毎週更新するつもりだけはあって、PCいじってる時に手が空いたら下書きをつくる時間にあてている。
最初は書きたいものが明確にあったはずなのに、どんどん話があっちこっちに脱線して、しかも脱線先の話題の方が本筋より具体的でボリュームがあるとかいう乗っ取り状態になってて本筋への帰り道がわからなくなってしまう。
書きたいことのメモがあるわけじゃないし、長年「書きたいことを思いのままに全部書いてから全体のバランスをみて字を削りながら再構成する」っていう方法で作文とかを乗り越えてきたのでそれ以外にスムーズに書く方法を知らないし、こんなブログの為にそういうのを学ぶ気にもなれない。
言い回しがわかりにくかったり飛躍してたり回りくどかったりする上に文字量が多いので、低スペックな自分の脳みそは処理が混雑したらすぐにフリーズしてシャットダウンしてしまう。
こういうのを書きはじめて気づいたんだけど、自分の文章センスなさすぎる。わろた。
白紙に自分のボキャブラリだけで勝負するとこうなる。全く読み手を楽しませる気がない自己満足自己完結型の平坦なクッソつまんねえものが出来上がる。いや読み手自分だし歴史書だからそっちの方がいいのかもしれないけど一か所もクスリともできないとか今のインターネットに生きるものとして恥ずかしい。
言葉の扱いもうちょっと面白くできてたよな…?と自分で思っている時期は、狂ったように実況動画を見漁っていた影響で語彙が実況者の名言集になっていたから他人のふんどしで相撲を取っていたに過ぎない。それは私の実力にはなっていない。摂取したら分解して自分の栄養にしないとそのままうんこになっちゃうのにね。学ぶこともできなければ向上なんてひとつも望めないのにね。
他人のふんどしではないけど、既出のおもしろいものを真似したいという気持ちも邪魔だったりする。
購読中のブロマガと、ここ一年の間で読み漁ったある人のブログがとても好みの文章で、ある意味普通のこととか出来事とかを淡々と、でもテンポよく面白く書いてる。内容もさることながら文章としての完成度が高くて、私には一生かかっても書けないものを自分の言葉として発信できているのはさすがだなあと思う。
一生かかっても書けないとわかっているのに同じような面白さを目指そうとするのはあまりにも無茶なのでそれで凹むのだけはなんとしてもやめたい。字書きの才能が無い自覚をしっかり抱えていたい。
あと、思いついた言い回しとか例えとかを全部並べないと気が済まないのも冗長な文章の原因。これは自己顕示欲ゆえだと思ってるんだけど、「こんな言い回しのレパートリーが私の中にありまぁす!」っていうのをアピールしておきたい気持ちを抑えるということができない。貧弱語彙のくせにな。
良い文章を書ける人は、頭の中にある思考文章そのものにまず無駄がない場合と、いい文章の為に好きだけど無駄なところを少しずつ諦めながら書いてる場合がある、と思っている。このブログに関しては、想定している読者は自分だけであり冗長だろうが無駄だろうが関係ないので、書きたいことを諦める必要がない、というところまでは分かっている。文章の上達を意識するからいけないんだよなあ。
そう、気にしなければいい。意識しなければいい。それが実際正解で、後から読み返したときに「まとまってるなあ、勢いがあるなあ」と感じる文章ってその時の強い感情とかパッションとかそういう衝動に筆を任せてて、上手下手とか全く意識してないことが多い。自分の場合。
逆に着地点を探しながら書いてると前段で書いたようにあっちこっち脱線するし、うまい文章にするぞ、って思うと筆が止まったりザ・ありきたりな表現のエレクトリカルパレードになったりする。こういう脊髄反射のおもんない比喩使ったりもする。
元々妄想大好き人間で、誰かに見られている前提でなんかするのが好きだから、誰かに読まれたいという意識を前提として文章を書いている。
じゃなきゃこんな不特定多数の人がアクセスしようと思えばできる場所に自分語りしにきたりしない。自分の為の文章を他人の目に晒されたくて書いてる。だから文章の見てくれが気になったりもするしうまいこと書きてぇ~とも思う。でもそれを理由にして成果物に疑問を持ってはいけない。
赤裸々に書こうと試みている時点でおさぶいので多少の稚拙さはご愛嬌。
馬鹿は馬鹿なりに馬鹿として今日も馬鹿に精を出すんよ。どうしても気に入らなかったら消せばいい。
その気になったら文章の書き方勉強すればいい。その気になったら記事書けばいい。
理想を目標に据えるのをやめろ。現実をわきまえろ。
記事を書くのが難しいのは自分が記事を書ける状態にないからだ。こんなハードルの低い書き物に難しいもクソもないんだから。
なお、今現在精神状態が谷の時期なので日本語の扱いそのものが普段の100倍ヘタになっている。後で読み返してビビるやつ。
これが一番効くんよ。