってて、後日思わぬタイミングで怒涛の咳を呼び起こすことになる。今のご時世これだけはマジで避けようと心から思った。そもそも爪噛みが全く衛生的じゃないからやめろって話なんだけど。
 
 
で、今、奇跡的に爪が伸びてる。
冒頭の「爪噛まない期間一週間越え」は正確ではなくて、右手の中指~親指と皮はいまだに噛んでる。悲しい。
きっかけとして考えられるのは、先般の4連休中ずっと実家にいたからかその間に伸びてたこと。人前では噛まないので、長期間他人と一緒に過ごすっていうのが現状一番効果的なのかもしれない。
左手の爪はもともと標的になる頻度が比較的低かったこともあって、5本とも順調に伸びてくれている。元気に育ってほしい。
追加で伸びた部分はまだ概ね白いんで、なんもしなくてもここが定着するのかが不安。ゴミ溜まるし刺さるし早いところピンク色になってほしい。
あと爪がこのまま綺麗に伸びても噛んでしまっては意味がないので、医者なりネイルサロンなりにちゃんと金出して根本的に治したいと思う。
 
ちょっとでも綺麗な爪見るのは気分がいい。この感覚を忘れてはいけない。
今まで生きてきた中で一番よく伸びてる。この機会を逃す手はない。がんばれ。